• ベストアンサー

アレキサンダー大王が世界征服を達成していたら

”アレキサンダー大王が世界征服を達成していたら、地中海・近東・アジアにおいては「ヘレニズム的仏教」が世界の基軸思想となり「キリスト教」の出番は無かった。” 以上の様な言説をアーノルド・トインビー氏がしたらしいのですが、その「出典・著書」を何方かご存知ないでしょうか?

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数0

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

'If Alexander the Great Had Lived On', in Toynbee (ed.): Some Problems in Greek History (Oxford University Press, 1969):early steam engines are combined with early rail tracks to allow the Greeks to form a mighty empire.Arnold Toynbee considered what might have happened if Alexander the Great had not drunk himself to death in 323 B.C. at the age of thirty-three. … The world religion he envisions under a global empire ruled by a continuous succession of Alexanders is a hellenized version of Buddhism, highly plausible given the extraordinary similarity between the teaching of the popular Greek philosopher Pythagoras and those of the Buddha. これじゃないかな 出典が http://alternatehistory.net/discussion/showthread.php?t=60801 で、サイトが、もしかしたら、これもあった歴史かも というサイトなので、本当の出典にあたる必要がありますが、トインビーが書いているから、それもありだね、なんて感じで、トインビーの文章を引用しているので、これかも。

関連するQ&A

  • アレキサンダー大王が世界征服を達成していたら

    アレキサンダー大王が中国・インド・地中海世界を支配下に置いていたら、「仏教」教義と融合したヘレニズム的な合理主義が世界の根幹思想となり、その後の「キリスト教」は歴史に登場する出番が無かったと誰か著名人が言ったらしいのですが、これは妥当なところなんでしょうか?

  • アレクサンダー大王

    アテネオリンピックの開会式でアレクサンダー大王らしき像を見たのを覚えています。そこで疑問に思ったのですが、現代のギリシャ人にとってアレクサンダー大王はどのように思われているのでしょうか。彼はマケドニア出身で、アテネをカイロネイアで破ったので、ギリシャ人の敵にも考えられます。しかし 敵国ペルシャを滅ぼした民族の英雄でもあります。アレクサンダー大王はギリシャ人の英雄なのでしょうか、それともマケドニア人の英雄なのでしょうか?

  • アレクサンダー大王について。

     アレクサンダー大王がゴルディオンの結び目を解いた話の出典を教えてください。  情報お待ちしております。

  • 引用出典の表記方法について

    おはようございます! 引用出典の表記方法について質問です。 『世界の名著』、『世界の大思想』のような、ある特定の人物の著書を一冊にまとめ、翻訳してある本は編著なのでしょうか?それとも翻訳書なのでしょうか? また、その際の引用出典の表記方法を教えてください。 書名・世界の名著 巻次・7 出版社・中央公論社 出版年1998 引用頁85 各巻書名・プラトン 著者・田中美知太郎 この本で具体的に引用出典を書いていただけると助かります。

  • 人殺しと正義

    昔どこかで読んだ話ですが… 世界を征服したアレキサンダー大王の軍隊が砂漠で人殺しを捕まえました。人殺しは大王の前に引き出されます。 大王が「なぜお前は人を殺したのか」と問いました。 すると人殺しは「私は隣人を殺したから卑しい人殺しだが、あなたは隣国の人間を何万人も殺したから英雄なのです。」と答えたそうです。 この人殺しの理屈はそれなりに通っています。 両者もやっていることは同じですが、一人は人殺しで他方は英雄です。殺害の距離(つまり隣人か他国か)と規模 (一人か何万人か)が異なります。 この話を聞いて思い出したのですが、旧約聖書で神はノアを除いた人間を洪水で殺しました。 またエイズが同性愛者の間の病気だと知られたとき、悲しいことに心無い西洋の宗教の聖職者が、エイズは神の背信者に対する天罰であるといいました。 つまり殺した人数が 一人→卑しい人殺し 何万人→輝かしい英雄 人類ほぼ全部や、恐ろしい病気→崇められ、畏るべき神やその代理 になるわけです。 もちろん、アレキサンダーはギリシアに対する脅威を取り除いたのだとか、神は正しい人間は救ったのだからといって正当化するのは簡単です。 しかし自分にはそのような意見は単純すぎると思います。 理由さえあれば大量虐殺は正義のなのもとに正当化されるのでしょうか。 それなら他の犠牲の上に輝く正義の栄光とは何なのでしょうか。 それとも正義は個人の置かれた立場により異なる相対的なものなのでしょうか。 夜中に思うがままに書いたつまらない質問ですが、答えを聞きたいと思います。

  • アレキサンダー大王は東へ

     意味のない質問かもしれませんがアレキサンダー大王は東へ行き次々と征服していきましたが西の方、つまり古代ローマの方には関心がなかったのでしょうか?  その時代ローマよりも東方のペルシャの方が魅力があったとは思いますが西のローマの方も簡単に征服できたのではと思ってしまいます。なぜ東の方を選んだのでしょうか?   西にローマという国があったのは知っていましたよね?

  • アレキサンダー大王の墓について

    こんにちは。 アレキサンダー大王の墓についてお伺いします。 1.アレキサンダー大王はアジア遠征を終えた直後の紀元前323年バビロンにおいて熱病のため死去しましたが、その後同大王の遺体はどのように処理されたのでしょうか。当時エジプトではミイラ処理、ローマでは火葬、ペルシャでは風葬とさまざまな方法がとられていたようですが、同大王はいかなる方法によって埋葬されたか記録や伝承はあるのでしょうか。 2.大王の遺体は、バビロンからマケドニアに搬送される途上、部下のプトレマイオス将軍によって奪取され、エジプト・アレクサンドリアに移された後に陵墓がつくられたとされていますが、アレクサンドリアの具体的にどのあたりに墓が作られたのか記録や伝承はあるのでしょうか。 3.大王の陵墓の形状や大きさについて記録や伝承はあるのでしょうか。 4.大王の陵墓については、ローマ帝国のアウグストゥス帝やカラカラ帝が参拝したことが判明しているものの、その後の記録はないと聞きました。大王の墓はいつ頃誰によって破壊されたのか、現代ではどのように推測されているのでしょうか。

  • アレキサンダー大王の目的は?

    アレキサンダー大王の行動パターンは織田信長と通ずるように思いますが、彼は宿敵ペルシャに復讐する為にペルシャに侵攻しますが、ペルシャ征服後も進撃をやめずインドまで進んでいます。 この間に度々本国から増援を得て兵力の回復を図っていますが彼の飽くなき征服欲に部下の兵や指揮官の反乱が度々起こっているにもかかわらず、強圧的に鎮圧して進撃を続行しています。 勿論ペルシャ侵攻後次第に心境が変化したことは承知していますが、彼がそこまで進撃に拘った理由は何でしょうか? 単なる征服欲、病的な偏執狂だったのでしょうか?

  • アレキサンダー大王の眼

    アレクサンドロス3世、いわゆるアレキサンダー大王の眼がヘテロクロミアだった、 とネット上にありました。 フィリッポス2世とアレクサンドロス3世について、大学で2年間学んだのですが、 眼の色なんて知りませんでした。 ヘテロクロミアは飼っていた白猫がオッドアイでしたけど、人間では白人で稀にあるだけだそうですね。 でも、それはゲルマン系など色の薄い民族ではないでしょうか? ご存知の方がいらっしゃいましたら、お願いいたします。

  • 答えていただけるとありがたいです

    ご質問です。 https://biz.trans-suite.jp/20492 「地獄の裁き」の「地獄」とは、仏教の考え方における最下層の世界のことで、罪を犯した者が死後に生まれ変わる場所です。人間は死ぬと、この世とあの世を分ける三途の川を渡り、そこで閻魔と呼ばれる大王の裁きを受けます。裁きによる罪の重さによって、落とされる地獄が決定します。地獄には罪の重さに応じて段階があります。 地獄の思想は、浄土思想や平安時代の末法思想の広まりとともに人々に定着し、民間信仰となりました。お経の功徳によって地獄に落ちることを防げることから、当時の人々は熱心にお経をとなえるなどの信仰活動を行っていました。 と書かれていますが、人間が死んだら行くべき所は、もうすでに固定されているという事でいいんでしょうか? 天国地獄どちらかに行くというものは、そもそもなかったんでしょうか。 不安です。