• ベストアンサー

宇宙にある物質

moritan2の回答

  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.1

宇宙の範囲をどう考えるかによって答えが違います。 観測可能な約130億光年の範囲を宇宙とすれば有限です。しかし、観測できない範囲も考えると「わからない」としかいえないと思います。

spitzer3
質問者

お礼

>しかし、観測できない範囲も考えると「わからない」としかいえないと思います。  観測できない範囲にも、宇宙があるというのはやはり難しいんですね。 回答ありがとうございました

関連するQ&A

  • 宇宙の物質のもと

    宇宙はビッグバンとともに膨張をはじめ、 形成されたとありますが。この無限の宇宙に 散らばる物質はどうやって発生したんでしょうか。 10億個の反物質と10億個の物質が打ち消しあい それに一個の割合でクオークが残り 宇宙のもとが形成されたと、文献にありますが、 あのスーパーカミオカンデで、やっと 数個検出されるニュートリノは そのクオークの集合なんでしょう。 そう考えると、眠れなくなります。 無、からこの宇宙を生み出したその莫大なエネルギーと 無限にある宇宙の物質の発生のプロセスを どなたか素人の私のもわかるように ご教授ください。

  • 有限宇宙のパラドックス

    有限宇宙のパラドックス 無限なる宇宙は神を必要とせず、神は宇宙が有限であることを求める。 なぜなら無限なる宇宙は神の手に余るからである。 そこで神が存在しうるためには宇宙が有限である必要がある。 ところがこの有限宇宙によって一度神が生み出されると、神の生成は連鎖反応として起こり無数の神が次々と生み出されるのである。無限に生みだされた神々は人の数を超え、このとき神々は神でなくなるのである。 有限宇宙を求める神は自らの行いにより神の死骸、つまり塵となる。 有限宇宙は無限量の神の死骸、塵の山によって包まれ、神の存在せぬ無限宇宙となる。 有限宇宙は常に無限宇宙へと生まれ変わる運命にある。 やはり宇宙は無限である以外にないのである。 これで宇宙が無限であることは完全に証明された。  

  • 観測可能な宇宙の総質量?

    観測可能な宇宙の総質量は有限でしょうか、それとも無限の質量をもつのでしょうか。 Wikipediaの記述などを呼んでいると、両説が併存しているようです。 [質量有限説] ・観測可能な宇宙内の星の推定総数は9×10の21乗(=90垓)個となる。 ・太陽の質量(2×10の30乗 kg)を平均太陽質量(矮星の多さと、太陽より質量の大きな星の数はつりあっているとする)とし、星の総数を10の22乗個とすれば、観測可能な宇宙の星の総質量は3×10の52乗 kgとなる ・観測可能な宇宙の総質量の5%未満が星などの可視的な物質で構成されており、残りは暗黒物質やダーク・エネルギーが占めていると予測される。 ・つまり5%が3×10の52乗 kgだから、観測可能宇宙の総質量は3×10の52乗 kgの20倍ほどの有限値と理解される。 [質量無限説] ・観測可能な宇宙の中にブラックホールがあると考えられる。 ・ブラックホールの中心は密度が無限大と考えられる ・密度=質量/容積において、容積はゼロを取れないので、質量が無限であることを示す。 ・ブラックホールが質量無限であれば、そのブラックホールを含む観測可能宇宙の質量も無限である。 御見識のある方々より、観測可能宇宙の質量有限説、あるいは質量無限説のいずれかをご説明いただけるとありがたいです。

  • 反物質宇宙

    ネットで読みました。 (反物質)と(物質)が接触すると中和しあって消滅するんですよね。 広島に投下された原爆の爆発エネルギーは、僅か1グラムの質量の消滅に見合うものと書いてありました。 もし反物質宇宙と物質宇宙が衝突でもしたらえらいことになると。 反物質宇宙が存在しない理由は無いらしいので、 存在するとしたら、 私たちは宇宙ごといつ消えてなくなってもおかしくないんですか? この質問を載せた1秒後に宇宙ごと爆発してなくなってしまうかもしれないんですか?

  • 宇宙の質量が有限か無限か?

    宇宙の質量が有限か無限ですか? 1.宇宙が何ですか? 2.質量がなんですか? 3.宇宙の質量が有限か無限ですか? 4.根拠はなんですか?

  • 3つの宇宙観

      宇宙について考えたとき3つの宇宙観があるのではないか。 1.宇宙は無であると捉える般若心経的宇宙観は、この世の全ては無であり空であると願う東洋的虚無主義がもたらすもの。 2.宇宙は有限であると捉えるビッグバン的有限宇宙観は、創造神の存在を願う一神教的カルト思想がもたらすもの。 3.宇宙は無限であると捉える定常的無限宇宙観は、真理の探求という哲学から論理的必然としてもたらされるもの。 さてこれら3つの宇宙観の中で最も真理に近いと思われるものはいずれであろうか。    

  • 宇宙の宇宙またその宇宙へとある可能性はありますか?

    宇宙の宇宙、またその宇宙へとある可能性はありますか? 知恵袋でも同じ質問がありました。 宇宙の周りには物質があるはず・・・ だったらその宇宙の回りにまた物質があって・・・ それより宇宙が無限と考えたほうがいいのでしょうか? 皆さんにとってはくだらない質問ですが、僕にとっては真面目な質問です。 答えられる人は絶対に答えてください。 「悪口」はやめてください。 教えてGooを荒らすつもりはありません。 気になるので教えてください。 困っています。

  • 観測可能な宇宙と全宇宙

      ビッグバン宇宙論が意味する宇宙とはどんな宇宙か。 ビッグバン宇宙論における宇宙とは観測可能な宇宙のことであって、決して全宇宙のことではあるまい。 何故なら人間が宇宙の全てを観測することは不可能だからである。 観測可能な宇宙が有限であることは明らかである。 どれ程の最新機器を用いようと無限の先まで観測することは出来ないからである。 しかし観測可能な宇宙が全宇宙であるとは言えない。 そして観測可能な宇宙が有限であっても全宇宙が有限であるとは言えない。 何故なら我々の目の届かないところに宇宙は延々と無限に広がっているかも知れないからである。 観測可能な宇宙はいろいろある。 我々がいる太陽系宇宙は観測可能だし、天の川銀河も観測可能である。 天の川銀河以外にも観測可能な銀河は数多くある。 しかしながら我々が観測できる銀河以外に銀河は存在しないとは断言できまい。 何故なら我々の目の届かないところに無数の銀河が拡がっているかもしれないからである。 観測可能な宇宙であれば、それらはいずれも有限であり、形状と大きさをもち、誕生の時期とその生成プロセスを示すことは出来よう。 しかしそれは観測可能な宇宙のことであって、全宇宙ではない。 要するにビッグバン宇宙論における宇宙とは天の川銀河のような観測可能な宇宙を意味しているのではないか。 そしてそのような観測可能な宇宙を宇宙とみなして、宇宙は有限であるとか宇宙は膨張しているなどと主張しているのではないだろうか。    

  • 宇宙が平坦だとすると宇宙の果ての問題は?

    「宇宙の果てはどうなっているのか」という問題は考えるとジレンマが発生し、実際はどうなっているのか非常に不思議でした。 宇宙に果てがあるとすると、その果てには壁があるのか、その壁はなにできているのか、岩で出来ているとするとその岩はそれまた無限の体積を持つのか。 宇宙に果てがないとすると、宇宙の大きさは無限なのか、無限の大きさなどというものが実際にありえるのか。 といった具合に、宇宙に果てがあるとしてもないとしても「本当にそんなことってあるの?」的なジレンマが発生し、困ったことになってしまいます。 「無限」の問題と「果て」の問題は同じことの現われ方の違いという気がしますが、いずれにしても困ったことになってしまう。 高校の頃に読んだ宇宙の本の中ではこのジレンマに対して、スッキリした形で回答していました。曰く、「宇宙は正の曲率で曲がっており閉じている」。2次元に落としてたとえると、宇宙は球面のようなものであり、有限であるが曲がっていて一方向へいくらでも行ける。つまり果てがない。果てがないけど有限である、ということで、私の中では宇宙の「無限」と「果て」のジレンマは解決されていました。 ところが最近の観測ではなんと「宇宙は平坦である」というじゃありませんか!? 「宇宙が有限でかつ果てがない」というのは空間が曲がっていて初めてありえることであり、宇宙が平坦であるとすると「無限」と「果て」のジレンマが再発生してしまうではありませんか? それとも「宇宙は平坦である」ということと「宇宙は正の曲率で曲がっており閉じている」ということは矛盾しない別の事柄なのでしょうか?

  • 宇宙が始まる前には何があったのか?

    宇宙には時間的な始まりや終わりはあるのですか?あるとしたら宇宙が始まる前、終わった後には何があるですか? また、空間的には宇宙は有限なのですか?それとも無限なのですか?