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天皇家の発祥は???

  • 質問No.2730534
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お礼率 77% (173/222)

歴史で習うのは確か蘇我氏の少し前あたりから出てきますよね。

卑弥呼は紀元前の話ですよね。

なんで天皇の登場が600年あたりなんでしょうか?
天皇家が日本統一したのではなく、朝鮮渡来人(後の天皇家)が鉄の技術を持ち日本を制圧したんでしょうか?

邪馬台国が存在する時期に天皇家の前身の勢力がなければおかしいのですが、これがあやふや。


さて、これについて疑問に思ったので批判以外の回答お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.5
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ギリシア神話もそうなのですが、神話のレベルで神武天皇は、神様の血を引いています。
水戸家は、大日本史を編纂しましたが、天皇家に好意的に書かれています。
邪馬台国は、文字をもたなかったので、中国の書いたものが、史料となります。
口承という方法により伝えられ、後世、文字にまとめたのが、古事記ですが、この方法は、都合のいいように変えられることができます。
あやふやで、あたりまえかと、思います。
お礼コメント
garnetscrein

お礼率 77% (173/222)

毛利元就死ぬ間際の3本の矢の話がありますよね。
あれがどうしてアレがあるのかなとも思うんですよ。

あの話の元が、ユダヤ人がまだ国を持っていたころに王が子供らにしたとされる話、矢を一本ではすぐ折れる、10本だと折れない~~というものがあります。

この話はどこから来たものか。
鉄砲とともにきた?いえ、キリスト教会はユダヤ教を殲滅にかかってます。焚書改宗。そして資料によるとユダヤ人は春秋時代中国にまで着て王に仕えていたようです。
イエズス会もキリスト教会な訳だから、この経路ではなかったはず。
そして元就は室町幕府再興を願ってた一人とされ(多分)、親天皇派。
では、この下りはどこで作られたのか?ということも。
投稿日時:2007/02/08 01:59

その他の回答 (全7件)

  • 回答No.8
5ですが、毛利元就の三矢の訓は、別に質問をお立てになっては、どうでしょう。
毛利家は、別に、例え話をして諌めるほど、兄弟仲は、悪くないですし、長男の早死に、次男、三男の養子行きで、一体、いつ、その話をする機会があったんだ。と、いうことになっています。
中国にそっくりな話があると、聞いたことがあります。
また、交流が、無く、伝播が有りえない国同士で、そっくりな話は、いくらでもありますよ。
  • 回答No.7

ベストアンサー率 17% (344/1984)

根本を勘違いしています。

卑弥呼と呼ばれる女性がいたのは紀元230年代で、魏に使者が来たのは239年です。
一番有力視されているのは
邪馬台国=大和国
です。

応神天皇稜の発掘が出来れば謎解きが出来ると思うのですが…
  • 回答No.6

ベストアンサー率 14% (267/1890)

中国系か韓国系かそれ以外かなどは、古墳の遺骨を採取して、遺伝子比較すればかなりわかるはずです。ただ万世一系を否定するような結果がでては大変なので、タブーとなっているようです。
  • 回答No.4

ベストアンサー率 23% (102/441)

天皇と名乗る以前、大王(おおきみ)については、複数の系統による即位が推測されていますが、決め手に欠けます。
天皇家と邪馬台国との関係も不明。邪馬台国のころには、日本に存在しなかった可能性もあります。朝鮮系なのか中国系なのかは、古墳を発掘してみればわかるのでしょうけどね。
  • 回答No.3

ベストアンサー率 33% (2764/8360)

徳川将軍家の前身は、100年くらい前だと、あやふや。
豊臣秀吉は、その父親でさえ、あやふや。
なので、天皇家があるとき急に(スパンとして100年とかですが)権力を握る事は、別に驚くことではありません。
天皇家でも、継体天皇なんかは、あやふやですし。
  • 回答No.2

ベストアンサー率 19% (63/324)

まず卑弥呼の生没年そのものは明確になっていませんが、魏志倭人伝の記述から3世紀中頃の人物とされています。
(この魏は有名な三国志の魏です)
何を根拠に紀元前とおっしゃっておられるのでしょうか?
また邪馬台国が存在する時期と東晋や宋の記録にある倭の五王との間ですら200年は明いていますが、邪馬台国の存在する時期に天皇家の前身の勢力が無いとおかしいというのもおかしいですよ。
歴史を見れば100年も間が開けば、勢力図なんて大幅に変わっていて何ら不思議ではありません。
現時点では邪馬台国と天皇家の発祥についての相関関係については色々な説はあります(卑弥呼=神功皇后説など)が明確と言えるものは何もありません。
補足コメント
garnetscrein

お礼率 77% (173/222)

すいません。
魏志倭人伝において、邪馬台国については曹操息子の曹ヒ(該当変換無)の時代でしたね。時代間違えてました。
根拠はないです。
しかし、例で言えば秦氏とかいった渡来人が技術を持ち込んだということは、逆に言えばそれ以前の渡来人である彼らが技術を持って国をまとめたという国家であってもおかしくはないわけで。
投稿日時:2007/02/07 23:48
  • 回答No.1

ベストアンサー率 39% (1322/3337)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

最近の研究では、天武天皇が「天皇」という呼び名を始めたとの説が有力です。神武天皇あたりは、存在があやふやですし、後から「天皇」という名称を与えられたにすぎず、当時?はそういう名称は無かったようです。

天皇登場以降も天皇家は地方の一豪族に過ぎませんでした。勝ち組という訳ではないですが、天武天皇が日本書紀の編纂時に自家に都合の良いように歴史を編纂させた可能性もあります。よって、天皇という名称に有利性がはたいたかどうかは解りません。

なお、日本を統一したのは時代が下って豊臣時代ではないかと。
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