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お葬式にキャラメル?
お葬式の時にキャラメルを配る風習があるところが、日本のあちこちにあるようですが、どういうわけでキャラメルなのでしょう? いつ、どこで、どのようにして始まった風習なのでしょうか。 起源を知っている方、どうぞ教えてください。 よろしくお願いします。
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キャラメルの話の前に、ちょっと概論を説明させて頂きます。 ひと昔前までのお葬式には、ご飯をふるまったり、小銭をばら撒いたり、キャラメルなどお菓子をふるまったり、お酒をふるまったり…といった「ふるまい」が一般的でした。 今でも地方へ行けばそのような風習を見る事ができますが、まだ土葬が主流の昭和30年代ぐらいまでは、全国至る所で「ふるまい」は葬式に不可欠でした。 先に「ふるまい」の背景を述べます。 これは社会的な儀礼の「もてなし」とよく誤解されるのですが、実際はむしろ宗教的な行為であって、その成立には仏教的な思想の「布施」や「慈悲」の意識が強く影響しています。 布施というのは、本来は「広く施しをいきわたらせる」という意味で、要するに「自分のものへの執着を捨てる」という仏教徒の行動規範のひとつです。 (布施の「布」の字は、「配布」や「分布」と同じ用法で、「いきわたらせる」という意味) 一切空を説く仏教では、自分という我を認めませんから、無所有を理想とします。つまり「自分のもの」を持つ執着を捨てることが望ましいのです。 生前は望むと望まざるとに関わらず、どうしてもモノを所有せざるを得ないのですが、いざホトケとなったうえは生前の執着を断ち切ってもろもろの所有物を社会にお返しするのは仏教徒の理想であったのです。 またふるまいは単に故人の執着をたち切るだけでなしに、その結果としてまわりの人々が喜んでくれれば慈悲の実践としてなおのこと功徳があると信じられました。従って、ご飯やお菓子、金品などなど、人々に喜ばれるようないろいろな形をとったのです。 飢えた人々が少なからずいた時代には、だれかれ問わずお腹一杯食べられるお膳は大変に貴重だったでしょうし、めったに口にできない甘いものはもちろん喜ばれたことでしょう。 固い言い方かもしれませんが、キャラメルに代表される「ふるまい」とは、喜ばれながら人々に消費されることで、故人の執着を解消しつつ社会的慈悲を実践し、それを故人の成仏のために振り向けようとして生まれたものなのです。 こういった思想の原型は、インドでは「布施」の実践として国王が宝物蔵を解放するという例がありますが、日本でも平安時代の頃にはもう、「無遮大会(むしゃのだいえ)」などと呼ばれる施しそのものを目的にした法要も数多く営まれています。 “無遮”というのは“さえぎらない”、つまり誰が来てもよいという意味で、持てる側の者が庶民に対して「布施」を実践しようとしたものです。 「葬式には乞食が来る」ということを言う地方もありますが、これは実際に縁もゆかりも無い者でも、分け隔てなくお膳やお菓子のふるまいにありつけたことをさす言葉です。むしろ乞食など社会的な弱者ほど施しを喜んだでしょうから、その功徳は大きいと信じられたのです。 むろん子供も布施の対象として大事な存在でした。子供は欲得やしがらみを離れて、ただ「おいしい」と純粋に布施を喜んでくれる存在だったからです。 さてキャラメルですが、ふるまいのお菓子のうちで私の記憶する限り最もポピュラーな存在です。やはり、子供に人気があるうえにコンパクトで扱いやすく、日もちもしたので重宝したのでしょうね。キャラメルの登場とほとんど同時に、葬儀のふるまい品に組み入れられたように記憶しています。 土葬の時代、葬列の配役のひとつに「花籠(はなかご)」というものがありました。竹籠のなかに小銭やおひねりのお菓子を入れておき、道々それを揺らして中身を撒きながら墓へ行ったのですが、キャラメルは箱を開けても一粒毎に紙に包まれていましたので、ばら撒くのにも好都合だったこともあるでしょう。 ともあれ、墓地までの道すがら、自分の生前の財産がキャラメルに形を変え、葬列を追って来る子供たちが喜んでそれを拾って食べてくれることで、故人としては欲深かった生前の罪のわずか一端でも解消される気がしたのではないでしょうか。 ※以前、似た内容の回答をしたことがありますので、宜しければそちらも参照なさって下さい。
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- demio
- ベストアンサー率13% (200/1473)
私の子供のころで6歳ぐらいですから、昭和30年代 に大阪市にすんでいましたが、近所で葬式が あると、近所の子供に「岩おこし」を配っていました。 知らない家でも子供だと貰えたので、葬式があると 聞くと行って貰った覚えがあります。 しかし小学校になったころからはは貰った覚えはありません 風習が無くなったのか、自分から貰いにいかなくなった のかは覚えていないのでなぜ「岩おこし」か、どうして もらえたのかは、解りません
お礼
「岩おこし」(私の地方では粟おこし)は私の家でも昔はお土産とか贈り物で、よく頂いたものです。 そう言えば最近はぜんぜん見ませんね。すこしさみしいです。 どうもありがとうございました。
- moshimo
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キャラメルに限定した話ではないのですが、クッキーなどのお菓子を配るところも多くあります。これは、本来通夜や葬儀に会葬に来てくださった方へ、おもてなしとしてお茶とお菓子をお出しするのですが、慌ただしくてできないため、代わりにお茶やお菓子を配る、ということが起源となっています。お葬式のお饅頭はその意味です。
お礼
最近では家が狭かったりして、もてなす場所がないというのも一つの理由かもしれませんね。 moshimoさんのお答えは真実に近いと思いました。 ありがとうございます。
キャラメルは甘いです。 おなかがすいてると、とてもよいエネルギー補給源になります。 食料を他人に与えると言うことは、他人に命の源をあたえるということ、 つまりは『愛情をあたえる』ということです。 おなかがすく=愛情の満たされない状態 愛する人を失って、悲しみんでいる状態に 愛情をあたえると、悲しみが薄らぎます。 おなかがすいているとかなしくなります。 そんあとき、甘いキャラメルをたべます。 キャラメルは小さい割りにカロリーが高いので、 ひとつぶでおなかがみたされます。 おなかが満たされると、悲しみも薄らぎます。 大切なひとがなくなって悲しいのはわかるけど、 いつまでも悲しんでいたらなくなった人もかなしむから せめてキャラメルでもたべて元気をだしましょう、 といったかんじではないかなぁとおもいます。
お礼
たしかに食べ物は命の元、命の象徴かもしれません。 空腹が満たされると、悲しみや怒りも静まりますね。 ありがとうございます。
- nyozegamon
- ベストアンサー率45% (895/1969)
珍しい風習ですね。お饅頭もあるみたいです。起源などは謎です。 あくまで推測ですが、死者に成り代わり、キャラメルを配ることで子供たちに未来を託しているのではないでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 高槻でも配っていたんですね。
お礼
昔は交通も不便で、葬式に参列するため遠くから、あるいは近くからでも、今とは比較にならないくらい大変な思いをして来る方々に食べ物や飲み物をふるまったり、もてなしたりするのは自然な事だったのでしょうね。 キャラメルもその形状から、重宝されたのですね。 勉強になりました。ありがとうございます。