• 締切済み

相互作用って・・・

大気・岩石(土)水と人間とのあいだに相互作用はあるのでしょうか・・・。  広義的なことでもなんでもよいのでご意見があったらおねがいします!! それと、温暖化現象が人間の社会システムに及ぼす影響とはなんなんでしょうか?  質問が抽象的すぎて申し訳ありません。

  • yon
  • お礼率75% (9/12)

みんなの回答

  • tamago2
  • ベストアンサー率27% (3/11)
回答No.4

 この地球上に生活している人間をはじめとする生き物は、空気を呼吸し、土に生えたものを食べたりあるいは土の中の栄養分を吸収し、水を飲んで生命活動を維持しています。  近年は文明の急速な進歩により、便利になった反面、公害問題などで環境汚染という言葉がクローズアップされています。これは、今までには無かった物質が急に大気中・土壌中・水中に存在するようになり、生体の許容量を超えたものに対して拒否反応が出ているんじゃないかと思います。また、食物連鎖などでちりも積もる部分があると思います。環境省のホームページを見るとこれらの関係することばかりですよ。  2つ目の件ですが、二酸化炭素ガスの温室効果による原因が挙げられています。二酸化炭素は物を燃焼することで発生しますから、燃焼による熱とそれによって発生したガスの双方の効果によって温度が上昇しているはずです。で、温度があがれば今のご時世、皆さんがエアコンを使います。エアコンの動力源は電気です。電気を作るのに熱が発生します。ところが、熱効率は100%ではないので電気を作るときに発生した熱の方がエアコンによって下がった熱より大きいですし、エアコン自体がトータルで熱を発生していますから、ますます温度があがることになります。近年の夏の暑さの原因がこればかりとは限りませんが、10年後の8月の平均気温は何度になっているんでしょうね。  取りとめもない話になりましたが、こんなところでどうでしょうか。

  • kubira
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.3

思い付くまま羅列してみました。温暖化だけでなく、環境問題はいろいろな現象がすべてつながっているから、めんどうですね。でも、目に見えなくても、数字に表れなくても、自分の目の前に迫っていなくても、いずれ自分自身のみに降りかかってきます。他人事じゃないんだけど、危機意識はなかなか持てない・・・・ 砂漠化や野生生物種の危機に拍車がかかる ↑ <温暖化>→異常気象の増加→作物不作→物価高や政治不安→→戦争!? ↓ ↓ ↓氷が溶ける→スキーをメインとした観光地困る ↓ {例}オーストリアは国家の収入減 海水面の上昇 ↓ 小さな島国は国家存亡の危機

  • fujijiji
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.2

温暖化に関してですが、まず二酸化炭素の排出は生物(人類含む)の活動に よるものが主です。一方植物の光合成活動や、岩石による二酸化炭素取り込み (石灰岩の生成等)により、結局大気中の二酸化炭素量は均衡が保たれる システムになっています。 ところが産業進展に伴う人類の過度の二酸化炭素排出は、このバランスを 破壊する方向に作用します。二酸化炭素が上空に過度に滞留し、地球を保温 してしまうため、結局地球の温暖化をもたらします。 促進された温暖化は、生態系のバランスを崩す方向に働くため、食物連鎖が 変化し、死滅する種も出てきます。(結局人間にも影響します) 断片的ですが、ご参考まで。

  • Take_chan
  • ベストアンサー率39% (64/164)
回答No.1

様々な物質が大気-水-土壌を物質循環しています。 どういう風にお答えしていいのかわからないのですが、例えば、 炭素は大気中の二酸化炭素が植物に固定化されて、それが、枯れて 土壌中に入ります。土壌中では微生物がそれを分解して二酸化炭素に 戻すというように、物質は循環しています。 参考になるHPを載せておきます。 また、温暖化についてはここでもたびたび質問されてますので、 温暖化で検索してみて下さい。

参考URL:
http://takamura.fnd.muroran-it.ac.jp/jugyo/ningen2000/junkan.html
yon
質問者

お礼

こんな抽象的で分かりにくい(質問のしかたが・・・)質問に回答してくださってありがとうございました。  HPすごく参考になりました。温暖化のほうはここで検索してみますね。

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     ここでは 自然科学の知識を勝手にイメージとして捉え その情報にもとづき勝手に――それでも――人間と社会とにかんして考えようとするものです。        *  まづ次が そのイメージをひろげた仮説です。        社会主体としての人間の・殊に《わたし》の力を想定し さらに四つの力を仮想してみる。もちろんまったくの空想です。   1.重力 :《 〈わたし〉 の社会的な力》   2.電磁相互作用 :《 〈わたし〉 の超現実》=《 幻想 〔としての意識〕》   3.強い相互作用 :《根源的な 〈わたし〉 》   4.弱い相互作用 :《とにかく〈わたし〉というもの》  これらの人間の力つまり 自己の基体である物質の運動についての意識としての人間の力は 物質としては広い意味の《光》が媒介するものである。  いまわかりやすいように そして基本的にもそうであるように 男と女に対する関係を例にとって考えるのがよい。  第二の《〈わたし〉の超現実》というのは いわゆる光が 視覚などによって起こす電磁相互作用としての力である。  男と女のあいだに 電磁場(電気的・磁力的な作用の場)が形成されるのである。これは 《幻想》的であり 幻想としての現実である。  幻想というのは 相互作用がはたらいても それはまだむしろ場の成立であって 何も起こっていないのに 何か起こったと錯覚したり さらには何か確かに作用が起こったときそれは 自分に都合のよいように別の作用が起こったのだと錯覚するか もしくは 何もまだ起こっていないのだと強引に主張するか そのような場合が 多いからである。  このとき これらは 特に意識しなくとも 第四の力の《とにかく〈わたし〉というもの》をとおして そしてそれは 光の仲間としてのウィークボソンによって媒介されるところの弱い相互作用となって まづは始められていたものであろう。つまり 後でそのような結果として捉えられるものであろう。(何でもないことのほうが 印象や影響が強かったりする場合がある)。  これら二つないし三つの力を要約すると 男と女とは それぞれ《とにかく〈わたし〉》をとおして まづ接触し 何らかのかたちで 《根源的な〈わたし〉》を意識し始め それぞれが《わたしの超現実》という場を夢見始めるに到る。  《根源的》というのは ここでは かの相手とのかかわりにおいてとにかくこのワタシという存在を意識し自覚し始めるといった事態を言っている。  《弱い相互作用――自由な電子が飛び廻ってのように――》において互いに接触し 《強い相互作用》を働かせる。(ただしまだ 事の始まりとして 互いの自己紹介の程度までではある)。そして次に《電磁相互作用》がはたらいたなら 相互認識の場あるいは付き合いの形が 成立する。  第三の《根源的な〈わたし〉》というのは さらに進めば自己の同一性にとどまろうとする――言いかえると この場合 相手を選ぼうとする――力であり いわば自己の凝縮というような自己確認の作用である。  これは 《糊の粒子(グルーオン)》とよばれるものによって媒介される強い相互作用に属する。もちろん 人それぞれにであり 単純に人それぞれにである限りにおいて人は 独立主観である。この意味で 根源的なと名づける。  以上これらの三つが 大きくは同じ場でむしろ同じ力の三態として はたらいている。独立主観が 孤立しているわけではなく 他の独立主観と 接触したり相互依存的であって 不都合はない。この力は 三態という範囲において もしくは 正負の向きなどを含めたいろんな関係のあり方として それを愛(つまり 愛情と嫌悪をふくむ)とよぶのにも 不都合はない。  最後に 第一の《〈わたし〉の社会的な――時には公共的な――力》が重力であり 表現として万有引力(?)である。  主体の社会的な意味での重さとは 意志のことであり これを同じく 愛(自治・自己経営)と呼ぶのに不都合はないであろう。  男女の関係としては その夫婦一組としての社会的な職務(つまり家族としてのふつうの社会生活)にかかわった力の問題にあたっている。  婚姻は 第二の電磁相互作用の場 これが 婚姻関係〔の場〕として新たに確立したときの力の過程である。それは 重力の作用つまり自由意志によるかと思われる。  婚姻に限らず 一般に人びとの連帯が成立するのは やはり 万有引力に比されるべき人間の意志によるのであって 或る主題の科学的な知解や 或る問題の解決へ向けての運動として考えられる。  けれども 個人の二角関係のうちの 男女の対(ツイ)関係における婚姻という結びつきは 四つの力が統一的にはたらいているかも知れない。         *  1. 意志よりほかの・自然本性としてそなわる精神の能力――すなわち 記憶および知解――は あんがい生物物理学的なモノに還元されるのかも知れない。ひとの身(およびそこにおける意識)とそして自然および社会としての環界とは むしろ相互に通底しているかも知れない。  2. けれど 意志は 四つのチカラの内 ほかの三つの相互作用とは 或る意味で異質であることとかかわっているかのように 特殊である。と考えられる。  3. それは もし社会のいわゆるクウキやシガラミなどといった人間関係によってことごとく影響を受け ほとんどその内容に〔おのれの意志が〕従ったとしても そうだとしても この人間の意志というのは そのようにいやいや従ったのだいうことを知っているという特徴を持つ。からである。  4. このような自由意志の特徴というのは 一般に基本として 《ゆづる》という行為である。あるいは 関係として捉えて 《ゆづりあい》という社会行為である。  5. かんたんながら 以上を踏まえて言ってこう問います。      ○ ひとの意志は モノに還元されるか?  なお仮説としてかかげた見方は 次の質問でもあつかいました。そこでのやり取りを参照していただけるかと思います。   【Q:《アース力》は 慈悲なるチカラだ。】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7834459.html

  • 《アース力》は 慈悲なるチカラだ。

     モノ(質料)のエネルギー・力・運動と 人間の社会的な力・運動とは ちがうと思われる。  人間の運動・生活が 仮りにすべて物体の自然運動から成っていると見る場合でも 人間はこれらを選択し加工したり排除したりする。一方で物質の自己運動は 人間の手に負えるものだとは考えられないが 他方でこの運動を人間は 人間的なものとして・社会的なものとして 方向づけないわけではない。  このような社会主体としての人間の 殊に《わたし》の力を想定し さらに四つの力を仮想してみる。もちろんまったくの空想です。   1.重力 :《 〈わたし〉 の社会的な力》   2.電磁相互作用 :《 〈わたし〉 の超現実》=《 幻想 〔としての意識〕》   3.強い相互作用 :《根源的な 〈わたし〉 》   4.弱い相互作用 :《とにかく〈わたし〉というもの》  これらの人間の力つまり 自己の基体である物質の運動についての意識としての人間の力は 物質としては広い意味の《光》が媒介するものである。  いまわかりやすいように そして基本的にもそうであるように 男と女に対する関係を例にとって考えるのがよい。  第二の《〈わたし〉の超現実》というのは いわゆる光が 視覚などによって起こす電磁相互作用としての力である。男と女のあいだに 電磁場(電気的・磁力的な作用の場)が形成されるのである。これは 《幻想》的であり 幻想としての現実である。  幻想というのは 相互作用がはたらいても それはまだむしろ場の成立であって 何も起こっていないのに 何か起こったと錯覚したり さらには何か確かに作用が起こったときそれは 自分に都合のよいように別の作用が起こったのだと錯覚するか もしくは 何もまだ起こっていないのだと強引に主張するか そのような場合が 多いからである。  このとき これらは 特に意識しなくとも 第四の《とにかく〈わたし〉というもの》をとおして そしてそれは 光の仲間としてのウィークボソンによって媒介されるところの弱い相互作用となって まづは始められていたものであろう。つまり 後でそのような結果として捉えられるものであろう。(何でもないことのほうが 印象や影響が強かったりする場合がある)。  これら二つないし三つの力を要約すると 男と女とは それぞれ《とにかく〈わたし〉》をとおして 接触し 何らかのかたちで 《根源的な〈わたし〉》を意識し始め それぞれが《わたしの超現実》という場を夢見始めるに到る。  《根源的》というのは ここでは かの相手とのかかわりにおいてとにかくこのワタシという存在を意識し自覚し始めるといった事態を言っている。  《弱い相互作用――自由な電子が飛び廻ってのように――》において互いに接触し 《強い相互作用》を働かせる。(ただしまだ 事の始まりとして 互いの自己紹介の程度までではある)。そして次に《電磁相互作用》がはたらいたなら 相互認識の場あるいは付き合いの形が 成立する。  第三の《根源的な〈わたし〉》というのは さらに進めば自己の同一性にとどまろうとする――言いかえると この場合 相手を選ぼうとする――力であり いわば自己の凝縮というような自己確認の作用である。  これは 《糊の粒子(グルーオン)》とよばれるものによって媒介される強い相互作用に属する。もちろん 人それぞれにであり 単純に人それぞれにである限りにおいて人は 独立主観である。この意味で 根源的なと名づける。  以上これらの三つが 大きくは同じ場でむしろ同じ力の三態として はたらいている。独立主観が 孤立しているわけではなく 他の独立主観と 接触したり相互依存的であって 不都合はない。この力は 三態という範囲において もしくは 正負の向きなどを含めたいろんな関係のあり方として それを愛(つまり 愛情と嫌悪)とよぶのにも 不都合はない。  最後に 第一の《〈わたし〉の社会的な――時には公共的な――力》が重力であり 表現として万有引力(?)である。主体の社会的な意味での重さとは 意志のことであり これを同じく 愛(自治・自己経営)と呼ぶのに不都合はないであろう。  男女の関係としては その夫婦一組としての社会的な職務(つまり家族としてのふつうの社会生活)にかかわった力の問題にあたっている。婚姻は 第二の電磁相互作用の場 これが 婚姻関係〔の場〕として新たに確立したときの力の過程である。それは 重力の作用つまり自由意志によるかと思われる。  婚姻に限らず 一般に人びとの連帯が成立するのは やはり 万有引力に比されるべき人間の意志によるのであって 或る主題の科学的知解や 或る問題の解決へ向けての運動として考えられる。  けれども 個人の二角関係のうちの 男女の対(ツイ)関係における婚姻という結びつきは 四つの力が統一的にはたらいているかも知れない。     *  さて このうち 意志の力に注目する。  そうして 事例を男女のツイ関係から ふつうの市民どうしの二角関係に移す。  ツイ関係が 互いに自由で対等であるのと同じように 人と人との二角関係も そうである。わづかにそこには 歴史的な身分関係などのヒズミが作られ社会的なシガラミを引きずっている。  一定の組織や全体としての社会組織の権限関係などから 公式の権限によるにしろそれにまつわる非公式のチカラ関係によるにしろ その人間関係には まなざしを上からそそぐ者とそれを下で受け取る者との上下関係が発生し 何かとまとわりつくようになる。  となると 根源的なワタシはややもするとないがしろにされ ただそこにいる《とにかくワタシというもの》が目にとまるだけのようになり 果てはその《そこにいる》ことの社会的な力学のみによって クウキという名の幻想的な場が築かれる。  このクウキにしたがうにせよ クウキの醸し出される元から実際にガミガミ言われるにせよ そこでの人間関係は ガミガミ役とそのデンパを受けるアース役との二角関係となりがちである。  このアース役の受動的な重力としての意志 これが いわゆる無縁慈悲なるチカラである。  社会を支えている。  自由なご見解を寄せてください。