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日本語とその標準語の成立

  • 質問No.3160910
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お礼率 100% (3747/3742)

1. ことばは国家以前の歴史や根っこと基底があるものだと思うのですが、そう思うと、国語という単語には、ことばを指す単語としては抵抗を感じてきます。これは専門の方からみると、誤解なのでしょうか? 2. 昔も今も、私のですが、人のことばはとても意味や想いがあって、それを規制するのは、いけないことだと存じます。方言というと、何か地方の偏ったことばのイメージで受け取るけれども、標準語と方言とはどちらが、より言葉として存在性があるのでしょう? 3. 私は浅草で生まれ、育ち、東京を離れたことはない。無精だから。40年以上の大学図書館時代も、出来るだけ出張は避けた。いったらもうそこのことばと風景に引き込まれて、出張期間が過ぎても、電報して帰らない。そんな私に、方言の方が標準語より、語彙も語の意味も、感情も豊富で、人間の本当のことばだ、と教えてくれた、二十歳の女性との雑談があった。3. 標準語って、いつどういうふうに成立したのでしょう。 4. 東京でしか生活してない、私にも、この近所の先輩(四十八組の一番つっさき、鳥追いさん)の語調や言葉は、標準語ではないようです。これも方言でしょうか?この方々の呼吸のつなげ方は、決してアナウンサーのものではない。日常の普通の感情で、向かっていられる。のです。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.3
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ベストアンサー率 20% (327/1580)

明治までは、正式な文章は漢文でした。会話文や会話語は各地にありましたが、共通語としての国語はありません。そのため、遠隔地の方言どうしは通じないために、一応全国に流布していた狂言のことばで意思を疎通したという話もあります。また、江戸には各地からの武士が来るために、遊郭では郭ことばという誰にでもわかる表現法を開発しまた。「~でありんす」という表現です。

明治になって、国語(共通語)の必要性を感じた教育者は、英語を国語としようと真剣に考えたそうです。森有礼という日本近代教育の大御所が本気で考えていたところ、アメリカに反対されたそうです。

明治中期になって、日本でもやっと国語教育が始まります。正岡子規が国語教育の黎明期に当たるのですが、彼がならったのは祝詞です。国語の教師は神官です。この事例が示すように、国語というものが明治期にいたるまで、まった確立されていなかったと言うことでしょう。
国語の歴史とは、せいぜいその程度です。そのため、文法も継ぎ接ぎで一貫性がありません。

因みに、現在標準語の語尾で使われる「です」は郭ことばの「でありんす」が変化し、明治時代に山の手の婦人達が使い始めたことで定着しました。
補足コメント
krya1998

お礼率 100% (3747/3742)

(1)強制と画一という、単なる批判ではすまない、やはり先人たちの苦労の中での国語の成立と発達という経過の側面もあったのですね。歩みの難しさで、なんか善いことの反面、つぶしていかなければならないこともあるということですね。そういう中で歴史や個人の人生は歩むのが、仕方ないことなのでしょうかね。  (2)でも森有礼の企図をアメリカが反対したというのは変な話ですね。 (3)言語の消滅や変化というのは押しとどめるだけではなく、時の変化の中で育てることも考え、しかも保存はしたいですね。昔の方々がどんな呼吸と会話、そして思考、更には思いを、どんな言語でしていたか、昔に帰って知りたい気持ちになっています。
投稿日時:2007/07/12 18:02
お礼コメント
krya1998

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狂言ではステージという、比較的普通化的なことばですし、遊郭は社交の場でもあったのでしょうね。漢文が公文書では、多くの人には縁が遠いですから、いわゆる政治的な意識性というのでは困りますね。祝詞も一役買ったというのは、やはり、そうかという感じです。 本当にいろいろ詳細な事実をお教えくださり、ありがとう御座います。
投稿日時:2007/07/12 18:18

その他の回答 (全3件)

  • 回答No.4

ベストアンサー率 46% (116/248)

「国語」は、その国で標準と国が決めた言葉という意味で、日本では国語は日本語を指します。台湾の「国語」は中国語の普通話(大陸の標準語)に近いもの、アメリカには国語はありません。単なる定義なので、いいのではないでしょうか。
インドネシアの国語はインドネシア語ですが、これを制定したことでインドネシア諸島が一つにまとまって独立を保っていられると言語政策学では言われています。
「方言」は言語学では、地方に根付いた地方方言、世代で違う世代方言など、一つのコミュニティーで使われていることばを指します。琉球語が沖縄方言と呼ばれるようになったのは、琉球王国が日本国領土になったからのことで、地方方言と言語の差は、国境があるかないかだとはよく言われることです。
いろいろな国が、国策のために、たいがいは首都で使われている方言(日本の場合は東京方言、中国は北京方言)を基にして、標準語としているのが現状かと思います。krya1998さんの東京方言も、他の地方方言にはない「人間の本当の言葉」が十分に滲みていると思います。標準語は作られて規制されている言葉ですが、実際に人々が話しているのは、世代方言であり、地方方言だと思います。
そういった方言は境界線が曖昧なので、言語教育をするときに困難さが生じます。日本語(国語)の教科書も標準語が合った方が作りやすいし、そのほうが教育が浸透すると思います。地方方言や世代方言をいやしむような心がいけないのであって、国語の概念や標準語そのものは必要なのではないでしょうか。

標準語の成立に関しては、以下のサイトはいかがでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%BA%96%E8%AA%9E
補足コメント
krya1998

お礼率 100% (3747/3742)

日本も、原則的に成文法主義できていますから、法令や法廷での使用言語を定めている。そんな法令と条項があったことを記憶しております。たしか日本語を使用する、というような文言でした。国語という用語はそういう法令では使われていなかったと記憶します。もちろん、貴兄様のご回答の前のご回答で、わが国の共通的な言語が出来てくる前の先人のご苦労を勉強しました。ある程度まとまっている、一つの日本語標準語がある私達も、為政者も為政機関も仕合せというべきですね。それにしても世代方言ということばに遭遇することができ、その合成の仕方にはちょいとつらさを感じますが、たいへん勉強です。しかし同じことば、そしてお話が、その話し手で、意味や深さがずいぶん変わることを経験的に知り、とても不思議な感じがします。言霊の想いもそんなところから来ている面もあるのでしょうね。私もヒンドゥの勉強をしていますが、やはり教祖や会長の言葉は日本語ではなくても、日本語と同じ以上に染みとおります。ちがう人の文章は、同じことばなのに、何をいっているかまったく、わからない。失礼ながら。そんな経験で、ことばの不思議さ、その人とは決して切り離せない、やはり言霊なのでしょうか?
投稿日時:2007/07/13 07:35
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krya1998

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お礼を申しあげるのを失念して、つい長広舌(釈迦ではないが)をしてしまいました。まことにありがとう御座います。人間が創られている、基本材料は同じ宇宙の基本材料ですから、どこの言語の方も同じなのでしょうが、でも日本語と私達との感情や気持ち、付き合い方は、何か他の言語の方々とやはり違うところが多いかも知れませんね。いろんな気持ちや文化、そして言葉が流れ込んできている私達ですが。いやまたすみません。ありがとう御座いました。
投稿日時:2007/07/13 07:43
  • 回答No.2
kaitara1ですが不注意なミスタイプをいたしまして失礼いたしました。残念ながらどういうことでも強いものによって統一されるという原則があるようです。日本列島でもアイヌの人たちは文化や言語を失った人たちになっています。われわれは被害者でもあり加害者でもあるというのが公平な見方ではないでしょうか。近代においても日韓併合や姓名変更などのこともあります。また世界中でいわゆる少数派言語が激しい勢いで滅びつつあるそうです。個人についても自分らしさというのが大きな問題になっているはずです。やはりお互いの存在を認め合えるというのがもっとも望ましいだろうというのが平凡ながら答えかなと思います。お国自慢も相手を認めたうえでないとやはりまずいのでしょうね。
お礼コメント
krya1998

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たびたびありがとう御座います。お教えのことが事実なのでしょうが、少なくとも、これから、少なくとも個人としては、こういうことに気持ちを向けて、少数とか、大勢ではないとか、個性性とか謂うことや、みんなが無視したりすることにも、そのままそれに乗っていかないようにしたいと、難しいけど、思っています。自分も実はタイプミスで、57年前は12ですから、もうちょいと前です。
投稿日時:2007/07/12 18:01
  • 回答No.1
やはり西洋流の国の単位として日本列島くらいの大きさで痰に角言語が必要だったのだと思います。要するに軍事的な要請だったのではないですか。井上ひさしさんの小説がありますね(名前は忘れました)。その後さらに国よりも大きな単位が必要となり旧ソ連はロシア語、西側は英語を押し付けてまとまり(命令系統)を確保しようとしたのでしょう。朝の子供向け番組を見ると跳んだり跳ねたり刎ねたりの兵隊に対する命令を英語でできるようにする一方、日本語は徹底的に茶化してまともに日本語で考えにくいようにしているように見えます。(これは方言と標準語についても同じ構造だと思います)方言の前に日本語すら危ないのが現状ではないでしょうか。
補足コメント
krya1998

お礼率 100% (3747/3742)

ご説明を読んで、「もう、うぅん」唸りました。(1)西洋的な国という、仕切りはずいぶん文化には罪悪を犯し、その根源んだなぁと。西欧近代国家、国民国家、その前の大航海時代というのは、暗黒といわれた中世の克服みたいに、教科書では勉強したものでしたが。西欧の基督教の権力の問題も大きいけれども。西欧文化に対してガンディー流に糸車を回せ、ではすまないし。 (2)朝の子ども番組にはそんな番組があるとはひどい話でした。 (3)方言の前に日本語が危ないとは、いよいよ以って、看過しがたい。
投稿日時:2007/07/12 16:02
お礼コメント
krya1998

お礼率 100% (3747/3742)

 早速にありがとう御座いました。 やはり、軍事とか、統率ということは、そういうことにまで、いくのですか。国家の成立とか、革命とか、古代も壬申の乱やたくさんの乱、革命がありました。その時その時に、事柄と規模は異なっても、同じ統率が為されてきて、呻吟させながら失わせていったものがたくさんあるのではないかと、統率に同調できない性格の私は、とてもつらい思いになっています。私は標準語ですが、人間として、生き方として、能力として標準にはなれませんで、何年たっても、いつまでも幼稚で、変人奇人なんです。 57年も前のこと、頼りにしていた、小学校の先生にも、突然にお前みたいのは、変人奇人だ、普通のことが理解し、通じない、個性や、凄いというのでもない。といわれ十にもならないときに、面喰らっていました。標準とか、枠嵌めとというのは、自分には受け入れができないけれども、それとともに自分としてはやはり、今後は抵抗しなければならないのでしょうか。そんなことまで考えてしまいました。でも小さい個性を大事にしていくようにします。        早速にありがとう御座いました。 
投稿日時:2007/07/12 16:33
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