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豊臣秀吉の「バテレン追放令第10条」と奴隷貿易をしていたキリシタン大名・天草四郎

eroero1919の回答

  • eroero1919
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回答No.5

>天正少年使節団が報告した日本人女性50万人が奴隷として売買されていた悲劇を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇を、どうして教えないのでしょうか? それはですね、簡単な理由です。↑の話が根も葉もない捏造された話だからです。 まず、天正遣欧少年使節団がヨーロッパで日本人の奴隷を見たって話ね。使節団はヨーロッパで大歓迎されました。なぜなら、当時のヨーロッパの人は日本人を見たことがなかったからです。 使節団は1582年に長崎を出て、リスボンに到着したのが1584年です。丸2年以上かけて到着しています。いくら奴隷といっても、2年もかけて運んだらその間の食費だけで大変です。それに奴隷だから衛生状態も悪いし、栄養不足とストレスで病気にかかってばたばた死にますよ。ずっと後の江戸時代に大黒屋光太夫という人が漂流してロシアを横断して日本に帰国しましたが、始め10人以上いた漂流民のうち再び日本の土を踏めたのは光太夫を含めてたった2人でした。それでも彼らは「難民」として(当時としては)手厚い保護を受けていたにも関わらずです。 生きて50万人も送ったなら、何百万人も日本から連れて来ないとそんな数にはなりません。 また、使節団の報告書なるものがでっち上げです。使節団が帰国したとき、既に日本はバテレン禁止令が出ていました。帰国した彼らに居場所はなかったのです。それに、使節団のリーダーである伊東マンショは帰国後に神学を学ぶために再びマカオに行ったりしています。ヨーロッパ人のひどい行いを目にした人がなぜ再び神学を学ぶために海外留学したのでしょう?つじつまが合いませんね。 >古い物語などに出てくる天草四郎は魔回転生に出てくるような化け物として描かれています 当たり前です。江戸時代はキリシタンは禁止です。天草四郎を英雄視するようなことを書いたら一族郎党厳しく罰せられますよ。 この話はあっちこっちでたまに目にするんですが、どれも資料をたどると徳富蘇峰の近世日本国民史にたどり着きます。そして、徳富蘇峰が何を元にこの話を書いたのか、その元ネタが全く不明なんです。そもそも、江戸時代にはキリシタン禁止令が出ていたので天正遣欧使節団の存在は江戸時代には日本でも記録が抹消され、忘れられていたのです。 ではなぜ徳富蘇峰はこんな嘘っぱちを書いたのかというと、彼は非常に熱心な右翼的愛国者でした。そして、その思想は嫌米嫌欧でした。昭和初期に既に歴史家、思想家として有名人となっていた彼は反アメリカへ世論をリードすることに大変な功績をあげたそうです。要するに、「ヨーロッパ人はこんなにひどいことをする連中なんだ」といいたかったためにちょっと嘘を織り交ぜたのです。 嘘を学校で教えるわけにはいかないでしょ。

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