• ベストアンサー

その後のカイン

neckonの回答

  • neckon
  • ベストアンサー率45% (156/340)
回答No.2

参考URLはキリスト教関係の出版社のQ&Aです。まあ、こうとでも説明するしかないだろうけどねえ……という、かなりトホホな説明ですが。 まともな説明を考えるなら、聖書というのはユダヤ人が征服した諸民族の神話を取り込みつつ、つぎはぎによってに成立したものですから、矛盾があるのは当然で、突っ込んでもしょうがないですよ、ということになってしまいます。「楽園追放神話」と「兄弟殺し神話」と「追放された罪人神話」を、ユダヤ教に都合のいいようにカット・アンド・ペーストした結果が、こういう矛盾となって現われているんでしょう。 またそうした矛盾も丸飲みにして信じるというのが「信仰」というものの本質なんだろうと思います。

参考URL:
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/mujun.htm
noname#3096
質問者

お礼

ありがとうございます。

関連するQ&A

  • カイン再考

     極端な仮説を提出して 再考をのぞみます。  まづやはり先に そのくだりをかかげます。  ▲(創世記 4:1-16) ~~~~~~~  1: さて、アダムは妻エバを知った。   彼女は身ごもってカインを産み、    「わたしは主によって男子を得た」   と言った。  2: 彼女はまたその弟アベルを産んだ。   アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。  3: 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。  4: アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。   主はアベルとその献げ物に目を留められたが、  5: カインとその献げ物には目を留められなかった。   カインは激しく怒って顔を伏せた。  6: 主はカインに言われた。      「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。  7:   もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。      正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。      お前はそれを支配せねばならない。」  8: カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、    カインは弟アベルを襲って殺した。  9: 主はカインに言われた。      「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」     カインは答えた。      「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」  10: 主は言われた。      「何ということをしたのか。      お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。  11:  今、お前は呪われる者となった。      お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりも      なお、呪われる。  12:  土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出す      ことはない。       お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」  13: カインは主に言った。       「わたしの罪は重すぎて負いきれません。  14:   今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたし       が御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となって       しまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺す       でしょう。」  15: 主はカインに言われた。        「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の       復讐を受けるであろう。」     主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインに    しるしを付けられた。  16: カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《4:6 どうして顔を伏せるのか》は 内面の暗い重い闇に落ち入った感じをつたえそうな表現であり じっさい原文は 《どうして顔が落ちているのか》という言葉で表わしているのだそうです。    →【Q:カインは なぜ・どこが わるかったのか?】No.36お礼欄    http://okwave.jp/qa/q7308621.html  ですが 今回は 形式的なこと・表現技法にかんすることがからんでいるのではないかという・ちょっと人を食ったようなとさえ見られる見方を提出します。  (あ) このカインの物語は カインがどうだアベルがこうだという問題では必ずしもなく そうではなく ひとえに《ひとごろし》という主題を アダムとエワの物語のあとに提示してみせたのだという解釈です。  (い) すなわち聖書記者は 天地創造が終えられたあとの初めに 《善と悪とを知る木から採って食べた》という・おそらく人間の自由意志の主題をあつかった。そのあと ただちに――エワとアダムとは その自由意志を おのれの心にさからったかたちにおいても 発揮することがあると物語ったからにはそのあと ただちに―― 人が人をころすという主題を取り上げた。  (う) だから アベルが遊牧民でカインは農耕民だという違いを要因として取り上げたり あるいは一にも二にも 信仰の問題であってそれは なかなかオモテには出て来ないのだと信仰論で済ませようとしたり さらにあるいは けっきょくカインは 神がアベルの供え物を喜んだが 自分のそれには目を留めなかったところから アベルに嫉妬したのだと説明したりする議論は 解釈に失敗するか もしくは タメにする議論に落ち入るのではないか。  (え) すなわちつまり エワとアダムの事件では 《自由意志には すなおな心とへそ曲がりの心とがある》と理論づけたのだし ここカインの事件では 《その自由意志が みづからのであれ・他人のであれ同じ自由意志を・つまりは自由意志の主体として人間という存在そのものを抹殺することがある》と論じすすもうとしている。  (お) エワとアダムとは へそ曲がりの報いとして エデンの園を追われた。カインは  ▲4:12 お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」  ▲4:15 ~~~~~~~~~~~~~~   主はカインに言われた。        「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の       復讐を受けるであろう。」  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ といったように捌かれた。この結果をもって ひとが人をころすことがないようにとされた。      *  ブレインストーミングのごとく 思いっきり自由なご見解をどうぞ。  言わなくてもよいと思われますが フルボッコのご批判をどうぞ。

  • カインとアベル

     素朴な質問です。「宗教」の分野が見つからないのでここに質問します。 旧約聖書の中でアダムとイブの子どもであるカインとアベルがいますが、神の貢物をめぐって嫉妬が生まれ、カインは弟のアベルを殺してしまいます。その後神の怒りでカインは追放されてしまいますが、結婚します。その相手となったのは誰なのでしょうか?神はアダムとイブ以外に人間を作ったのでしょうか?  もし僕の理解が足りなかったらすいません。気になったもので。

  • カインは なぜ・どこが わるかったのか?

     明確には分かりません。いくつか解説を読みましたが たたき台とする案も見つかりません。  ▲(創世記 4:1-16) ~~~~~~~  1: さて、アダムは妻エバを知った。   彼女は身ごもってカインを産み、    「わたしは主によって男子を得た」   と言った。  2: 彼女はまたその弟アベルを産んだ。   アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。  3: 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。  4: アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。   主はアベルとその献げ物に目を留められたが、  5: カインとその献げ物には目を留められなかった。   カインは激しく怒って顔を伏せた。  6: 主はカインに言われた。      「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。  7:   もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。      正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。      お前はそれを支配せねばならない。」  8: カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、    カインは弟アベルを襲って殺した。  9: 主はカインに言われた。      「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」     カインは答えた。      「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」  10: 主は言われた。      「何ということをしたのか。      お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。  11:  今、お前は呪われる者となった。      お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりも      なお、呪われる。  12:  土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出す      ことはない。       お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」  13: カインは主に言った。       「わたしの罪は重すぎて負いきれません。  14:   今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたし       が御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となって       しまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺す       でしょう。」  15: 主はカインに言われた。        「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の       復讐を受けるであろう。」     主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインに    しるしを付けられた。  16: カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ のちに弟アベルをころすまでに到る心の深い闇のような悩みがあったのかと推し測られますが それを具体的にどう捉えればよいのでしょう?  ▲ (同上) ~~~~  6: 主はカインに言われた。      「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。  7:   もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。  ~~~~~~~~~~  ☆ こういう声を聞いてカインは 否まなかった。のなら 何か心の中にやましく心苦しい動きがあったのかと推察されますが それが何かは 読む者の解釈に任せられていましょうか?  農民と遊牧民との違いを指摘してそこに何かがあるといった議論も聞きますが むしろそれのほうがはっきりしないと考えられます。なんで職業の種類が 心のやましさにかかわるのか?  よろしくお願いいたします。

  • カインとアベル

    カインとアベル ある日2人は各自の収穫物を神ヤハウェに捧げる。 カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げ、神はアベルの供物に目を留めたものの カインの供物は無視した。嫉妬にかられたカインはその後、野原で弟アベルを殺す。 しかし、大地に流されたアベルの血は神に向かってこれを訴え、その後、ヤハウェに アベルの行方を問われたカインは「知りません。私は永遠に弟の監視者なのですか?」と 答え、これが人間の吐いた最初の嘘だという。カインはこの罪により、エデンの東に追放され、 この時ヤハウェは、もはやカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えた。 ウィキペディアからの大まかな引用です。 ヤハウェにアベルの行方を問われ、 カインが答えたことが人間の吐いた最初の嘘だと記されているらしいですけど、 ならばカインはアベルの監視者なのでしょうか。 ヤハウェはカインが耕作を行っても作物は収穫出来なくなる事を伝えたそう ですけど、この後カインはどのような食事をしたのでしょうか。 こういう記載で正典に書かれているのかはわかりませんけど、嫉妬で殺したというのなら、 なぜ耕作を妨げるようなことをわざわざするのでしょうかとおもうのですけど。 ご存知の方よろしければ教えてください。

  • カインは追放されて結婚しますが、そもそも他に人が

    アダムとエバから、カインとアベルの兄弟が産れて、殺人のあとにカインは追放されてさまよったのちに結婚とありますが、 また、誰かに殺されると不安がったりしていますが、 いやいや最初の人間のアダムとエバから2人(のちセトで+1人)しか生まれていないのに、 誰と結婚して、誰から狙われる不安があったのでしょう。

  • なぜエデンのアダムとイブには子供がいないのですか?

    なぜエデンの園ではアダムとイブに子供がいないのですか? アダムとイブはエデンの園を追い出された後にカインとアベルを作りました。しかしなぜエデンの園では彼らは子供を作らなかったのでしょうか? 個人的にエデンの園に彼らがいた時間は相当長いと思いますが、その間に子供ができなかったのは不思議でなりません。 よろしくお願いします。

  • カインを殺す者

    カテゴリー違いかもしれませんが。 旧約聖書創世記第四章で、アベルを殺害した後のカインが 「私に出会う者は誰であれ、私を殺すでしょう」 と言っていますが、この時点でヒトは、アダムとイブのカインの三人だけなのではないのですか? さらに、ノドの地で妻も得ています。 この頃のヒトの寿命を考えれば、カインの一生の間に、相当数のヒトが産まれていてもおかしくないでしょうが、それはこの時点で心配することでも無いように思います。 どういう事でしょうか?

  • 聖書のカインや動物について。

    聖書でよくわからないので。 とはいえ、それほど詳しいわけでもないです。 ちょっとかじっているだけです。 アダムとエヴァが楽園追放されたのは知恵の実を食べたから。ならば、何故、この世に動物がいるのですか? 動物も知恵の実を食べたのですか? 息子のカインは何故、神に嫌われたのですか。 彼のことについて詳しく教えてください。 弟を殺した後、カインはどうしたのですか?

  • アダムとイブの子ども(人類)は、どうやって増えた?

    旧約聖書によると、アダムとイブの間にカインとアベルという二人の息子がいたということですが、そこからどうやって人類が増えたのしょう?彼らに妻(もしくは妹)がいたとしたら、彼女たちはどこから来たのですか?神はアダムとイブ以外にも人間を作った(ということになっている)のですか?どなたかご存知なら教えてください。

  • 聖書の原罪と贖罪とハルマゲドンのサタン性

    キリスト教の原罪と 贖罪について質問です。 まず2つの 聖句をあげると、 (創世記 1:28 ) 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 (創世紀9:1) それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ とあります。 神様は人を増やそうと命令していて、誰かを殺そうとは命令しておられないと思います。 人を減らすようなことはしない。 むしろ 生まれることを望んでおられる。 これを確認したいと思います。 一方で アダムとエバが蛇にそそのかされて、食べると死ぬことをになる 知恵の実を食べてしまった。 2人は神のようになるという言葉を受けて、食べてはいけないと言われた 知恵の実を食べて 神様に背き、罪をおかし、永遠に生きる見込みを失って死ぬことになった。 これが 原罪ということだったと思います。 そこへ、こ の原罪を贖うために 代償として イエスキリストの命を 十字架にかけた。 イエスキリストがその死を持って 原罪を償った贖ったということだと聞いています。 そうすると、現在によってアダムとイブが死ぬことになった この2つの命、まず2人がいなくなるわけです、そしてこの子孫 もう 原罪を引き継ぐので、これらはの命も失われたわけです。 これで 無数の命が失われることになります。 人が死んでいなくなるわけです。 言葉が直接 すぎたらごめんなさい。 それなのに贖罪によって、イエスキリストの命も失われます。 十字架にかけられて死んでしまうからです。 と考えると、人がひたすら失われていませんか? それはこの文章の冒頭であげた、創世記の2つの聖句「生めよ 増えよ 地に満ちよ」という神様の命令や意志に矛盾してるし 反してると思います。 神様は人を増やしたいわけです。 命を増やしたいわけです。 ところが この 原罪と 贖罪の考え方では、ひたすら 人が減っていきます。 一説によれば神様は 十字架にイエスをかけられることを計画にされ、イエスの前の時代に生まれてきた 預言者たちはイエスが十字架にかけられることをあらかじめ 述べていた。 イエスも十字架にかけられる前日に、ペテロによって 十字架にかけられるようなことがあってはなりませんと言われたけれども、イエスはペテロをあなたは人のことを思って 神のことを思っていないと退けて、十字架にかけられます。 もちろん イエスは様々な 奇跡を起こす力を与えられていたので、十字架を避けることもできたでしょう けれども、十字架にかけられる方を選んだ。 でもそれって本当に神様が望んだことなのかなと思います。 先ほども言った通り 神様は誰の死も望んではいなくて、むしろ人が増えていくようにと思っているわけであって、アダムや エヴァ それの子孫の死もイエスの死も望んでいないと思います。 では 何なんだろうと考えた時、サタンの思惑ということが浮かんできます。 永遠の命を見込まれていたアダムとエバをそそのかし 知恵の実を食べさせて、死に追いやり、原罪を贖う 目的でイエスキリストを十字架にかけ、死に追いやり、大勢の人を死に至らしめた。 例えば アダムとエバが原罪を負った贖いとして、イエスの死によらなくても あるいは、新たな命を誕生させることによって贖わせることもできたと思うんですよね。 アダムとエバの原罪を贖う方法として、もしあなたたちが新しい命を誕生させれば、赤ちゃんを生み出せば、あなたたちの原罪を取り払いましょうと全知全能の神様ならできたと思うんです。 ということは原罪による死、その子孫の死、 それを贖うための死、これらはとても サタン的だなと思います。 死ぬことでしか 何かを表現できないからです。 神様ならば 誕生させることで全てを表現してくれるんじゃないかと僕は思います。 イエスの贖罪後も 人は死んでいます。 本当に神様が望んだ贖罪であれば、それが神様的なものであれば、直ちに 永遠の命が与えられると思うんです。 それから 2000年経ったと言われる今も人は死んでいきます。それは 原罪と 食材がサタン的なものであり、神様の意志にそぐっていないからじゃないですかね。 例えば 子供がお腹を空かせて親に食べ物を求める時。親はできるだけ早く食べ物を与えたいと思うと思います。 ところが 永遠の命が与えられるのは ハルマゲドンの後。死を恐れ 苦しむ人もいるのに、ずっと先です。神様ならば 直ちに 永遠の命を与えてくれるんじゃないですか? 原罪、贖罪、 ハルマゲドン、 復活はサタンによる計画 じゃありませんか? ご読了に感謝します