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「ゴドーを待ちながら」はなぜ名作なのでしょうか

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お礼率 95% (71/74)

ベケットの「ゴドーを待ちながら」はなぜ名作なのでしょうか。

2度ほどこの芝居を観ましたが正直理解に苦しみました。
これといって大した筋もないし、「ただ待っているだけ」の芝居が名作といわれるのは本当に不思議です。

名作といわれる理由を、どなたか教えていただけますでしょうか。
よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.2

ベストアンサー率 31% (36/116)

舞台は観たことがありませんので、あくまで小説(戯曲)を読んだだけの
感想となります。参考になるかどうか分かりませんが。

「ゴドーを待ちながら」は1952年に発表された戯曲で、前衛的な戯曲としては、
あとはイヨネスコぐらいではなかったでしょうか。なぜこのような戯曲が
誕生してきたかといえば、やはり第二次大戦の影響がおおきく、すべてが
崩壊してしまった後に新たな価値観を見出していこうとすれば、既存の価値観を
検証しようとする動きは当然で、文学の世界にもその波が押し寄せてきたと
考えてもおかしくはないです。

事実、以降60年ぐらいまで、ヌーヴォーロマン(アンチロマン、新しい小説)と
いわれるものが、数多く書かれてきます。ロブ=グリエとかビュトールとか
ナタリー・サロートとか。

「ヌーヴォー・ロマン」は物語の解体とか、小説のための小説とか
言われていますが、最大の功績は、小説から倫理性を排除していったことだと
思うんですね。
「ゴドーを待ちながら」はそのなかのひとつと考えてもいいのではないか。

じゃあ、ベケットはこの戯曲のなかで何を表現したかったのだろうか。
たとえばほんの身近な例ですが、質問者様はこの質問を投稿されて、
回答を待つわけです。それはあくまで回答という漠然としたもので、
中身はどんなものか予想がつかないわけです。(たとえばこの回答のように)
それでもやはり質問した以上、いつやってくるかもわからない回答を待っている
わけですね。内容すらわからないし、来るべき日も不明。
これは考えようによってはきわめて理不尽なことです。

そうしたものの究極の例が「人の死」ではないでしょうか。
われわれは肉親や知人の死に遭遇するごとによって、
死の認識を深めていくのでしょうが、自らの死は経験、
知覚することか出来ませんね。そしていつかかならずやってくる、
「概念としての死」を待っているのではないでしょうか。これは不条理の
最もたるものだとおもいます。
ゴドーはかならずいつかやってくるのでしょう。しかしそれがいつの日かは、
だれにもわからない。
もしこうした待つという行為からのがれようとするならば、待つという
行為を終わらせるしか方法がないのでしょう。先の例でいえば、質問を終わらせる
ことでしょうし、劇のなかであれば、ゴドーが来なかったら、死のうと言っているように。

こうした不条理なものをうまく劇化していることが、この戯曲が
評価をうけた理由ではないかと思います。
「ゴドーを待ちながら」の場合は物語の贅肉をそりおとし、思い切って
単純化することによって、象徴性というか寓話性かが生まれてきている。
こうした舞台劇が今までに無かったことと、後の舞台劇に影響を
与えたこと、この点が、いわゆる名作と言われてる所以かな、と思いますが、
劇を観ていないだけに、観ればまた違った印象を持つかも知れません。

纏まりの無い文で失礼しました。
お礼コメント
kos_kos

お礼率 95% (71/74)

ご回答ありがとうございました。
お礼が遅れて申し訳ありませんでした。

回答を読ませていただき、少し衝撃的でした。なるほどそういうことか、
とわかってきた感じがしてきました。

時代背景からみれば、理解できる部分があるということと、
今の自分の生活に当てはめても、「待つ」という行為は、常にあって、
それが「不条理」である、という感覚も理解できました。

確かに、今、イラクの人たちが「ゴドーを待ちながら」を観たら、
非常に切実な内容として身に迫るものになるかもしれませんね。

>それでもやはり質問した以上、いつやってくるかもわからない回答を待っている
>わけですね。内容すらわからないし、来るべき日も不明。
>これは考えようによってはきわめて理不尽なことです。

本当に、その通りで、随分待っていたんですよね。
最初、回答が全然来なかったときには、自分のなかのこの疑問は、
また晴れることなく終わってしまうのか、と悲しくなりました。
でも、そのうちに来るかな、でも来ないかもしれないと、
ゴドーの芝居のなかのような感覚でした。

いろんな人のゴドー観を知りたいんで、もう少し締め切らずに
待っていようと思います(笑)。
回答まだ来ますかね?
投稿日時 - 2007-03-31 09:22:59

その他の回答 (全3件)

  • 回答No.4

ベストアンサー率 65% (825/1256)

kos_kos さんの生来の美質(優しさ)に
甘えて楽寝にふけて居りました

さて、戯曲にある人物の名前に関して

Godot は直にGod から派生と分かります
otは接尾辞で可愛らしさを表したり軽蔑の意味を暗示
愛すべき神は来るのか いや 人間に二度も
悲惨な体験(大戦争)をさせるのだから来ないし
いないのだ 期待ばかりさせて本来あてにならない存在だ
(ここらの解釈は 歴史に進化はなく歴史は終焉だとの立場)

GodotはGodillotの変形とする考え方です
このGodillot は19世紀後半の軍隊用の靴を製造していた
人物名(A.Godillot)から軍用靴を示しその連想で酷使された
ボロ靴を更に疑うことを知らない人物と意味は拡大

この考え方ですと 大戦の爪跡も生々しいこの頃
Godotは軍隊⇒戦争(死?)を暗示しているのではないか
二度あることは三度あるといいます
戦争(死?)は来て欲しくないものとなります

このように推理しますと二人×二人の人物名Valadimir(ソ連)Estragon(仏)
としてPozzo(伊)・Lucky(英)との図式も浮かび上がります

ここ演劇のキーワードは2です
この演劇は二幕 Godotの暗示するものも二(神と戦争)
人物は精神性のVladimirと肉体派のEstragonの二人
高圧的なPozzoと下僕Luckyの二人の対比
舞台設定は自然(葉が生えることで人間存在と関係ない
時間軸で存在する木)と人間との二つの対置
(この木を電柱にしては、人間による造作物ですから疑問です)

ここまでお読みいただくと この頃Kojeve(コジューブ)により
復権してきたヘーゲル(二項対立の弁証法)の思想が露呈します

それを象徴的に示しているのが次の台詞です
Vladimir: On y va ?(英訳 Well? Shall we go?)
Estragon: Allons-y.(Yes, let's go. )
Ils ne bougent pas. (They do not move.)

自ら意志で命を授からない人間は

成長して自他の区別が付き始めると
神も自然も畏れない傲慢を持ち易い
一方で忍び寄る死に恐れ戦くも
それの直視を出来る限り避けて
残された最後の自由たる自殺にも

到れないなんとも不思議で愛すべき存在。

待つこと等の意義はNo.2thingさんの好回答が
ありますの割愛です。
お礼コメント
kos_kos

お礼率 95% (71/74)

ご回答ありがとうございました。

本当にこんな考え方があるとは驚きです。

PozzoがイタリアでLuckyが英国というのは、
ベケットが「そういう意味も」込められるように、仕込んだという感じでしょうかね。
この芝居を観ている人のどれくらいが、Pozzoはイタリアを象徴しているんだなあ、なんて思いながら観ているんでしょうか?不思議です。
そういう見方が正解なんでしょうか。

いろんな捉え方のできる芝居と考えるのが正しいのでしょうかね。

ヘーゲルの思想とその後の台詞との関連も浅学の私には正直わからないんです(残念!)。
でもこの台詞大好きです。何か非常に心に残る言葉ですよね。

ご回答を読んでもっと「ゴドー」を学びたくなりました。
本当にありがとうございました。
一生かけて観ていく価値のある作品であることが実感できました。

もっと、いろんな回答が来るといいなと思うのですが。。。
「私もわからないです。でも好きです。」なんてのもいいんですがね。
もう少し回答待ってみますね。
投稿日時 - 2007-04-03 01:56:28
  • 回答No.3

ベストアンサー率 65% (825/1256)

kos_kos さん はじめまして

締め切らないで下さい
花見から帰り次第 回答します

語学の達人であった彼だから
フランス語で戯曲を書き
人物名に秘められている
(ゴドーと四人の名前)
事柄にも思いを馳せると
見えてくることがありますから

我侭をお許し下さい
お礼コメント
kos_kos

お礼率 95% (71/74)

大丈夫です。
花見からお帰りになって酔いを覚ましてから、
じっくりと書いていただいて構いません。

ゆっくりとお待ちしてますね。

>人物名に秘められている
>(ゴドーと四人の名前)
>事柄にも思いを馳せると
>見えてくることがありますから

ちょっと期待します。よろしくお願いします。
投稿日時 - 2007-03-31 16:53:59
  • 回答No.1

ベストアンサー率 28% (19/67)

こんにちは。

2度もご覧になったんですね。

いわゆる「名作」というのは、
ごく一部の人たちの判断または意図で付けられたレッテルにすぎません。

ですから、世間の評判を鵜呑みにしたり、
それに振り回されないほうがいいと思いますよ。

あなたにとって意味不明、理解不能であれば、
それはそれでいいのです。
名作だと無理矢理思う必要は全くありません。

特にベケットやカフカのような「不条理もの」については
好き嫌いがはっきり分かれがちです。
私自身はカフカの『変身』も『城』も『審判』も不条理で好きですが、
それを名作だと他人に薦める気は毛頭ありません。
ただの嗜好の問題ではないでしょうか。

あなたも自分の感性と嗜好に従って作品を楽しめばいいと思います。
お互い、メディアや風評に踊らされないように気をつけましょうね。

ちなみに、経験や知識が鑑賞眼を磨くこともあります。

ところで、アメリカ文学になりますが、
テネシー・ウィリアムズの劇はご覧になりましたか。
私は『ガラスの動物園』とか好きです。
お礼コメント
kos_kos

お礼率 95% (71/74)

ご回答ありがとうございました。

>あなたも自分の感性と嗜好に従って作品を楽しめばいいと思います。
>お互い、メディアや風評に踊らされないように気をつけましょうね。

確かにおっしゃる通りなんです。
実際そうやって、楽しめればいいや、という感じで芝居も観てますが、
でも、これだけ、すごい、とみなさんが言っている作品の
本質を理解できないのは淋しいなあと思うんです。

>ちなみに、経験や知識が鑑賞眼を磨くこともあります。

そうですよね。
そこで、自分の知識を少しでも増したいなと思いました。

「ゴドーを待ちながら」について、過去の質問を検索したら、
このようなのが出てきました。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa96184.html

こんな考え方があるんだと新鮮でした。

また、偶然なんですが、昨日の朝日新聞夕刊(2007年3月28日)
に、現在上演中の別役実さんの「やってきたゴドー」の演劇評が出てました。
これは「ゴドーを待ちながら」の後日談のような
芝居なのですが、冒頭で、ゴドーが来てしまう!そうです
これは、すごいなあという感じですよね。

古いですが、第三舞台という劇団の「朝日のような夕日をつれて」
(鴻上尚司作)は「ゴドーを待ちながら」を下敷きにしているのですが、
私の大好きな芝居です。
観ながら沢山笑い、沢山泣き、観ていてゾクゾクするほどいい芝居でした。

そう考えてくると、「ゴドーを待ちながら」のようないろんな解釈ができ、
議論の対象となる作品を理解していないというのは、
人生の大きな損失だよな、と前から思っていて、質問させていただいた次第です。

ですから、いろんな方の「ゴドー観」を教えて欲しいなあと思っています。

>ところで、アメリカ文学になりますが、
>テネシー・ウィリアムズの劇はご覧になりましたか。
>私は『ガラスの動物園』とか好きです。

残念ながら、芝居は観ていません。
ただ、「欲望という名の電車」は、高校生のときに文庫本で読みました。
しかし、これも、正直に言うとよくわからないなあという感じでした。
高校生だったんで、あてにならないんですがね。
「欲望~」は有名な映画があるので、そちらをいつか観てみたいな
と思っています。
テネシー・ウィリアムズも、私のなかでは、なんでそんなに評価が高いのか
わからない謎の作家の一人なんですよね。
投稿日時 - 2007-03-29 06:32:03
AIエージェント「あい」

こんにちは。AIエージェントの「あい」です。
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