• ベストアンサー

アメリカの慣習について

訴訟社会アメリカでは交通事故などが起こった時、先に謝った方が負け、という話を聴きますが、そもそもアメリカの慣習の中で、 ・反省の文化 ・謝罪の文化 というものは希薄なのでしょうか? また、アメリカンドリームを象徴に、欲望を叶えることに肯定的だと思いますが、欲望や損得が優先され、反省・謝罪は軽視されるという風潮が、アメリカには、あるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.2

「希薄」なのではなく、反省や謝罪におけるポイントが違うという事ではないでしょうか。 この問題を考える上で重要になると思うのが、集団における「個人」のあり方です。 良し悪しは別として、アメリカの場合は、強固な「個人」が存在し、その集合体が社会を形成しているという考え方です。 一方、日本における「個人」は、集団(世間)の中に埋没しており、個人は世間を騒がせない事が重要視されます。 この違いが、反省や謝罪の違いに繋がっていくのではないでしょうか。 以下に、アメリカ在住の日本人の方が同国における謝罪(と責任)のあり方について分析されてますので、ご一読ください。 http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-96.html http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-97.html http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-107.html http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-139.html ↓もご参考にどうぞ。 http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html http://imi.sfc.keio.ac.jp/lecture/textanalyze2001/guide/manual/2_5.html http://old2.josuikai.net/josuikai/21f/main53-1.htm

true-1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 社会と個人の関係⇒アメリカ社会 世間と個人の関係⇒日本 アメリカは法治国家で、ルールに抵触するのか否か、が全てであり、抵触しなければ、必要以上に反省・謝罪をしないということですね。 サイトは、とても参考になりました。

その他の回答 (2)

  • KeepGoing
  • ベストアンサー率17% (15/88)
回答No.3

No.1です。 >仮に、非を認めない慣習があれば、当然、「反省し、相手の前で、心より謝罪する」ことは稀有ということですね。 アメリカ人をかばうわけではありませんが、日本人でも「ごめんなさい」と口にはするものの、本当に心から謝罪している人って何人いますかね?状況、行為にもよりますけど。疑いだしたらキリないけど、「ごめんなさい」を口にする=常に心からの謝罪と取るのは違うかもしれません。 「結構いる」と書きましたが、「アメリカ人の殆どが」という訳ではないし、あくまで私の個人的意見ということです。

true-1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 謝罪すれば、反省しているとは限らない、というのは、確かにそうですね。腹の底では、あいつのせいだ、と思い、立場上、ごめんなさい、と頭だけ下げるケースが、ここ最近の日本社会の風潮とも言えそうです。 ただ、なぜ、アメリカはあれだけの凶悪犯罪がまかり通ってしまうのかは、本音と建前の使い分けの仕方と、本音において相手に衝撃を故意に与えてしまおうという慣習(悪口を言う場合)、に問題があるのではないか、と感じています。

  • KeepGoing
  • ベストアンサー率17% (15/88)
回答No.1

アメリカに住んでいたことがありますが、人によります。悪いことをしたのに謝罪しない人間は、やはり嫌われるし。けど一般的に自己主張が強く、自分の非を認めたがらないところはあるかもしれません。自分では普通に「ごめんなさい」と言っていたつもりでしたが、「お前は謝り過ぎ。「ごめんなさい」はやたら口にするもんじゃないよ。」って言われたことあります。 それと個人的意見ですが、「人間は完璧じゃなく罪人(キリスト教の教えだと思いますが)」ってのが根本的にあり、神様に懺悔さえすれば許されると思っている人も結構いるかと思います。

true-1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >一般的に自己主張が強く、自分の非を認めたがらないところはあるかもしれません 仮に、非を認めない慣習があれば、当然、「反省し、相手の前で、心より謝罪する」ことは稀有ということですね。 大変参考になりました。

true-1
質問者

補足

>「人間は完璧じゃなく罪人」ってのが根本的にあり、神様に懺悔さえすれば許されると思っている人も結構いる キリスト教とのことですが、懺悔すれば許される、となると、次の犯罪の抑止力というのは、何になるのでしょうか? 人間は完璧ではないのは分かりますが、だからこそ、自分の悪しき心に注意して、それが発動しないように、行動するのだと思いますが。キリスト教では、悪しき心を、そのまま行動に移すことを肯定されているのでしょうか?

関連するQ&A

  • 日本では豊臣秀吉の時代なぜ国民には酒を飲ませない?

    西洋の考え方で言えばぶどう酒(いわゆるワインとか)は、イエスの生き血をすすることで神と繋がるもしくは畏敬の念を持つ、もしくは近くに感じるといった考えがあるとききました。もしくは五穀豊穣の象徴であるワインをいただくことで「神の恵みに、豊穣に感謝だ乾杯!」という意味で昼でも夜でも関係なく飲んでたと聞きました。 かたや日本にとっては神様やお上に献上するといった考えがあり、普段から飲むことを禁じられたり「昼間から飲む何てダラシがねぇ!」といった欲望の象徴となっていた。どぶろくはとにかく清酒を口にするなんて!といった風潮があったみたいで、 酒は欲望の象徴とされてたので、昼から飲むもんじゃない!ってなったようです。 特にEU諸国では昼のランチにワイン、3時のおやつにチーズとワイン、晩酌にワイン。子供にも豊かの象徴として飲ますことを憚るといった文化はなかったと聞きます。 そもそものお酒に対する考え方が違うのはそうだけど、なぜ豊臣秀吉や徳川幕府の時代そこまで飲ますことを禁止してたんでしょうか?

  • 浮気の謝罪文に「不貞」という文言を入れると、慰謝料は減ります。と裁判官

    浮気の謝罪文に「不貞」という文言を入れると、慰謝料は減ります。と裁判官 観て下さりありがとうございます。 現在妻の不貞相手を民事訴訟で訴訟中で、弁護士と相談し、 裁判官の良心に任せたいという理由で、相手の弁護士と裁判官に掛け合ってもらい、 和解で慰謝料を払って貰うことと、相手方に謝罪文として不貞という記述を載せて貰うことで進めて下さいと言ったところ、 (疑問1)裁判官は慰謝料150万、ただ謝罪文に「不貞」という文言を載せる場合は慰謝料は減ると言ったそうです。 証拠は探偵などを雇って、キッチリ揃えたのですが・・・。 (疑問2)夫婦が破綻するのが浮気前だと証拠を出しても子供がいなければこんなものでしょうか。 (疑問3)浮気の訴訟も多く、法律では不貞はだめだと言っても、不倫は文化みたいな風潮が裁判官の中で時代の感覚が考慮されたりするものでしょうか? (疑問4)判決不服による控訴を期待して弁護士や裁判官に使われたりしていないか?本当に信用していいのか? 相手の弁護士や裁判官と法廷でのやりとりが終わった後雑談しているそうなのですが、非常に不愉快です。 補足ですが当方パニック障害と抑鬱で到底承認尋問に耐えられません。

  • 前任者から引き継いだ慣習をやめたい(アメリカ)

    困っている主人に代わり皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。 主人は管理職としてアメリカに赴任し約2年半になります。 前任者からの申し送り事項の中に「毎週金曜にスタッフをねぎらうためドーナツを購入する」というものがあり、それに従って毎週主人のポケットマネーでドーナツを2ダース(24個・約12ドル)購入し、スタッフの方々に提供しています。 この慣習は前任者の前に赴任されていたドーナツ好きの方が始められたもので、その時から通算するともう10年近く続いていることになります。 ドーナツは主人が金曜の出勤前に購入し、皆が立ち寄る事務カウンターに置いてスタッフの方々が自由に食べられるようにしているのですが、ここのところ退社時間になっても数個のドーナツが残ったままになっていることが時々あり、主人はせっかくの好意を無駄にされたと感じる上に、ドーナツに年間500ドル近くを自腹で払っていることに憤りを感じ、なんとかしてこの慣習をやめられないものかと考えていますが、10年も続いているものをいきなりやめるとスタッフの反発もあるだろうし、あげくの果てにはケチな上司と後々語り継がれてしまうのではと、 やめたいものの二の足を踏んでいる状況です。 そこで質問ですが、スタッフの反発を買うことなく穏便にこの慣習をやめるにはどうすればいいでしょうか? 皆さんのご意見をお聞かせください。

  • 我は神である。

    我は神である。 このぶち切れ発言の内容は明白です。 神の初源は純粋な光。 救われる事を光明が見えたとも言うじゃありませんか。 自助を発揮したなら、光明を見出したとなるでしょう。 それでこそです。 そこで二つに分かれます。 お天道様が照らしてくれるゆえである。ありがたや。 自らが光であり、光とは自らの輝きである。這いつくばれヤプーども。 歴史に語られる聖人の類は後者です。 今や生活を楽しめる(本来の)一般人が後者です。 まず、あなたがヤプーに属するか人間に属するかを明白にしたうえで何らかのご見解をおよせください。 付録の検証材料です。 ごく一部でアメリカの支配階級が世界を牛耳っているという陰謀説があります。 アメリカはダーウィンの進化論を否定して全ての生命は神様の創造で聖書のみが真実とする文化を持ち合わせています。 そんな田舎くさいアメリカ社会で理性的にダーウィン進化論を支持するだけで、要するに世界市民的な常識をもつだけで、その理性が成功を確約しアメリカ支配階級にあなたですらなれます。 要するに頭が良ければ支配階級になれアメリカンドリームが実現します。 この世界市民感覚の常識は日本の風俗にも当てはまり、辛気臭い文化から冷静であれば同様にジャパニーズドリームが実現します。 お金が無いなんて貧乏とおさらばできます。 世界市民的普遍性を備えた常識感覚とは、別の思い込みによる常識を信仰する事によって支えている限り、その者は決定的にヤプーです。 ヤプーの常識とは信じる限り貧乏が必定です。 このカテに出没するヤプーは、そんなにも自らがヤプーである事が嫌で嫌で仕方が無いヤプーの裏切り者です。 裏切り者に行き場はありません。 ヤプーはしょせんヤプーに過ぎない事を知らしめる必要があるでしょう。

  • 誠意の善し悪し。

    失礼します。 以前、このような質問をさせて頂きました。 http://okwave.jp/qa/q7602511.html 質問に回答を頂き、自分で誠意をいうのを考えてみたところ、 どういう誠意の示し方が良いのだろうか?と、疑問に思ったのです。 上の例ですと、誠意がないパターンです。 恐らく、自らの行為・行動を是正出来ないことは、一番ダメなことでしょう。 他に迷惑を掛けても、何とも思わない。当然のものとしている。甘え。横暴。自分勝手。 しかし、それからが疑問なのですが、誠意があれど、示し方に問題はないでしょうか? 例えば、土下座。 前に職場のパートのおばちゃん達に聞いたことがあるのですが、相手にもの凄く悪いことをしたとして、それを土下座で謝罪に来るのって、どう思うのか?と。 おばちゃん達は、「それくらいは、当然だろ」とします。 でも私的には、土下座をされる身にもなって欲しいと思いました。 酷いことをされて、相手がそれを悔み、自分に土下座をして謝りに来た。 それで、それからなのですが、謝られる側はどうしろ?と。 そう思ったのです。 どうしようも無いと思います。 もしかしたら、本当に恨みに思うほど、怒りに煮えたぎってるのかもしれません。 でも、その土下座という行為は、そんな自分が被った心理的ストレスを緩和するものではなく、 見方次第では、許しを乞う。というより、許しを強要するものにも思えるのです。 うーん。難しい・・・ 多分、怒りや憎しみは、その相手に対する復讐心や報復、思い知らせてやりたい。という、反道徳的に思われる行為ですよね。 だから道徳的に、その感情を肯定は出来ません。 一方で、土下座をする側。 誠意を示しに来たのでしょうが、謝罪とは別に、少なからず許しを乞う気持ちがあると思います。 私的に、その許しを乞いたいという姿勢・欲求が、相手に許しを強要してるようにも思えます。 また、土下座をして、絶対に動かない。何時間もそうしている。なんて人もいますよね。 相手からしてみたら、凄く迷惑だと思います。 それを考えれないのは、どうでしょう? ただ単に、自身が誠意を示したいという、自己顕示欲にも取れます。 そう思った時、どう誠意を示すのが良いのか?と、疑問に思いました。 私が考えるモノでは、謝罪の言葉よりも、それからの行為・行動で示して欲しいところ。 上のURLにもありますが、言葉だけで済まされて、それ以降同じようなことをされたとしたら、 その言葉は、謝罪でも誓いでもなく、ただの常套句。 その場を収めるために用いたもので、謝罪をいう感情はあまりなく、 自分が被ったストレスへの侮辱とも取れます。だから平気で2度目もあり得る。 自分は許さない。自分からの信頼を勝ち取りたいなら、これからの行為・行動で得てみせろ。 そんなので良いのではないでしょうか? 本当に誠意のある人なら、それで大丈夫だと思います。 でも、日本の風潮がそれを許しませんよね。 悪いことをしたら、取り敢えず謝れ。的な風潮。 被害者の被った被害とは関係なしに、それで収束を余儀なくされます。 法律もそうですが、加害者の更生を目的としていて罰するものではない。 いつだって被害者が一番、多大な損害を被り、尚且つ、それを処理するために更に損害を被る立場にある。 でも、この風潮ですらも、 恐らくは、それ以降の確執や禍根を絶つためにあるものですよね。 報復や復讐をして。相手から奪って、陥れ、不幸にし、自分が決してなりたくない姿に相手を追いやる。 被害者意識なんて、ありますが、ここまで来ると欲望や怨恨、内々に処理出来ない側にも問題を感じます。 まあ、解決を強要するワケではないですが、こういった復讐の連鎖の先に、平和的解決が見えるとは、到底思えません。 何か、対国間の対立や戦争が想起されてきました。 平和的解決を望むのなら、被害者もどこかで変わる必要があるのでしょうね。 夫婦喧嘩は犬も食わぬ。的な?少し違う・・・・ 難しい・・・ 長文失礼します。 だとしたら、過ちに対する行為・行動は、どうあるべきなのでしょう? する側も、される側も、浅はかで醜い欲望を持つべきではないですのかね? でも、それを相手や世間に強要するのも、私のエゴでしかない・・・ 皆さんは、どう考えますか? 応えれる部分だけでも構いません。 お手数ですが、ご意見。ご回答お願いします。

  • ネットでのトラブルについて

    ネット上の対人トラブルについてご相談です。 私はX(旧Twitter)で趣味のアカウントを持っており、そこで出来た友人(Aさんとします)と、とあるイベントへ行く約束をしていました。 チケットの申し込みは私がしており、チケット(電子)も私が所持しています。イベント自体が数ヶ月後の予定なので、Aさんにチケットを分配もしていなければ、チケット代も頂いていない状態です。 しかし、そのイベントの当日に私がどうしても優先させたい他の用事が出来てしまいました。 Aさんに「申し訳ないが他の用事を優先させたいので、一緒に行くイベントのチケットは私の分だけリセールに出そうと思う。Aさんの分のチケット代の支払いも結構だし、もしもAさんもイベントに行くのを取りやめるようなら、それにまつわる交通費や宿泊費のキャンセル料もこちらが支払う」と、X上のダイレクトメールで伝えました。 するとAさんは「あなたが行かないなら私もそのイベントには行かない。お金を支払うからとかの問題ではない。約束をしていたにも関わらず、あなたが自分の損得勘定で私を裏切り、別の用事を優先させたいと言ったことに腹が立った。交通費はもう支払っており払い戻しは出来ないが、それでも支払ってもらおうとは思わない。そんなことをしてもあなたの罪悪感が消えるだけだ。もう二度とこんな事をしないで欲しい」と、お怒りの返事が返ってきました。 Aさんの意見は最もであり、私が損得勘定でAさんを蔑ろにしてしまった事を反省し、謝罪しました。 謝罪以降Aさんからの返事は来ず、今は一旦メールのやり取りが終わった状態です。 しかし、Aさんの怒りはおさまっていないようで「ネット上の人間だからと舐めてこんな事をしないで欲しい」と、自らの投稿で憤慨しておりました。 冷静になって考えると、なんてことをしてしまったのだろう。と、後悔しています。許して欲しいとは思っていないのですが、あまりにも歯切れの悪い終わり方をしてしまったので、改めてこちらから再度お詫びのメッセージを送ろうと考えています。 現状、Aさんは交通費のキャンセル料で数万円の損をしている状態であり、こちらとしてはお詫びの気持ちを兼ねて一万円程度のギフト券を送ろうかと思ったのですが「お金はいらない」と言っている相手に対して、ギフト券を送り付けることはやはり失礼に値しますか? その場合は何か別のものを用意した方が良いのか、それともメッセージでのお詫びだけにとどめた方が良いものかと悩んでおります。 このようなお恥ずかしい内容で恐縮ですが、ご意見のほど頂けましたら幸いです。

  • 酒の注ぎ回りの慣習は、どこでも見かける慣習ですか?

    酒席の、酒の注ぎ回りの慣習は、法事や祝い事に関係なく日本中どこでも見かける習慣ですか?私の地元では、この悪習が昔から有りまして、ウザイ注ぎ回り人間が酒席に何人かいて、注ぎ回りに来るのですが、来て欲しくない私は、毎回、断るのにウンザリします。 ヨーロッパのフランスなどでは、酒席参加者が他人に酒を勧める事はマナー違反と聞きましたが、日本中どの地方でも、この悪習があるのでしょうか?この悪習の無い地方を教えて下さい。

  • 古い慣習との付き合い方

     私の家は田舎にある、とても古い感じの家風です。祖父が絶大な権力を握っています。『犬神家の一族』とまではいきませんが(そんなたいした財産があるわけではありませんが・・)、自営業ということもあり、祖父がいろいろな権利を握っています。父も母も兄弟も良い人なのですが、いつも祖父の威圧感に怯えるような毎日でした。  自営業なので、父は仕事柄祖父に頭が上がらず、母は『嫁』なので祖父からしたら家政婦のようなもの、私は女なのででしゃばれば厳しく叱責、弟はまだ未成年で精神的にも未熟です。そして、父の姉たち(つまり祖父の娘たち)がしょっちゅう家にやってきては、祖父にごまをすっています(正直財産目当てに見えます・・)。  私はたまらず、家を出ました。家を出させてくれた父母に感謝しています。友人たちのような、核家族がすこぶる羨ましかったです。実家は本当に息苦しかったです。  みなさんならどうしますか?

  • 慣習法と事実たる慣習の具体例

    慣習をいわゆる慣習法といわゆる事実たる慣習に分けて考えた場合、それぞれ具体的にはどのようなものがあてはまるのでしょうか。法的確信の有無によるといっても全くイメージがわかないので困っています。よろしくおねがいします。

  • 沖縄の慣習について

    1ヶ月前でしょうか。ホームレス問題についての番組でした。その中で沖縄でのホームレスの状況と地域支援、相互扶助について奉じられていました。沖縄には古くから「???精神」ということで、相互扶助として助け合うという精神があるそうです。一人のホームレスの方に地域の人が食料や物資を援助し自立に向けて支援をしていました。その「???」精神の言葉を知りたいのです。地域福祉についてのレポートを作成するのにこの沖縄の精神について書きたいと思っています。その時は覚えなかったのですが、今どうしても知りたいのです。よろしくお願いします。

専門家に質問してみよう