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西洋に軍師はいた?
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近代以前の西洋では、軍師のような制度はありませんでした。近代になって参謀制度ができて、軍師に相当する参謀が出現します。 それ以前は、将軍や君主等、軍を率いる人物が自ら軍師の役も兼ねるか、部下の武将達が意見を聞かれたり進言等して、軍師に相当するような役を担うような形でした。 だから東洋に見られる軍師のような人物が見当たらないのだと思います。 例えばイタリアのルネサンッス期の軍人であり政治家でもあったチェーザレ・ボルジアはイタリアを統一する為、軍を率いて戦い何度も勝利します。その一方で陰謀、策謀、権謀術数をめぐらし、敵対者を葬ります。一例をあげれば、オルシーニ家に敵対され危機に陥った時は、和解を持ちかけ相手を誘き出し、姿を現したところで、捕らえ処刑するような事もしています。暗殺までしたとも言われています。また、妹を政略結婚に使い自己の野望の道具としています。このように、チェーザレは武将であり、策謀家でもありました。この策謀家の部分は軍師と言っても差し支えないと思います。 強いて西洋で軍師のような人物をあげるとするなら、異論もあるでしょうが、イタリアのルネサンス期の人物のマキャべりが近いかもしれません。彼は純粋な軍人ではなく、フィレンツェの軍事・外交の行政官でした。当時、国家の防衛を担っていた傭兵の雇用を廃止し、国民軍の創設をしたり、滅亡の危機に瀕したフィレンツェを守るため、各国に行き外交努力をした人です。後には「君主論」や「戦術論」といった本を書いています。 フランスの太陽王ルイ14世に仕えたヴォーバン元帥という人物も異論もあるでしょうが、軍師に近いかもしれません。彼は築城・攻城戦の名手で「ヴォーバンに囲まれた城は必ず陥落。ヴォーバンが城を築けば難攻不落」と言われた人です。城の築城・攻略だけでなく、その城砦の戦略的配置や使用にまで提言をしています。生涯に彼は53の攻城戦に参加して大きな貢献をし、33の城塞を作り、多くの城塞の改築を行いましたが、それだけでなく、運河や水道橋の建設も行っています。また、兆弾射撃やソケット式の銃剣等の新兵器も開発し、後には多くの著書を残しています。
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- tanuki4u
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日本で軍師・参謀というときには、戦争に於いてどんなときに開戦すべきなという一種宗教的な見立てをする「軍師」と西洋的なドイツ参謀本部を経由して日本の近代的な軍事組織における「参謀」という概念がごちゃ混ぜになっています。 小説などにおいて、面白くするためのギミックです。 ヨーロッパにおいても、キリスト教が支配的になる前は、部族宗教的な司祭が、またキリスト教が支配的になった段階で、キリスト教の宗教関係者が「神のご加護を祈る」というよな事で戦争に参加しております。 日本に西洋の戦闘史・戦争史が入った段階で、宗教的な要素が消去された形で知識として入ったので、なんか西洋では戦争に宗教臭がないように思えてしまいます。 コンスタンティヌス大帝は、ミラノ勅令によってキリスト教を公認したことで有名ですが、この大帝がローマ帝国を再統一した戦いの一つ、ミルヴィア橋の戦いで、キリストを表す X P が 太陽の前に出たとされています。これは、宗教的加護(中国古典的には軍師行為)があったことを暗示していると考えられます。 西洋における知謀戦は、無論あります。知謀戦というより、外交革命とか、表現されます。 18世紀後半における 外交革命、ハプスブルク家とブルボン家が敵対関係から協力関係になったなど。中国の三国志的に言えば、天下三分の計とかそういったものに対応します。
- komes
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西洋で知謀戦がなかったというのは誤解です。 軍師と呼ばれるのは初期は占い師のような役目の人でした。 古来戦争では必ず勝敗を占ったものです。 これは一般人からみれば予知能力や知識が豊富であるようにみえます。 戦争が次第に複雑になってきて、政略や戦略が必要になりいかに有能な人物といえど全部を取り仕切る事が困難になりました。 この為軍事を専門とする参謀が生まれたのです。 ドイツの参謀本部は有名ですがこれが生まれたのもクライゼヴィッツの時代からです。 他の回答者のご指摘のように戦時での同盟関係の準備など政略的な面、純軍事面な面をつうじて広範な決定を支援するには組織が必要です。
- eroero1919
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東洋、つまり主にいえば中国ですが、中国では春秋戦国時代の昔から、軍人である武官と官僚である文官がはっきりと分かれていました。そして、文官>武官というのが序列です。基本的に文官は戦場には赴かないですし、武官はともすると三国志の豪傑のようにろくすっぽ学がなかったりしますから、その橋渡し役的な役割としての軍師がいました。 元々、軍師というのは戦争に赴く前に占いをやったりして「あさっての出陣がよろしいでしょう」などというのが役割です。兵法を会得し将軍をサポートする参謀のような役割ではなく、出陣のときの作法をとりしきるような役割だったようです。 ただ、孔明についていえば一応私たちは軍師という位置づけですが、実際には内政も行ったりしていたので彼の後半生は軍師というより宰相がふさわしい気もします。 また、黒田官兵衛についても、彼は独立した自分の兵を持つある種の大名のような存在ですから軍師とはちょっと違います。あえていえば今の大河ドラマの主人公が軍師かもしれませんが、その存在そのものに疑問を投げかける声もあるくらい実態が不明な人物ですから、そのあたりもはっきりしません。 このように、武官と文官の役割がはっきり別れていた東洋と違い、西洋では貴族は軍人でもあり政治家(文官)でもありました。これは共和制ローマの頃からそうですね。カエサルは優れた軍人でもあり、政治家でもあったわけです。これは中世でも引き継がれ、中世のヨーロッパ国王はしばしば自ら軍を率いて戦争をしています。中国や日本では皇帝や天皇が自ら軍を率いるのは極めてまれです(洪武帝のような成り上がった初代皇帝みたいな人は別です)。 ヨーロッパの軍制が大きく改革するきっかけを作ったのは17世紀のマウリッツ公です。この頃からヨーロッパの軍隊は傭兵中心から国民兵へと移行していきます。その中で軍隊組織が官僚化していき、まー乱暴にいってナポレオンくらいの時代にほぼ現在の軍隊に近い師団長がいて参謀が補佐するような近代軍制に至ります。あの「戦争論」の著者クラウゼヴィッツはプロイセン軍の参謀でした。 つまり、現代の私たちがイメージする「軍師」というのはむしろヨーロッパ近現代軍隊の参謀であるのが実像に近いでしょう。ヨーロッパに軍師がいなかったのではなく、実際のところは東洋に参謀がいなかったというのが実態に近いと思います。前述したように、本来の軍師は出初式を取り仕切るような役割だったようです。 このあたりは現代の東洋と西洋の文化にも大きく影響をしていると思います。例えば韓国では、中学生くらいの時期に学問で身を立てるかスポーツで身を立てるかを決めて後から修正することは出来ません。中学生くらいのときに文官(受験コース)になるか武官(スポーツコース)になるか決めなければならないんですね。日本も「文武両道」って言葉がある割には勉強で大学に行くかスポーツ推薦で大学に行くかが決まっていて、ガリ勉君はスポーツ音痴だし、スポーツマンは脳まで筋肉になっていることしばしばです。 一方、欧米では高名な科学者が大学時代はスポーツでも活躍していたなんてことがよくあります。イギリスの王子はもちろん軍隊に入隊しますし、アメリカの大統領もブッシュJrとクリントンを除けばみんな軍隊経験者です。ブッシュJrとクリントンは兵役忌避をしたことが大統領選挙で選挙相手から非難されました。アメリカ国民の多くは「軍隊を経験していない人物は大統領にはふさわしくない」と考えるようです。 そうなると、いわゆるシビリアンコントロールという言葉は軍人と政治家の境界があいまいだった西洋だったから生まれた言葉だといえそうですね。そもそも、東洋では武官は文官の下ですからちゃあんとシビリアンコントロール下にあったのでそういう言葉がなかったのかもしれません。
ヨーロッパや近代戦争ではそれは「宰相」とか「参謀」とか呼ばれるもんじゃないんでしょうか。 ビスマルクとかハンス・フォン・ゼークトとか。 あんまりよー知らんのですが。
- test_
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面白い質問ですね。共感します。 ニッコロ・マキャヴェッリなど軍師的なポジションではないでしょうか?リデル・ハートなども・・・・。 日本のように伝説のヒーローのように西洋では言われていないですね。 東洋で言う孫子なども西洋では参考にされて、 ロジックだけ代を重ね踏襲されてきたようなものなのでしょうか? ヨーロピアンの軍事好きな人に直接聞けると一番詳しくわかるのではないでしょうか。似たような込み入ったこと聞いた経験がありますが、日本人とは文化が枠を超えて感銘を受けますよ。
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お礼
西洋だとマッチョなヒーローが多いですよね 逆になぜ東洋では、策士的な、悪く言えば狡賢いような人が 人気があるのか気になります。