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心を開く、ということはどういうことでしょうか。

営業をしているものです。 顧客と接するにはまず自分が心を開かなければ、 相手も心を開いてはくれないとよく言われます。 心を開くということはよく世間でも言われていることです。 ただ、心を開くという言葉は非常に抽象的で個々人でそれぞれ 捉え方が異なると思うのです。 私自身、どういうことが心を開いている状態にあるのか、 よくわかりません。 人はどんなときに、相手にこの人は心を開いてくれてるな、と 感じてくれるのでしょうか。

みんなの回答

noname#45642
noname#45642
回答No.7

私も、営業で部下によく言う言葉です。営業マンは、相手を知る前に、自分を知らなければ、なりません。まず、商品知識、商品にほれ込む、誰に売りたいか、自分には熱意があるか、知る必要があります。 >そして私は、なぜ、この仕事をしているのか、なぜ、お客様にこの商品を勧めているのか、はっきりとした目標を、相手に伝える必要があります。 >(あなたが、お客様にどれだけ、心を開いたかの尺度により)お客様の不満やクレームや不安、要望を聞きだせる。(お客様が、あなたにどれだけ、心を開いたかの尺度による)それによって、改善策や、見積もりの提案が可能となる。 >そして、個人的な、悩みなどを相談してみましょう。相談に乗ってくれたら、ある程度、お互いに心が開いていると思いますよ。 >営業の場合は、相手の立場になる必要はありません。相手のことを理解して、最善策(解決策)を提供しましょう。

noname#60420
noname#60420
回答No.6

>顧客と接するにはまず自分が心を開かなければ、 >相手も心を開いてはくれないとよく言われます。 >心を開くということはよく世間でも言われていることです。 ↑ 「心を開く」という表現をダイレクトに解釈すると「自己開示」のように聞こえますが、 ”顧客と接する”ときに「まず、こちらから自己開示」が必要か? と言われたら私は疑問です。 >人はどんなときに、相手にこの人は心を開いてくれてるな、と >感じてくれるのでしょうか。 ↑ 営業が顧客の話を伺いながら、顧客が困っていること、希望していることなどを顧客の立場に立って一緒に考える(=共感する)姿勢が 顧客にも伝わったときに、顧客自身が「この営業さんは信頼できるな」と感じること、に他ならないのではないでしょうか?

noname#77757
noname#77757
回答No.5

 何処の会社でも指導をする場合抽象的な言い方をするのが一般的ですが、初歩的なことから指導すれば、それをばねに次第と顧客と接するときはどうしたらよいか身につくものです。  私は先ず名刺を渡すときのマナーを教えます。名刺入れから取り出し両手を添えて差し出す。このとき自己紹介をしながら、次第に取引に対する前任者の振る舞いをそれとなく尋ね、あくまでも低姿勢に相手の言葉を承り、後でメモをする。  これが心を開くということなのです。自分を語らないで相手のことを尋ねても心は開きません。

noname#194289
noname#194289
回答No.4

いろいろな言い方があると思いますが、心を開くというのは頭の中の世界を共有するということです。これは一種の錯覚ですが別に悪いことではないと思います。要するに価値基準を相手に合わせれば相手は心を開いてくれたと思います。価値基準を合わせると言うのは商品に対するものではなくその人が持っているすべての価値基準です。初対面くらいではとても分からないと思います。しかし基準にも軽重があります。商談の場合にはお金に対する考え方でしょう。しかし商談の場合には授受するお金の額に関して反対の立場に居ますからとりわけ難しいことだと思います。ですから心を開く前にお客の考えを一応聞いたうえで「わたしがあなただったらこうこうします」というように相手の立場になって話してみるのはどうでしょう。そのときのお客の反応は価値基準が違うところを中心に出てきます。これを繰り返してお客の判断基準をかなり知ったら相手は貴方が心を開いているというような感じを持つのではないでしょうあ。

  • mat983
  • ベストアンサー率39% (10265/25670)
回答No.3

難しく考えない方が良いです。 相手の立場に立って考え、相手があなたに何を期待しているかをつかんで行動することです。 それを心がけることで、自然と心と心が通じてくるものです。

  • emika24
  • ベストアンサー率10% (44/418)
回答No.2

私の場合は相手が自分に悩みを話してくれると心ひらいてくれてんだなって思います。 こんな話し私になんかしていいのかなってようなことなど。

  • ash2pure
  • ベストアンサー率19% (74/385)
回答No.1

目を見て自然に笑ってくれた時かな。 あとは、こっちも相手も自然に意識せずに会話できる時とか。

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