• ベストアンサー

「わたしが救われたあなたの言葉」

病気になって悲しかったとき、苦しかったとき、“あなたのその言葉で、私は救われた”そんな心に残る一言を教えてください。 <投稿にあたっての注意> ※メッセージは全角で800字(半角1,600字)以内でお願い致します。 ※皆さんから寄せられた投稿が、第3回がん患者大集会のパンフレットに収載される場合があります。予めご了承いただいた上で、ご投稿ください。

みんなが選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

 もう書くことができなくなってしまった母に代わって、このメッセージを綴ります。  母に末期の胆のうがんが見つかったのは1999年の11月も末のことでした。広く周辺臓器に浸潤したがんは、もはや取り除くことも不可能で、有効な抗がん剤もなく、完治や延命につながる治療方法は何もない。絶望的な事実がいきなり目の前にありました。  当時はまだがん告知は一般的ではなく、しかも年を越せない可能性もあるという状況。主治医のI先生も「普通のおばあちゃんに、そんな酷なこと、わざわざ言う必要があるんやろか?」と母への告知を始めはためらっていましたが、父と私の申し出を受け入れ、母に本当の病状を話してくれました。  I医師は母の目を見て、慎重に言葉を選びながら話し終え、「何か聞きたいことあらへんですか?」と言われました。すると母は「別に死ぬんは怖いことはないんです。ただ、痛いのんと、苦しいのんが怖いんですわ」と答えました。すると、I医師は母に向かって頭を下げ、「ごめん。ごめんな、僕には治したげることはでけへんねん。せやけど、痛ないように、苦しないように、できる限り頑張るから。約束するから」と言ってくれました。  I医師の言葉どおり、母はほとんど痛みを訴えることなく4月に逝きました。母の闘病を支え、家族の心を支えたI医師の言葉を、医療不信の記事を読むたびに思い返します。  患者が本当に救ってほしいのは、命よりも心である場合も多いのではないでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (21)

  • med_sw
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.22

 もう数年前のことになるが、がん患者さん・ご家族・ケアする方々のための無料電話相談 「がん 心のケア ほっとライン」によく電話してくださる方がいらした。 乳がんの手術を受けられて1年後に初めて電話されて、「もう1年も経つのに、まだ元気に なれない」と言われた。それから何度もかけてこられて、「こんなにつらいなら死にたい」 とおっしゃることも多かった。私たち聴き手は、死にたいと思われる位おつらいのだと受け とめて、お話をさえぎらずに、ありのままにお聴きするように努めていた。 すると数カ月経ったころ、「やっぱり、私は生きていたい」と言ってくださった。またしば らくすると、「今日は、笑顔で子供に 行ってらっしゃい と言うことができた」と言わ れ、私たちもとても嬉しかった。それからは、どんどんお元気になっていかれ、忙しい日常 生活に戻られて、あまり電話がかからなくなっていった。 そして最後のお電話で、こう言ってくださった。「死にたい、死にたい と言っていた私 が、こんなに元気になったことを、今苦しんでいる方々に伝えてあげてくださいね」 苦しんで初めてわかることがあると思う。とてもつらい思いをされたからこそ、今苦しい方 の思いが痛いほど胸に響いて、なんとか少しでも楽になっていただきたい、私の経験を役立 ててほしいと願われたのだ。苦しみをともにした者同士の思いやりを聴かせていただき、電 話を受ける私たちも心がほっこりと温かくなった。こういうお話を聴かせていただけること を、とても幸せに感じている。

参考URL:
http://www.geocities.jp/spiritual_care/hot_line.htm
全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.21

■ 主人からの支えの言葉 忘れもしません。 夏の暑い中、私は病院の検査結果を聞きに一人で大学病院に行きました。今迄、他の病院で診察しても検査しても、全て良性と言われましたが、念の為にもう一つの病院で検査をと思い、主人が「大丈夫か、僕も一緒に行くよ」と言ってくれましたが、「大丈夫良性と言っているのを信じているから、今度も同じ様に言われるわ」と大塚のがん研究病院に行きました。 でも結果は乳がんです。 すぐに入院と言われ、頭の中が真っ白で、どの様に病院を出て、主人に電話を入れたかわからず、電話の向こうで「大丈夫か、しっかりしろ。すぐに迎えに行くから病院で待ってなさい」と叫んでいました。私は自然と体が動いて、早く帰って主人の胸で大きな声で泣きたい、伝えたいと、一生懸命やっとの思いで帰りました。  仙川の駅に着くと私は前も周りも何も見えず、ぼーっと魂の抜けた姿で改札を出る所を、主人が私の肩を抱き「大丈夫か、よく仙川まで帰ってきてくれた」と人目もかまわず、私を包んでくれました。  「もう心配しないで、僕も一生、心と、できる事をして、全てを支えて上げるから。でも乳ガンの手術は良い先生でしっかりやってもらい悪いところは一日も早く治し、あとは二人で頑張って行こうね」と主人も目に涙を沢山ためて、私を一生懸命励ましてくれました。  私の心はその言葉と主人の今の周りを気にせず包んでくれたことで、少しずつ安心と不安がとれて、「わかったわ、本当に一緒に向き合って行ってくれるのね、よろしく私を助けてね」と誓い合いました。  家に帰って来てからは、子供と主人の母に、「これからはお母さんが大事な手術になるから、みんなで力を合わせ、心配させない様にして病院に送ろうね」と話し合ってくれました。特に主人の母には、「今迄のようには生活が出来ないので、これからは無理を言わないでやさしくして上げて」と、母に伝えていました。ほんとうに主人が頼もしくなりました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • noribe
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.20

『君は自分の事だけを』 乳ガンの告知から手術日までの二ヶ月半、私は、かなり落ち込み、精神安定剤と睡眠薬を手放せない状況でした。 そんな中、悪いことは重なるもので広島の義父が亡くなったとの知らせが届きました。「どうしよう・・・」悲しみと体調の悪さから涙だけは溢れ出るのですが・・・何をしたら良いのか頭の中は、まっ白になりボーッとしておりました。 私の様子を察した夫は「いいよ!自分一人だけで帰広し全てを終わらせて帰ってくる」「それより僕が居なくても大丈夫か?」「君は自分のことだけを考えて!」 夫は長男です。全てを彼が仕切らねばなりません。親の死と妻である私の乳ガン告知と大変だったと思います。彼が一番辛く悲しかった筈です。 あれから八ヶ月が過ぎ、元気な元の生活にやっと戻りつつあります。あの時の事を振り返ってみて、自分だけが悲劇のヒロインになっていた様に思います。何と恥ずかしい事か!何と弱い私であった事か!と今さらながら情けない自分を反省しています。 元気になり健康の有り難さ、そして夫の優しさを改めて知り、これからは前向きに夫のためにも、周りの人のためにも元気に強く生きていこうと思っています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.19

■ 口にしない言葉  十数年前、妻に乳がんが見つかり、ただただびっくりするだけで、いわれるままにリンパごと摘出手術をうけました。  術後、腕のだるさなどの症状がでたものの、検査の間隔も次第に長くなり、一見順調のようですが、本人は独り、転移はしていないかいつ再発するかと毎日不安と戦っているのだと思います。  当時を振り返りますと、まだ患者会などもなく、家族としてはどう対処して良いかわからず、ただ見守るばかりでした。通院の時に同じ病棟におられた方と一言二言ことばを交わしたことを、家に帰ってから報告するでもなく話します。それがせめてもの気持ちのはけ口になっている様子でした。  こちらから励まそうとして、『大丈夫だよ』といっても、さしたる根拠がなければ白々しく、何も言えなかったことを覚えています。ひたすら本人の話に耳を傾け、うんうんと、うなずいてあげることで精一杯でした。  ただ、転移という言葉をこちらからは、一切口にいたしませんでした。絶対あってほしくないことだからです。  その後、本人は縁あって患者会に入会し、がん医療について幅広い知識が得られるようになりました。おしゃべり会では、他の人の気持ちもわかり、自分のことも聞いてもらえることで、病気に向かう姿勢もととのってきたようです。  おしゃべり会では、非情な言葉もどんどん飛びかっていることと思います。それも患者会だから許されるのだと思います。おかげさまで、最近はひどく落ち込むこともなく、安心しすぎることもなく、おだやかに過ごしているように見受けられます。  しかし、いまだに正しく励ませられるような言葉が見当りません。せめてわが家では、絶対必要の無いだろう”転移”という言葉は、これからも口にしないことと決めています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • eastkg
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.18

2006年1月、ハンバーグの大きさだな!あまりにも衝撃的な言葉である。 これが私の「がん告知」であった。何で!私が!・・・会社の人間ドックも受け、乳房も病院で定期的に受診していた私がなぜ、どうして・・・頭の中は死・裁判・余命・会社は等と錯乱しどうやって帰路についたか覚えていません。左乳房全摘、ステージIII、リンパ節転移あり。非常に厳しい結果で再発のリスクも高い事を告げられた。 すっかり元気をなくし、憔悴しきった私を見て、長女はお母さん!!「がん」と戦っているのはお母さん一人じゃないんだよ。家族全員で戦っているから大丈夫だよ。と優しく言葉をかけてくれた。いつも笑っているお母さんが大好きだから・・・とも言ってくれました。 現在転移し治療中ですが、それからは明るく過ごせる様に努めています。例えば週に1つでも自分にとって嬉しいと思えることに出会う(花が咲いていたとか等)。又、外出出来るうちにはと思い、旅行を計画したり、友達との会食やおしゃべりをしたりと楽しんでいます。 しかし、前向きな気持ちで日々過ごせるのは患者会の代表の方に出会えた事故と、言うまでもありません。 今は、来年の3月にハワイでの長女のウエディング姿を夢見ながら過ごしています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kubhiro
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.17

実は私は十九年前乳ガンを病みまして、この度は二度目で、ガンとわかった時、何で又私が、あの苦しみをくり返すのかと、どうにもならない時間と空間の中に入りこみ、当りまえのことを見たり聞いたり出来ず、まるで、悪いことをした、悪人のような目で世間から見られているかのように感じました。 いつしかこのまま死んでしまいたい死魔に襲われ、この家の前の道路に、飛びこんでしまおうか、又娘がすぐ姫路より来てくれ私を励まして、温泉とか、高尾山へとか連れていってくれるこの娘の運転している車のハンドルを曲げてしまおうか、又川にさしかかると、この橋の上から、身を投げたらどんなに楽かと、朝から身をかがめ死ばかり考える日々が、二ヶ月位続いたでしょうか。子供にいわれる同じ事しか出来ない日々でございました。 実は娘と息子の仲が悪く、一生兄弟とはいえない状況でしたが、そんな中で、私のこの病気を通して、二人が歩み寄ることが出来ました。お母さんの病気は、私達一家を幸せの方向に導いたの、おにいちゃんと仲良く出来て本当によかった。やっぱりお母さんの、ガンは、良い事を運ぶために出来たんだね。もうこのガンは治ったんだよ、これからは、毎日楽しいことをいっぱいやってね。おばあちゃんのことも、大事だけど、自分の事を、一番にしてね、お願いだよ、必ずガンは消えるからさ、安心して、私の直感は必ず当たる、心配なしだね、又お母さんはひとりじゃないんだよ、今からが本当の人生のスタートだと思う、私が幸せにしてあげるから、心配しないでね、これからが楽しみだね。 娘から数々の励ましの、手紙、言葉をもらいました。何と言っても娘も兄と仲良くなれたことこれがどれ程、私達家族にはありがたいことです。そして息子も、月一度の食事会、又旅行につれていってくれたりその交流が何よりの薬です。今術後二年を五月で過ごすことが出来、どんなことをしても子供達のためにも、必ずの思いで、のり越えるべく頑張ります。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • inochb
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.16

■ 私の乳がんと、診断される迄の半年間の辛さ苦しみ ある日、自分の乳頭から、鮮血が出たり、左乳房がピンク色に大きく硬く腫れ上がったり、痛くて、痛くて、飛び上がる思いの中で、大きな大学病院を三ヶ所受診しました。乳がんに必要な検査として、胸のレントゲン・マンモグラフィー・超音波、痛い、痛い乳房乳頭の細胞針を三回も受けて、どこの大学病院も外科の先生も、今は乳がんと断定できず、検査では、良性か、悪性かも診断できないと。先生方や、検査の方に聞いても、冷たい視線で何も返事が無く、信頼できない、納得のできない答え、態度ばかりでした。 そんな時に、不安におびえている時期、私の20年来の主治医である、開業医のU先生からの紹介で、U先生が信頼されている外科の先生で、F先生を紹介するよと、F先生は、今度K大学病院に帰り、新しく乳腺外科外来を担当することになったので、一度会って受診してもらってはと、連絡を戴きました。 また、U先生は、はっきり診断されず、悲しみ、悩んで、苦しんでいる私に、「ぼく達は医者であるが、どんな大きな大学病院の教授を紹介しても、最後に決断するのは、医者を選ぶのは、患者さんで良いのですよ、けっして医者に遠慮はいりませんから」と肩を支えてくださり、私に力強く言って下さった言葉に、私の体の中の緊張感、張り詰めていた気持ち、迷いが、心より、体から解き放たれて、我を忘れ嬉しさと、感動でU先生の前で、大きな声で泣きじゃくりました。先生ありがとうございますと、何度頭を下げたことでしょうか・・・。 数日後、いよいよF先生とお会いする日が来てまた不安な気持ちでいっぱいでしたが、夕方の暗くなった病院の診察室で、先生も手術や、患者さんの忙しい最中に、私を呼んで下さり私に会うなり、何も話していない私に、「色々今迄ほんとうに、苦しかったでしょうね、辛かったでしょうね、患者さんにこんな辛い気持ちにさせた私たち医者や、医療スタッフ、技術者に代わり心よりお詫びをします」と、先生が頭を下げて下さいまして、私はびっくりするやら、申し訳ない気持ち、恐縮な気持ちで先生にお答えしました。 今迄苦しく、悩んできましたが、F先生は私の病気の全ての資料を見て下さって診断され病名もはっきり乳がんで、ステージ2です、でも残念ながら、左乳房全摘出とリンパも切除する可能性もありと伝えられまして、私は手術全てを信頼し、先生の伝えられたお話を納得出来入院の日を決めました。これで病気の心配、家族への心配させた思い、支えてくれている友人達にも、乳がん手術を終えて、一日も早く元気になり、社会復帰、母親、妻として元の自分に戻りたい気持ちになりました。患者として、これ程に、巡り会う先生によって心と体、精神的な励ましは何よりです。大きな手術に向かう患者の心の癒しに、ほんとうに心より、杏林大学病院の乳腺外科のF先生と、20年来の主治医のU先生に感謝とお礼を申し上げます。患者として大切な事、乗り越える大切な心は、自分で遠慮しないで、何でも先生に相談する事、はっきりさせる自分の決断力が一番大切と教えて戴きました。 今悩んでいる患者さん、これから手術を受けるにあたり疑問に思ってる方々、勇気を出して前向きに、先生方や、医療チームの方々に、納得のいく自分の治療をして下さる事を心より願います。そして、ありがとう、感謝の気持ちを忘れず頑張る事を望みます。 今迄、色々お世話になった皆様に心よりお礼を申し上げます。今は、再建手術も終わり元気です。今は、患者会で楽しく勉強し活動しております。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • fum_b
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.15

■ 夫から 癌の宣告を受け、ただただ恐怖に震えていた時、「手術を受けなさい。乳房が失(な)くなっても、自分の気持ちは変わらないから。」心は錯乱状態でしたが、この言葉で手術を受け元気になりたい、と思えるようになりました。 ■ 姻族から 私は全く知らなかったのですが、その方は偶然私と同じ病院に入院していました。手術を数日後に控え、不安の内に過ごしていたある日のこと。私の病室の前にパジャマ姿で立っている老人の方がいました。ただもうびっくりして話を伺うと、その方は脳腫瘍の病気で手術待ちの身であること、それにも関わらず私のことを聞き知ってお見舞いに来てくださったことが分かりました。 「乳癌ですってね。大丈夫ですよ。きっと元気になりますよ。近所の方で乳癌の手術後すっかり元気になられて、今では自転車で飛び回っていますよ。」 笑顔で励ましてくれました。それが伝えたくて、わざわざ病室を探して尋ねてくださったそうです。それを聞いた時、何だか元気になれそうな気がしてきたのは不思議です。 その方は、私と前後して十数時間に及ぶ手術をして放射線治療と療養生活を続けましたが、間もなく大腸の方にも転移し、亡くなられました。 自分一人ではない、たくさんの人に支えられ、助けられて生きているんだ、いや生かされているんだとつくづく思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ywaka_n
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.14

『メメントモリと私がよければそれでいいのよ』 「みんなは気をつけてね。私には関係ないから・・・。」 私はずっと健康でいられると思っていた。それなのに突然のがん宣告。2001年8月のことだった。自分の健康には裏付けのない、意味のない絶対の自信を持っていた私にとって、乳がんの宣告はまさに青天の霹靂だった。 だから驚くとともに恥ずかしかった。 だれに対して恥ずかしいのかと問われても答えられないのだが、しいて言えば自分に対して恥ずかしかったのだろう。だって、ずっと「私に限って・・・はない!」と思っていたのだから。この乳がん体験以来自分の中で考え方が変わった。 その頃聖路加国際病院名誉院長の日野原先生のお書きになった文章を何度となく目にする機会があった。そのなかの一文に『メメントモリ・死を想え』があった。これが胸にストンと降りてきた。このとき人生には終わりがあることを意識し、いつ終わるかもしれない自分の人生を大切に生きるために『しない言い訳』を探すのを止めた。 告知のとき感じた戸惑いや不安。その想いを『山梨の医療環境をよりよくするために何かしたい』いう気持ちに換え、友人の力を借り、希望に燃えて患者会の設立を実行した。「きっと私と同じ気持ちの人がたくさん集まって、山梨の医療環境をさらに向上させる動きが盛り上がること間違いなし」。 会を立ち上げると山梨に住む乳がん経験者がたくさん集まった。みんないろいろな経験を持ち、いろいろな不安や不満を何とか乗り越えてきた人たちだった。それらの声を形に変えれば山梨の医療環境を変えられるかもしれない。そんな期待でいっぱいだった。 しかし、回を重ねるごとに集まる人は減っていく。 あるとき、歩いている私の横に来て話しかけてきた会員の言葉に耳を疑った。 「私、山梨の医療環境なんてどうでもいいの。私がよければ。もうついていけない。」 ショックだったが、このときそう言ってくれたメンバーも勇気が必要だっただろう。だって、だれが見ても間違いがない事をしている私を批判したのだから。 しかし、この言葉のおかげで視野が開けた。 「そうだ、みんな自分が一番大切で、自分が幸せになりたいんだ。周りの事に気を配れるほど余裕はないんだ。私は幸せなんだ。」 いい事をしているといううぬぼれと気負いが少しずつ取れていく。医療環境を変えたいなら少しずつ声に出していけばいい。必要ならその声はおのずと大きくなっていくだろう。私が救われた言葉だった。 「メメントモリ」と「私がよければそれでいいのよ」は私の宝になった。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • TM-b1717
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.13

平成16年の秋の検診で乳癌が見つかった。 平成17年1月7日に肺に影が又見つかった。それからは苦悩と悲しみの中にどんどん引きこまれて行く。癌という二つの手術は受けたけれど、今は出掛けたり家事をしたり、楽しみを持つことは元気になれる。二つの癌が見つかってから、我が家も娘の家も、私を中心に生活が変わった。 検査通院や落ち込んでいる母親のために娘は仕事・家事・送り迎えと振り回され続けていた。そんな時、知人であるTさんには快く車の運転を引き受けて頂いた。ずいぶんとお願いをした。Tさんの家族の皆さんの心づかいも嬉しかった。  私は九州の田舎に実家を持つ。たよれる人はかぎられていた。気の置けない人には話しておいたが、早朝に兄に電話して不安を伝えた。その日の夕方には、兄は我が家に来ていた。その日から、また一人、通院の同行者が増えた。兄は17日間もいてくれたが、手術前の妹を案じながら帰って行った。また、来ることを約束して。  側に支える人がいれば、その分頑張れます。今でこそ、患者会で、いろんな出会いと知識を頂いていますが、もっと早く会を知っていれば、不安も少なかったことだと思います。大体の人が術後に入会することが多く、幸運な人は術前にアドバイスを受け、自分が一人でないことを知り、救われた気分になれるでしょう。  患者会の皆さん大変ですが、宜しくお願いします。患者が希望を持てるように皆でがんばりましょう。  私は乳癌・肺癌二つの体験をした。先生は早く手術を勧められるが、私なりに考えた。手術を望まない私は、低位照射陽電子・ラジオ波・レーザー等、人知れずアタックした。実際は情報集めの段階で終わりである。乳房切除、背中に大きな傷跡、できることならさけたかった。  平成17年3月1日乳癌の手術をし、術後の放射線治療は市内の公立病院にお願いした。まだ肺癌手術を勧められていること。先生は、CTを見ながら、僕は低位照射もしますが、僕の家族だったら、手術を勧めますと、自分の意見をのべられた。ここでの治療は終わったけど、時々来ても良いですかと尋ねたらどうぞとおっしゃった。  それから1年後に肺癌の手術をした。いろんな迷いもさっぱり捨てて手術は終わっていた。二度の癌手術体験である。  希望を持って楽しく生きよ。苦しかったら、仲間と手をつなごう。泣いている人には共感しよう。生あるもの、宿命を知りながら、身体の一部分は失ったけど、その分、かけがえのない人達との出会いがあった。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 「愛する家族への手紙」

    一緒に暮らしている家族だからこそ、なかなか言えないことがある。がん治療生活を通じて感じた、あなたの気持ちを家族にきちんと伝えませんか。 <投稿にあたっての注意> ※メッセージは全角で800字(半角1,600字)以内でお願い致します。 ※皆さんから寄せられた投稿が、第3回がん患者大集会のパンフレットに収載される場合があります。予めご了承いただいた上で、ご投稿ください。

  • 「運営スタッフに連絡」システムの文字数は、100?それとも50?

    最近、このサイトの「運営スタッフに連絡」のシステムを使いました。 「100文字以内」との注釈があったので、したがったつもりでしたが、何度投稿を試みても「エラーが発生しました」「・・・100文字以内に収めてください」のメッセージが出るばかりでした。 文字数を削ってはトライ、を何度も繰り返したあげくに、「半角100文字以内に」と書いてあることに気付きました。 「半角ってどういうこと?英数文字で打てということ?それとも半角カタカナ?」という疑問が浮かびましたが、通常の文字で50字で投稿したら、やっとで通りました。 このことから、半角100文字は全角50文字という意味だと理解しましたが、どうして最初から「50文字」と案内しないのか疑問です。 管理者は、メッセージを英数文字かカタカナで打って欲しいのでしょうか? それとも本当は、クレームめいたメッセージを受け取りたくないために、わざとややこしくしてるのでしょうか?

  • こんなソフト有ったらなぁー

    日記やブログ、サイトのコメントなどで文字数が決まっていて、文字数を数えながらって面倒ですよね。(数えてはいません) 多すぎたら文章を削っていくこんな感じなんです。 この質問内容入力でも 文字数は全角2000字(半角4000字)以内です。 文字数制限を超え、質問を複数に分割して投稿した場合は削除の対象となってしまいますのでご注意ください。 となっています。これでも半角英数字交じりになっています。 画期的なソフトってありますか?

  • 翻訳でどうしても気になることがあります!!

    日本文でたとえば、「全角40字(半角80字)以内で入力してください。」としている文を翻訳する時に、この「(半角80字)」の「(←カッコ→)」は日本文と同じで文章の最後に「(←カッコ→)」を付けて「半角80字」を入れればいいのでしょうか?教えてください。

  • 困ってます

    質問投稿は全角2000字以内という規定で、2000字に満たない数で終わらせてるのに文の途中までしか表示されません。どうしてでしょうか?

  • Googleへのハイパーリンクの付け方

    Wordの文中のある単語にハイパーリンクを設定し、その単語をクリックするとGoogleでその単語のを検索した結果が表示されるようにすることは可能でしょうか。 イメージとしては、 「文字数は全角2000字(半角4000字)以内です。」 の文があったとすると、『全角』にハイパーリンクを設定し、『全角』をクリックすると、Googleで『全角』を検索した結果が表示される。 といった感じです。 よろしくお願いいたします。

  • 回答する際の注意事項がおかしいと思うのですが

    『回答は全角800字(半角1600字)以内です。これを超える長文の分割投稿はご遠慮ください。』 この様な表示がされますよね。で、これに従って邪魔臭いって思ったのだけど、少し長くなったので、2回に分割しました。しかし同じ質問の回答で1317文字も書かれている回答がありました。 ずっと前から質問文には2000文字が与えられているのに、回答文に800文字は少ないと感じていました。実際には何文字まで回答欄には書けるんでしょうか。まあ実験しても良いのかも知れませんが、自分の質問文を削除する事が可能なのかも判りませんので。

  • 結婚式で友人に贈る言葉

    今月末に、友人が結婚するのですが、 そのときに、私達と他の友人と数人で寄せ書きのようなものを 贈ることになりました。 何か心にぐっと来る一言を書きたいのですが、 そこで皆様にお知恵を拝借したいと思っています。 文なら短い方が良いです。10文字以内くらい。 あとは、単語でも良いです。2~4字熟語など。 もちろん造語などでも構いません!! ぜひよろしくお願いします。 ちなみに、結婚する友人も、私も、他の友人も 全員女です。

  • Excelでバイト数の最大数が決まったデータを作りたいんです!

    上手く説明出来ないんですが・・。 エクセルで、項目それぞれにバイト数の最大数が決まったデータを作りたいんです。 例えば ◆職員番号・・・バイト数12(半角)         職員番号は8桁なので、その後ろに残り12バイトまでの半角パディング。 ◆氏名 ・・・ バイト数16(全角8字まで)         全角8文字以内なら、その後ろに残り8文字までの全角パディング。         全角8文字を超す氏名なら、8文字で切る。 ◆カナ ・・・ バイト数58(半角)         半角カナ文字で残りの58バイトまで半角パディング。 *これをcsvに変換します! これを文字列だけ打ち込んだら、自動で最大バイト数まで半角・全角を埋めるようにすることは出来るでしょうか? また、氏名のところのように自動で8文字までの入力しか出来なくするようにすることは出来るでしょうか? 説明が下手で申し訳ないんですが、おわかりになる方ご教授下さい。 よろしくお願いします!!

  • 自分が書いた「質問内容」の「文字数」を知るにはどうすればいいでしょうか?

    教えて!gooで質問を投稿しようとするとき、 質問内容はいつも、テキストエディタ(秀丸)で質問を全て入力したあと、それをブラウザのテキストエリアにコピペして貼り付けています。 ですが、『文字数は全角800字(半角1600字)以内です』の制限にひっかかってしまい、そのとき目分量で、てきとーに文字を削って全角800字におさめています。ですが目分量なので、なかなか全角800字におさまらないことがあります。 そこで、もっと的確に、自分が書いた「質問内容」の「文字数」を知るにはどうすればいいでしょうか? 「質問内容」を選択し、その状態で何らかのツールor秀丸マクロor何か?を使うと、すぐに「選択した文字列が何文字分なのか」が分かればいいのですが・・・ どなたかご存じの方、教えていただければ幸いです。 -- それから関連して・・・ 「改行コード」は半角1文字計算でしょうか? 参考のため、Win(\r\n),Mac(\r・・・OS Xだと違いますか?),Unix/Linux/BSD(\n・・・全てが\nだったかどうかはわすれました・・・)について、 教えていただければと思います。 以上、よろしくお願いいたします。

このQ&Aのポイント
  • Windows10でMFC-J903Nプリンタとの接続ができない問題について
  • Windows10環境でMFC-J903Nプリンタとの接続トラブルの解決方法
  • MFC-J903NプリンタのWindows10接続エラーの原因と対策
回答を見る