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なぜ選挙は権利から義務にならないの???

  • 質問No.3214305
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お礼率 4% (49/1177)

以前、http://personal.okwave.jp/qa3211295.html  で質問した者です。  一言言わせてください!
じゃあなぜ義務にしないの???
それかどこかの国みたいに選挙に行かないと法律で罰則を作るとか・・・
そうすれば投票率100%に一気に近づくと思います。
それではだれかれかまわず投票すると言う人がいますが、今回みたいにメディアに踊らされて無党派層は党をころころ変えてるんですから同じだと思います・・・
なぜ義務化しないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.11
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ベストアンサー率 52% (32/61)

どうも。

確かに義務化してる国はいくつかあるみたいで(民主国家でです)、それもひとつのやり方だとは思います。
その方法を、絶対的に否定するつもりもありません。

ただ反対論の理屈から言えば#7さんの仰るとおりで、私もそれに同感です。
ましてや現在の「権利」制度であっても(ずっと実質的にも法的にもこの国を運営してきた政権与党は)投票率の向上を望まない方針なのか、何ら有効な策は行じてこなかったくらいなので、仮にそれらをクリアしてただ「義務化」にしただけでは、効果は期待できずにデメリットばかり表出するのではないかと思います。

私の個人的な考えとしては、選挙権は「権利」であるべきだと信じています。

その前に、
まず前提として(質問者様もご承知の上だと思いますが)。
前の回答で述べましたが、もちろん私自身欧米主要国の成熟した民主国家のように、日本国の選挙も投票率8,90%になってほしいと切実に望んでいるのは間違いありません。
ですが見誤ってはいけないのは、『それら諸外国並みへの投票率向上は物凄く重要ではあるがそれは「手段」の一つであって、目指す「目的」ではない』ということです。
別の言い方するなら、
「目的(≒目標)」は『より健全に民主主義が機能するかたちであること』であって、そのためには諸外国並みの高い投票率が当然必要なはずだ(≒「手段」)、ということです。

ただ質問者様も、その事にある意味賛同してくださって「数字を上げるための義務化の有効性は?』とお考えになられての、このご質問だとは思います。

既述したように必ずしも義務化を否定しないし効果も期待できなくはないとは思いますが、(既に出てるように)当然にそのデメリットの可能性もあるわけです。
一方、現実に欧米主要国がそうであるように「権利」のままでも投票率8,90%の実現・定着は可能なわけです(対するデメリットは、現在の状態がその一つではないでしょうか)。

要するに完璧な制度なんてないわけで、どちらがより民主的でより健全で、目指すべき制度に相応しいかといえば、
私は、国民が、イヤ「国民側から」権利を行使するという方法の方であるべきで、民主国家とは本来そうあるべき(国民から≒国民主導)だ、と信じているからで(それが夢物語ならともかく、理屈からも現実的にも可能ですから)、どっちにしたって最後には主権者が責任を負うのだったら「自分らから動く」ことの方が最後には納得できると、私は思うからです。
青臭い考えかもしれないけど、「なんで主権者が国のことを判断する際に、その行動行為を国から強制(?)されなきゃいけないんだ」と思うからです(当然、個人の選択判断が自由だとしてもです)。


では、どうしたらいいか。
私は、『国民の意識を上げる』、これしかないと思っています(これは義務化にしても権利にしても、どちらにしても必須です)。

ただこれは面倒だし時間も掛かります。
でも、そもそも民主主義とは手続き多くて面倒だし(独裁制や共産体制に比べれば)特別スピーディーとは言えない制度ではないでしょうか。
私は現在、とても国民の政治への意識が高いとは思っていません。というか明らかに低いです。
たとえば、私はこちらのサイトを利用するようになって1年経っていませんが、この政治カテに参加される方(≒関心なくはない方)でさえ、国政のごく基礎の基礎でさえご存知でない様子があまりにも多く見受けられるからです(偉そうに聞こえたらご容赦いただきたいのですが、本当に基礎の基礎で、中学生で習うレベルです)。
その文脈から、礼節も倫理観も一般的な社会常識もわきまえていて(たぶん)それぞれ相当の社会的身分にも就かれておられると想像できる方々が、(少なくとも私が知る限りの)基礎の基礎の「基本的な議会制民主主義の仕組み」「与党・野党の与えられた権力・求められる役割の違い」「国会議員に与えられた基本的な権力・役割の種類」などを、明らかに誤った信じ込みか違う理解をしているとしか思えないような突込みを言ってる方が想像より遥かに多く見受けられるからです(これは野球で言えばグラブやバットの使い方やスコアボードに書かれてる意味を理解してないで、プロの試合に出ているようなものです。投球ボールをグラブで捕球しそのボールを自分で野手のいないフェアグラウンド内に投げて「何がいけないんだ、隙間にボールが落ちてんだからヒットだろ?」って言ってるようなもので、上手いか下手か以前の問題で下手だとしても基礎ルールの共通認識は整えておくべきではないでしょうか)。

私は、日本のマスメディアにかなり物凄く不満があります。
そりゃ今すぐ欧米レベルのマスメディアへと改善してくれることを望みます。ですが仮に現在のままのマスメディアだとしても、上に挙げた程度の基礎の基礎の意味の共通認識があれば(=その程度にでも大多数の国民の意識が挙がれば)、少なくともニュース番組ひとつ取っても今までとは見方がまるで変わってくると思います。
それ以前に、TV・新聞などマスメディアは第四の権力と呼ばれるように、時の政権をチェックし、時には批判するのは、世界中の民主主義国家では至極当たり前の役割・役目であることの共通認識さえされていないのです(何でもかんでも批判してもいい、と言ってるのでは断じてなく、前提としてそれが重要な役割として存在しているということです)。
たとえば(信じられないくらいよく聞く)「何で総理大臣を批判するんだ、自分たちの国の総理だぞ」でなく、「総理への批判は的を得ているのか、対する総理の言い分を聞いて、どちらが正しいと思えるのか、どちらに自分は納得できるのか」であるべきで、
国の最高権力者である総理大臣はその強大な権限を国民に行使するのだから、マスメディア(や、もう一方の国民の代表者・野党の政治家)がその執行内容・責任について説明を求めたり、時には追求するのは至極当たり前の作業(役割)であるので、その批判行為自体に文句を言うのは的外れで、その批判内容と総理の言動とのどちらが正しいと思うか納得できるか、それを主権者が判断するための材料にすればいいだけのはなしなわけです。
それどころか、逆に時の政権の賛美ばかりして問題点を指摘せず、まるで政府広報報道みたいにマスメディアとしての役割をせず、私たち主権者にその判断材料を示さないようになれば、それは民主主義の崩壊につながってしまいます。

また、与党側でよく見られた言動で「民主党は実績を何残しましたか、私たちの実績を見てください」的な演説を普通にVTRで流してますけど。このあとにマスメディアは必ず国民に説明をするべきだと私は思っています。これは国民の利益になる公平性のあることです。なぜなら(現在のこの国の政党政治を見れば)政権与党が実績を残せるのは当たり前だからで、野党がそれに比べて圧倒的にないのも当たり前だからです。言うまでもなく、どんな法案も過半数の議決を得られなければ可決しないからで、その過半数を得ているからこそ「与党」と呼称されるわけで、小選挙区制になり党執行部が選挙を仕切れるようになった現在ではまず造反議員は生まれないからです(それが望ましいカタチかどうかは別問題です)。
ですから、マスメディアはそのVのあと必ず「それは選択基準にはなりませんね」とでも言っていいわけです。視聴者がそれを聞いて「おたくの局は反自民か」とでも抗議してきたなら丁寧に上記の理由を説明すればよく、あまりにも異常に多くクレームが来たならそれこそ多くの有権者がその程度の基礎を理解していない証拠となり、次の番組で懇切丁寧にそれを説明するための特集をやる理由にもなります(無論それに対する疑問・クレームも堂々と受け付ければいい)。この作業が行われるだけで話題にもなり、それが意識の向上にも繋がります。
また、ある程度意識のある方がいれば、上記のようなVTRを(公平性を言い訳にし)垂れ流してる番組を見たなら、その人が家族にでも知り合いにでも、いつか話題がでたときにでも、「あれは判断材料にはならないでしょ」とでもひとこと言えるし、現在でも勿論いるだろうがその割合がさらに増えることが期待できるでしょう(5人の中で1人だと言い難いし無視されるかもしれないが、一人増えて2人になればそれだけで耳を傾けやすくなるのではないでしょうか)。
そういう人の割合がわずかに増えるだけで、いずれ今度はそういう適当な番組は見なくなるし、そうなれば淘汰される(極端に言えば、やらせ番組を見捨てるように)。
TV局というのは良くも悪くも数字が取れなければ改善する、ニュース番組の(ここでの意味の)改善とは、「より丁寧になる」ということではないでしょうか。
これの繰り返し。という好循環が期待できるのではないでしょうか。


それから、
>今回みたいにメディアに踊らされて無党派層は党をころころ変えてるんですから同じだと~

メディアに「躍らせれて」は確かに歓迎すべきことではありませんが、それは今回に限らず前回の衆院郵政選挙も同じか明らかにずっと顕著だったはずです(実際それで与党は大勝し野党が大敗、立場が変わっただけでは)。
「前回は政策で」ともし思われるのなら、私には甚だ疑問です、本当でしょうか。メディアは今回の比じゃなく毎日のように「抵抗勢力」「ホリエモン」「官から民へ」「改革か後退か」などなど、フレーズばかり先行して、野党の政策はマトモに取り上げもせず(もちろん押しが弱かったが)「非改革派」とまで一部でレッテルを貼り公平な判断材料を提供せず、本来与党にはそれまでの(5年間の評価や前回国政選挙のマニフェスト成果の検証)実績で判断すべきなのに、一部の方などそれらをすっ飛ばして解散後の総理のTV会見たった一つで「感動した」などと一時の感覚だけで投票行動を決められ、のちにその感覚で動いた層こそ現在痛みを背負ってしまってます(もう一つ言えば、公明創価の組織票がなければ、民主が勝ち民主党政権があの時点で生まれていたという試算もあります)。
問題は、その程度で思考停止してしまう国民の意識の方にこそ、あります。
国民の意識が高ければ「抵抗勢力って自民党内でやってくれ」「ホリエモン?どうでもいい」「財投の仕組みは既にないし、現在の公社でも税金一円も入ってない郵便職員が民間人になって民営化しても国の財政には何も関係ないし、そもそも公社を改革する権限は政府与党にあるのにやってきたの?」「ハナから誰一人改革自体には反対していません、双方がどのように改革してゆくつもりなのか、その違いを公平に提供してくれ」といくらでも疑問は生まれるでしょう(正誤は個々人の自由です)。

また、「ころころ」はともかく、無党派層がその時々に支持政党を変えるのは至極真っ当な行動です。
あらためて言いいますが、主権者は国民です。
主導権・主体は国民にあるのです。
それとも、どこかの一政党に依存する無党派層であったほうがいいのでしょうか(それを無党派層と呼ぶのでしょうか)。
国民は自分で考え自分で確認し自分で納得すれば、その時々に自分の考えにより近いところを支持すればいい。間接民主主義のこの国では、この行為は至極真っ当なことだと思います。
まず前提として、「絶対に正しい選択などない」ということです。
あるのは、その「本人、家族、知人・友人回りの社会にとって」正しいと思う選択をすればよいだけのことで、誰もが正しいと信じて選択していて、その善し悪しはすべからず「相対的な判断による選択」である、ということです。



最後に。
ちょっと話が逸れますが。
こういうこと書くとごくたまに、「反権力主義ですか、自国の総理大臣に従わないのですか」と、的外れなレッテル張ろうとする一部の方がいますが、
そういう方は何か勘違いされてるのではないでしょうか。
総理大臣とは、将軍とも王様・貴族とも違うし、超一流スポーツ選手でも人気タレントでも大会社の社長や大富豪民間人とも全く違います。
もちろん敬意は表すが、絶対者じゃない。この国の公人中の公人であり、最高執行責任者の権限を正当な選挙により主権者たる国民に与えられてはいるが、その権限は国民に行使されるものであるのです。
その際の説明責任や批判されるのが嫌ならば、最高権力者の権限で自身を「罷免」すればよい、それ(辞任)を決める権限もまた総理大臣にはあるのだから。
なかにはこんな当たり前の原則を知らずか、「かわいそう」や「いい人じゃない」などまるで隣のおじさん扱いしてて、最高責任者の立場を自分らのレベレに引きずり落としてる、それの方がよっぽど失礼だし、よっぽど「かわいそう」ではないでしょうか。なかには「かわいそうだから、がんばってほしい」と、ナントカ王子かなにかと同列視してるかのように的外れな発言をしています。

内閣総理大臣とは日本国の最高責任者であり、自衛隊という実力部隊の最高司令官でもあり、国の公権力の行政権と立法権(事実上の実行力)を行使できる権限を持つ、この国の大半の国家機関を指揮監督できる最高権力者です。
一市民が、それほどの強大な権限を持つ現職の権力者を哀れんで、どうしようというのでしょうか。
蔑む必要は全くないが、意味もなく崇め奉る理由も全くない。
この国は民主国家で主権者は私たち国民です、その地位・資格を考慮に入れて主権者としての権利を主張することは、社会的義務を果たし公共の福祉に反しなければ、なにを誰に言っても全く構わないはずです。

これは言うまでもなく、
政権党が自民党だろうが民主党だろうが、この国が民主国家である限りどこに対しても、全く同じことです。



それはそうと、現在、ただの一度も主権者からその権限を与えるべく正当な信任を受けていない最高権力者が、これから数ヶ月もこの民主国家で権力を振るい続けることになりそうですね。



大変長文失礼しました。

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  • 回答No.10

ベストアンサー率 11% (4/35)

適当に票を入れる人が増えると、
国が良くなるため、真剣に考え、情報を集め、投じた票の効果が薄くなります。
罰則よりは国民が理解できる政治作りをしてほしいですね。
そうなると政治家は都合悪いのでそんなことしてくれないんですけどね。
  • 回答No.9

ベストアンサー率 29% (744/2561)

近所で問題になったことがあります。
特定の候補者をきんじよで支持しているので、他の候補者に投票しにくい環境にありました。
それで、
怪我したことにして代筆を頼んだらば、手が動いたので拒否された
とか
投票用紙をそこで見せるような風潮をあおる広報誌を市町村が発行した
とか。

義務化すると、人々の考えが反映することなく、特定の権力者の支配化になってしまうのです。
それで、民主主義の原則として、無記名、自由投票。つまり、投票しない自由も保障しているのです。
ただし、国会の場合には、国民の代表としての投票しますので、有権者が自分たちが選んだ人が変なことをしていないか、を監視できるように、記名投票になっています。
  • 回答No.8

ベストアンサー率 19% (24/125)

その通り!ですが、
適当に投票する浮動票が増えて、どう選挙を展開していいかわからなくなると受かりにくいから、そんな自分に都合の悪い法案を通すわけありません。大半の議員さんは固定票(支持政党や宗教、労働組合)をもとに支持基盤を固め、当選していますから。浮動票は増えれば増えるほど固定票の割合は薄まります。いみがないから行かないというのは思う壺なんです。
あ、あと訳のわからん候補者が立候補したりしますが、それも固定票以外を割らす、作戦のひとつだったりします。だまされないようにしましょう。こんなことは国の考える義務教育では教えられるわけがありません
  • 回答No.7

ベストアンサー率 37% (61/164)

憲法15条の選挙権解釈として選挙権は権利としての側面と公務(義務)としての側面があると通説で言われています(二元説)。

義務を明示化するには憲法改正が必要ですが、憲法とは基本的に権力を抑制するためのものなので、義務を明示するべきではないと思います。

今のところ罰則(逆に投票に行った人に免税措置でも可)の場合は必要ならば認められるかもしれませんが、投票率は高くならない方が与党にとっては都合が良いのでそのような政策は今まで取られませんでした。

投票率を高めるとともに投票者の質を高めるのには地道な活動が必要です。
  • 回答No.6

ベストアンサー率 23% (3656/15482)

「無党派層は党をコロコロ変えるから同じ」っていってますけど, 無党派層の投票が増える分だけ「真剣に考えている人」の影響が減ります. その結果, 今よりさらにブレが大きくなることが容易に想像できます. それが社会システムとしてよいかどうかは検討すべきだと思いますよ.
もちろん, 最終的には「どちらを選ぶかは国民に委ねられている」んですけどね.
  • 回答No.5

ベストアンサー率 33% (813/2428)

>なぜ義務化しないのでしょうか?
 その必要がないからでしょう。投票に行かない人間は政治に参加していない、よくそういった主旨の言葉が使われます。しかし現行制度化ではそうではありません。選挙に行かなかった人間は「白紙委任」なのです。どの等が勢力を伸ばし、どの等が衰退してもかまわない、日本がどの方向に進もうが自分はそれについて行く、こういった人間が「選挙には行かない」という選択をします。もちろんそれぞれに言い訳?はあるでしょうが、結果的にそうなります。
 事務的なことをいえば、投票率が高くなるということは開票作業が厄介になります。ほとんどの選挙管理委員会で投票するように呼びかけをしている反面、開票作業の迅速化を謳っています。このふたつは明らかに矛盾しています。選管のみならず選挙結果をできるだけ早く知りたがるマスコミ等は実はあまり投票率が上昇しないことを願っているのかもしれません。
  • 回答No.4

ベストアンサー率 20% (265/1321)

 確かに各種選挙の投票率が低いのは、気になります。
 有権者が政治に無関心なのか、国民に関心を持たせる政治をやらない政治家が原因なのか、一概に言えませんが、少なくとも先進国で投票率の低い国は、少ないそうです。 
 しかし、質問者さんは、日本が民主主義国家だという事をお分かりでしょうか。
 民主主義の基本は、基本的人権の自由の尊重です。
 選挙で誰かに投票することは、基本的人権の思想信条の自由に基づく行動です。
 自由に基づく行動だから、権利なのです。
 ですから、投票に行く・行かないは個人の自由なのです。
 投票に行かない人は、自らの権利を放棄した事になるのです。
 反対に、思想信条の表現行動(投票)を義務化すれば、民主主義国家でなくなることです。
 選挙は、投票率の為にあるのではないのです。
 ちなみに、北朝鮮の選挙もどきは、常に投票率が100%みたいです。
  • 回答No.3

ベストアンサー率 16% (179/1067)

投票率も選挙の要素のひとつだからです。
投票率が高くなれば、高くなるほど与党が負ける確率は増えます。
与党と野党の政策なんて関係ありません。これは、政治家なら経験上
知っていることです。(自民党の大物がかつて漏らしたことも
あります)

一般的常識では判断できないかも知れませんが事実です。
他の例は失業率です。投票率を100%にする発想と
おなじように企業に働ける人を全部雇用するように強制し、
完全雇用にしたとします。必ず不況に陥ることが、経済学では
分かっています。
  • 回答No.2

ベストアンサー率 8% (71/794)

義務にしたら与党が負けるからですな
  • 回答No.1

ベストアンサー率 10% (1/10)

僕もそう思います
どこの国か忘れたけれども選挙に行かなければ罰金だそうです
ある商店街では投票したという印があったら
割引き券とか無料券にして投票率100%めざして頑張って
いる商店街がるんだって
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AIエージェント「あい」

こんにちは。AIエージェントの「あい」です。
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