• ベストアンサー

なら、たら

親も親なら子も子だな。 この文章の「なら」は接続詞「ならば」のならですか? それとも、断定の助動詞「だ」の仮定形ですか? また 食べたら片付けましょう。 この文章の「たら」は接続詞「したらば」のたらですか? それとも、完了の助動詞「た」の仮定形ですか? また、「なら」や「たら」の場合、どういうふうに見分けたらいいのでしょうか。あるのでしたら教えてください。 お願いします。

noname#39977
noname#39977

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.2

こんにちは。6/29のご質問ではお返事を有難うございました。 ご質問文にある、 <接続詞「ならば」と断定の助動詞「だ」の仮定形> と <接続詞「したらば」と完了の助動詞「た」の仮定形> はそれぞれ全く同じ用法です。 ご質問1: <この文章の「なら」は接続詞「ならば」のならですか? それとも、断定の助動詞「だ」の仮定形ですか?> (1)断定の助動詞「だ」の仮定形です。 (2)ちなみに、接続詞「ならば」は 「なら」:断定の助動詞「だ」の仮定形です。 「ば」:仮定を表す接続助詞です。 に分解されます。 ご質問2: <この文章の「たら」は接続詞「したらば」のたらですか? それとも、完了の助動詞「た」の仮定形ですか?> (1)完了の助動詞「た」の仮定形です。 (2)ちなみに、接続詞「したらば」は 「し」:サ変動詞「する」の連用形 「たら」:完了の助動詞「た」の仮定形 「ば」:仮定を表す接続助詞 に分解されます。 ご質問3: <「なら」や「たら」の場合、どういうふうに見分けたらいいのでしょうか。> (1)なら: 1)断定の助動詞「なり」は、活用語の連体形と体言に接続します。 2)ご質問文では、体言「親」に接続しているので、断定の助動詞だとわかります。 (2)たら: 1)完了の助動詞「たり」は、活用語の連用形に接続します。 2)ご質問文では、下一段動詞「食べる」の連用形「食べ」に接続しているので、完了の助動詞だとわかります。 以上ご参考までに。

noname#39977
質問者

お礼

回答ありがとうございます

その他の回答 (1)

  • garamond
  • ベストアンサー率53% (1119/2111)
回答No.1

「親も親【なら】」=断定の助動詞「だ」の仮定形 「食べ【たら】」=完了の助動詞「た」の仮定形

noname#39977
質問者

お礼

回答ありがとうございます

関連するQ&A

  • 仮定法内の時制

    仮定法において仮定するのが現在なら過去形、過去なら過去完了形をつかいますが、その条件節に関係詞節がついてる場合その関係詞節内の動詞の時制はどうすればいいのでしょうか?主節動詞にあわせるか条件節の動詞に合わせるか、それ以外の要因で判断するのか、教えて下さい。よろしくお願いします。

  • 無し+なり

    古語で、形容詞”無し”と断定の助動詞”なり”を接続する場合、”無かるなり”と”無きなり”どちらが正しいのでしょうか???? また、伝聞・推定の助動詞”なり”と接続する場合と形の上で区別することは可能でしょうか????

  • 文法の断定の助動詞「だ」についてご教示ください。

    文法の断定の助動詞「だ」についてご教示ください。 彼<なら>きっと合格するでしょう。 上段の文章について、<なら>の品詞の識別は、断定の助動詞 で間違っていないでしょうか。 体言にくっついているのと、活用の仮定形というところで 判断したのですが。。。 お手数ですがご教示いただけませんでようか。。 よろしくお願いいたします。

  • 「思へるなり」の「なり」は?

    完了の助動詞「り」の連体形の後に「なり」が接続して、 思へるなり といった表現になっている場合の「なり」は、ラ変型の連体形に接続しています。理論的には、断定でも伝聞推定でも構わないと思いますが、これまで見た用例だと断定ばかりだったような…考え方と用例を挙げていただければ助かります。よろしくお願い致します。

  • 「なりぬ」「たりぬ」

    断定の助動詞「なり」や「たり」に完了の助動詞「ぬ」を接続させ、例えば「我なりぬ」「大臣たりぬ」などは文法上は可能と思いますが、実質的な意味がないので実際には不自然でしょうか。短歌などで念を入れて言い切りたい場合や音数を合わせるため一音入れたい場合等で、使いたいと思いますがどうでしょうか。実例がなかなか見当たらないのですが、あったら教えて頂きたいと思います。

  • 古文の文法「たり+む(たらむ)」の訳し方について

    古典文学を読んでいて、ある文章について悩んでいます。 助動詞の「たらむ」なのですが、一般的によく見られるのは、<完了の助動詞たり>に<推量の助動詞む>で「~しているだろう、~したのでしょう」という口語訳だと思います。 しかし「む」を<仮定>とする訳し方もあるようで、その場合訳し方としては「~したとしたら、~したかもしれない○○(後に体言に付く場合)」で良いのですよね? また、推量と仮定が識別できる何か分かりやすい方法が有りますでしょうか。 古文の文法について詳しい方、どうぞ教えて下さい。

  • 助動詞「なり」の判別

    宜しくお願いします。 古典文法、助動詞の判別についてです。 助動詞「なり」について、以下のような場合、伝聞推定か断定かどう判別するのか教えて下さい。 ~といひたるなり 上記の場合、完了の「たり」がラ変型活用なので接続では伝聞か断定か判断できないと思うのです。 「なり」がラ変型のものに付く場合の判別は文脈によるしかないということなのでしょうか。 詳しい方、ご教示お願いします。

  • 文章における分詞と動詞、それに伴う疑問について

    実にバカらしい質問かもしれませんがお付き合いください。 現在完了の文章を文法的要素(SVOC)で分解していたとき ふとhave+過去分詞の分詞がCなのかOなのか悩んでしまい 最終的にhaveは助動詞、過去分詞はVということで落ち着いたのですが。 今まで私は分詞は基本的に形容詞と覚えてきました。 事実、過去分詞や現在分詞で形容詞として働くものをいくつも見てきました。 そこで悩んだことが今回質問したいことです。 分詞が形容詞、動詞とその両方として働けるのならば 文中に動詞が存在する場合は形容詞として働き。 存在しない場合には動詞として働くと 楽観的に考えていいものなのでしょうか? また、これも初心者考えなのかもしれませんが 今回の前提条件であるhaveは助動詞、過去分詞は動詞という考えですが。 なら現在(過去)完了受動態の場合どうなるのでしょうか。 have(had) been 過去完了  この場合haveは相変わらず助動詞として beenは形容詞としての分詞、過去完了のほうが動詞として扱われるんでしょうか? 疑問はとどまらず、さらに質問なのですが 受動態の時、be動詞+過去分詞となっていますが この場合 be動詞はV、過去分詞はCとなると考えて正しいのでしょうか。 受動態の文章はSVC(by~)となるわけですが この受動態の文章を能動態に変換すると S(~の部分)V(元はCの部分)O(受動態での主語) という風な変化がかかってると思うんですが。 はたしてこの解釈は正しいのでしょうか? 現在仮にとはいえ人に物を教えるため このあたりははっきりさせたいです。 内容がぐちゃぐちゃしており、読みにくいかと思いますが ひとつよろしくお願いします。

  • 日本語の文法用語を英語で

    以下に示す日本語の文法用語を英語で何と言いますか。 ①未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形 ②名詞、動詞、形容詞、形容動詞、連体詞、副詞、接続詞、感動詞、助動詞、助詞

  • 以下の日本古典文章の訳しかたを説明してください。

    以下の日本古典文章の訳しかたを説明してください。 『子というものなくてありなむ』 (子供というものはないほうがよい。) 「子というもの」は分かります。そのままですよね。 「なくて」→ク活用形容詞「なし」の連用形+接続助詞「て」 で間違いないですか? 「あり」→ラ変動詞「あり」の連用形ですよね? 「な」→確述の助動詞「ぬ」の未然形ですか・・・? 「む」→適当の助動詞「む」の終止形ですか・・・? また、「子というものは無い・・・良い」までは分かるのです。 「子というものはなくて・・・なむ」からの訳出として考えれば理解できます。 しかしどうして「無くてありなむ」が「無い方がよい」になるのですか? この場合の「あり」はどういう意味なのですか?