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イザヤ書7:14は成就しなかった?

イザヤ書7:14においてインマヌエルの生誕が予言されていた。マタイ1:23でインマヌエルのイザヤ書7:14が成就したような言われ方をすることが多いようです。 でも、生まれた子の名前はイエスですから、インマヌエルではありません。だから予言は成就しなかったことにはなりませんか?

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  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

難解ですよね。 イマニュエルという言葉について「実は」と説明されたものを昔見ましたが、内容思い出せません。。。。。 http://elemiya.asablo.jp/blog/2006/12/20/1039201 【イザヤは、アハズ王の不信仰に絶望して、次に生れる王子(ヒゼキヤ王)こそがインマヌエル―神と共にいる「しるし」となる、と預言します。有名なインマヌエル預言です。 このあと預言は、その生まれた子は成人するまで荒れ野に避難し、その間に、アッシリアにより、北イスラエル(王ペカ)とシリア王ツィン)は攻め滅ぼされると続きます(7:15~17)。 このインマヌエルと呼ばれる「男の子」は、誰でしょうか。 「男の子」は、新約聖書では、イエス・キリストを意味していますが、本来は、ヒゼキヤ王子の誕生を意味するといわれます。 】 これとも違った気がしますが、駄目です。別の説 思い出せません。 参考までに http://elemiya.asablo.jp/blog/2006/12/25/1073287 が、(苦笑) 最近アメリカのTVドラマ LOST を見ていて「あれ?」っと思いました。 その中で神父のエコーが聖書の一説を口ずさむのですが、その時「ジュザヤ」と言ったんですね。 ユダヤのことか? 字幕をオンにしてもう一度見直すと、字幕では「イエス」となっている。 内容は新約聖書の一説だったと思います。 預言者イザヤとイエス。 もう ごちゃごちゃですね。 ちなみに私のうっすらとした記憶だと、イザヤ書では確か主の道を整えると預言されていたような・・・・ 道を整えたのは洗礼者ヨハネですから、ヨハネってことになります。 さらに ぐちゃぐちゃ。 で、無理やり後世の人の誰に該当するか合わそうとするから、こうなってしまうのであって、、、、、 古代へブル語には時制が無かったと聞いたことがあります。 過去か 現在か 未来か 時制が無いので判断がつかない。 預言と予言がごちゃごちゃになると、未来のことを予言した文章だとなってしまうこともある。 過去というか、起こったことを記録として残した可能性もある。 すると、イザヤ書は未来を予言した書物ではなくなる。 死海文書の中にハバクク書というものがあります。 ハバクク書1・5. 「というのもわたしはおまえっちの時代にひっつのことを成し遂げるが、おまえたちは、それを告げられても信じない」 このハバクク書には注釈がある。 「[きしゃくすると、これは]彼らが神の口から義の教師[によって受け取られた言葉を聞か]なかったということで、偽りのひととともに信じようとしなかった者たちに[関わる]。そしてそれは、彼らが神の契約を信じず、神の聖なるおん名を[汚した]ということで、新しい[契約]に忠実でない者たちに関わる。また同様に、この言葉は終わりの時に忠実でない[者たちに関わると]解釈できる。彼ら、暴力の人にして契約を破る者たちは、祭祀(義の教師)から最終の世代[に起こる]ことすべてを聞いても信じようとしない。神はその者たちを介してご自身の民と[ご自身の土地]に起こる全てのことを予告されたご自身の僕たちである預言者たちの言葉を全て解釈できるよう、[この祭祀の心の中に理解力を]置かれた。」 短い文なのに注釈はえらく長いですね。 ちなみにこの義の教師が生きた時代は、、、紀元前 いつだったか忘れましたが、イエスが生きたとされた時代よりずっと前。 「災いあれ、彼らはお祭り騒ぎを見ようと、その隣人たちに酒を飲ませ、毒を注ぎ出して彼らを酔わせる者は」 この注釈は、、、、 「解釈すると、これは悪しき祭祀に関わる。彼は義の教師を流刑の地にまで追いかけた。その有毒な怒りで混乱あせるためである。そして急速や贖罪の日のために定められた時に、彼らを混乱させるために、また彼らの憩いのシャバトや断食の日に、彼らをつまずかせるために、彼らの前に現れた。」 こう言われて思い出すのが、イエスが安息日にやった行いですよね。 「私につまずく」 イエスが言ったとされた言葉。 ハバクク書にイエスの行いが霊視されていたのか?ってなってしまう。 ね? 起こったできごとの記録か、未来の予言とするかで、下手すればイエスは死海文書に書かれていた悪の祭祀にもなりえてしまうのです。 安息日に麦を集めた行為を非難したのはパリサイ派でしたっけ? そうなると、義の教師を追いかけていったのはパリサイ派の悪の祭祀にもなりえてしまう。 確かにクムラン宗団体は、終末思想を持っていました。 が、どれが既に起こった記録としての文章か、未来の神の計画を預言者が受け取ったか わからないとどうにもなりません。 ほとんどが記録で、未来の予言じゃないと私的には思っています。 それを勘違いすると、ノストラダムスの大預言で2千年に地球が滅びることが、予言されていた って毒を飲まされ酔わされてしまうわけです。 そうそう、イエスは水を酒に変えたというものがありましたよね。 下手すりゃ イエスは毒蛇にもなりえてしまうことが予言されていたことになってしまう。 過去のことだとしたら、イエスは過去に予言された悪魔の出現ではなくなるわけです。

その他の回答 (4)

  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.5

微妙。 どんべえの天ぷらみたいに あとのせサクサクっぽいとこあるね。

  • hhituji
  • ベストアンサー率30% (15/49)
回答No.4

インマヌエルの意味は『神がわれわれと共にいます』という意味です。 つまりこの預言は、イエスが神であるということを預言しているのです。そして神が、処女から生まれ、受肉して人々と共に住むということを預言しているのです。 12使徒は、イエスを神であると固く信じていました。それはヨハネの福音書の冒頭の個所を読めばよくわかります。 そのように信じている使徒の一人、マタイが、イザヤ書のこの個所を読めば、間違いなくこれがイエスのことを示していると考えるでしょう。 つまり、この時代の初期のクリスチャンから見れば、このイザヤ書の個所は、紛れもなく正確な預言の成就なのです。 それから、処女受胎は、いろいろな状況証拠があることも補足しておきます。 まず最初に、マリアが結婚前から孕んでいたのが有名な事実だったということです。このことは、聖書以外の古代文献からもわかっています。 つまり、処女受胎かどうかは別にして、イエスが普通でない生まれ方をしたのは間違いがないのです。 では、なぜヨセフはこのことを知っていてマリアと結婚したのでしょう。様々な推測はできますが、当時の社会慣習を考えると、マリアが姦婦だったということも、レイプされたということも考えられません。姦婦だったらその女は死罪です。レイプだったら、キリスト教を激しく迫害したパリサイ派の正典、タルムードはそれを間違いなく書いたはずです。そのほうが信憑性が高いのだから、処女降誕を否定できます。 唯一納得できるのは、マリアがやましいことをせずに身ごもり、それをヨセフが信じたということです。 また、マリアはイエスの死後キリスト教に帰依しています。マリアは母でありながらイエスが神であることを認めたのです。 そして、キリスト教に帰依することにより、さらに二人の愛する子まで迫害で失っています。もし、処女受胎が嘘だったら、こんな不合理な行動を母親として取ることができるでしょうか? イザヤ書は、処女受胎と、イエスが神であったことを、完璧なまでに預言しているのです。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

[生まれた子の名前はイエスですから、インマヌエルではありません。] マリアの子供はインマヌエルですよ。のちに弟子や皆さんに「イエス」と呼ばれますが。 マリアやヨセフの所属していたエッセネ派は救世主待望宗教でしたからマリアに精霊が来たのを見た人達が、マリアの子がイザヤの預言の子であると確信したので、当然、子供の名前はインマヌエルなんですよ。後の12人の弟子はイエス様が30になられるころからですから、インマヌエルの出生の秘密など詳しくは知らないはずだよね。 まあ預言者イザヤはあなどれないということだね。

  • tyr134
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回答No.1

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」 この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。-マタイ1:23 より前に、 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うためである。-マタイ1:21 とあります。 これを告げたのは、マタイでは「聖霊」ですがルカ1:26にて天使ガブリエルであることが分かります。 さて、聖書の記述では「預言者によって言われた事が成就するため」との意味の記述が多数あります。 質問者さまは、『預言』と『予言』を誤謬されています。 『予言』は未来を言い当てる事ですが、『預言』は「神の言葉を預かる」という意味です。 イザヤ書で書かれた「視よ、処女はらみて子を産まん。その名をインマヌエルと称するべし」とは、『預言』です。 しかし、イザヤ書は過去の『預言』です。 そして、天使ガブリエルを通して「イエスと名付けなさい」と言ってきました。 聖書自体が旧約・新約であるように、神の言葉は更新されるわけです。 なので、「インマヌエル」ではなく「イエス」と名付けられたのでしょう。 因みに、ユダヤ教の預言者はキリスト教でも預言者ですが、キリスト教徒にとって預言者は過去のモノです。 イエス以後は現れていないと考えられています。(イエス自身は「神の子」にして「救世主」) ユダヤ教では紀元70年の神殿が壊れたときにから預言者は現れていないと考えます。 なので、それ以後に成立した新約聖書をキリスト教徒がいうように「新しい契約」としては認めず、いまだ旧約聖書(ユダヤ教では『Tanakh(タナク)』と呼ぶ)を唯一の聖典としています。

参考URL:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CD%C2%B8%C0%BC%D4

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