• 締切済み

道徳教育

noname#259274の回答

noname#259274
noname#259274
回答No.7

現在、子どもの道徳心の低下は確かに眼につくものがあると思います。 公共の場でのルールを無視したり、いじめが大人の目に見えない形になってきていることは事実だと思います。 しかし、あくまで一個人としての意見ですが、私は戦前の道徳教育「修身」に戻したいとは思っていません。 「親孝行」という概念が本当に浸透していたならば、「戦争に行って親より先に死ぬ」なんて親不孝なことはできないのではないかな、と素人考えで思います。 「修身」は結局国家にとっていかに利用できる人材を育て上げるか、が重要であって、個人の考えや価値観をないがしろにしているように思われるのです。 「弱いものいじめは卑怯だからしない」という精神は確かに必要ですが、それが「修身」で身についたのかは私には一概に言えないと思います。 戦前の日本人が朝鮮人や中国人に差別を意識をもっていたことは周知されていますが、自分より格下だと思っている人々を差別することが「弱いものいじめは卑怯だからしない」という精神にのっとっているとは思えません。 日本国内でも障害を持っていたり、病弱だったために軍役につけない人は厄介者扱いされたり、いじめられたりしていたようです。 戦前の道徳教育「修身」が問題視されるのは、このような「国家のための道徳」が問題だと考えられているのだと思います。 また、現在の道徳は確かに至らないところもあるのでしょうが、「強制」では道徳性は身につかないだろうと思います。 「親孝行」では「親だから大切にしろ」といったら、自分が虐待されていても親だから大切にしなきゃいけないと思うかもしれません。 そうではなく、自分の親が自分のためにどれだけ愛情を注いでくれたか、経済的にも支えてくれたかなどを知ることによって、「ああ、親を大切にしなきゃな」と理解するように導く教育が現在の道徳だと思います。 長々と、素人考えでどうもすみません。 あくまで一個人の、参考として、このように考える人間もいるのだと思っていただけると幸いです。

関連するQ&A

  • 戦前の道徳教育が生み出したもの

    私の父親は戦前の道徳教育を受けていた正にその世代です。 そして父親が素晴らしい人間かと言えば、とてもそんな 人間ではありませんでした。 卑怯な振る舞いや、詭弁を弄して人を騙したり。それから 女性にもだらしがなかったです。 戦前の道徳教育が素晴らしいのであれば、父親のような人間は できない筈ですが、やはりそうではないようです。 祖父は戦前、満州で上下水道の管を設置する仕事をしていまし たが、そのとき見た関東軍の中国人に対する横暴振りは凄まじ かったようです。平気で殴る蹴るは当たり前、時には棒で 気を失うほど殴りつけたようです。 また、全てではありませんが、威張り散らしている士官は話が 通じないと嘆いていました。同じ日本人でも軍属と一般市民と では格が違うと言っていたようです。 そんな人間を作り出す戦前の道徳教育とはどういうものだったの でしょうか。 そしてまた復活する道徳教育とは、日本人の特権階級が良い思い をするだけのもので、一般市民や中国人、朝鮮人をはじめ同じ アジア人を虐げ侮蔑するものでしょうか。 どう思いますか。

  • 道徳教育において

    道徳教育において 皆さんが教師だった場合、道徳教育をする上で最も重要なことは何だと思いますか? どんなことを生徒に教えていきたいと思いますか? 私は他人の気持ちを考えることが重要だと思います。 いじめや不登校になる生徒が多いので・・・。 また、昔と比べて最近の子供達は、言うことややること(裏学校掲示板など)がひどいと思います・・・。

  • 荀子の性悪説社会の道徳教育

    孟子のように人を性善説ととらえると個性化教育など生きると思います。 でも荀子のように、性悪説ととらえると道徳教育をして正しく導かないとうまくいかないことになります。 悪いことをしたら、しかるなど。 性善説だと心が曇っているということなんですが、日本社会って後者に思えるんですけど。 「他人に危害を与えてはいけない」 「他人に迷惑をかけてはいけない」 など 日本人は自分さえよければいいという人が多いように思えて。特に不況だから何してもいいと「独創性を重視してます」に託けて弛緩しているように思えます。 文部科学省が道徳教育を強化しようとしてますが、やはり行う意義って意味であるように思えますが、いかがでしょうか。

  • 道徳の義務は戦前の修身教育と本質的に同義?

    道徳の義務は戦前の修身教育と本質的に同義? (著作権保護の大義名分でブロッキング導入で検閲が許可されたように、いじめ防止の大義名分で道徳の導入されたと見てよいのだろうか?) 道徳の義務化の利点欠点限界盲点とは? 道徳を教えるのはどのような内容でも宗教ではないかと思うのだが、道徳教育以外に人格を形成させるために具体的な方法はないのだろうか? 社会カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/修身 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/doutoku/ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/道徳教育

  • 道徳って何ですか・・・

    カテ違いだったらすいません。 大人になってみて、ふと疑問に思います。 道徳って何ですか? ちなみにgoo辞書だと以下のようになってます。 ---------- 1 人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。 2 小・中学校で行われる指導の領域の一。昭和33年(1958)教育課程に設けられた。 3 《道と徳を説くところから》老子の学。 ---------- 知りたいのは、1と2についてです。 (3から派生されているのでしょうけど) 道徳を「身につける」?にはどうしたらいいのでしょう。 義務教育時代に習ったことは覚えていません。 きっとちゃんと身についてるのだと思います。 明示的なものでなく、感覚的なものなのか。 大人になったら、社会から学ぶものでしょうか。 何か、参考になる本とかあるのでしょうか。 倫理と関係していますか。 考えれば考えるほど分からなくなってきます。 いろいろなご意見頂きたいです。

  • 市の教育委員会に対し文科省が指導できる法的根拠

    下に引用したNHKニュースでは、イジメで自殺した娘さんの両親が、文部科学省に対して、取手市の教育委員会に指導して欲しいと要請した、とあります。 質問ですが、このような「市の教育委員会に対して文部科学省が指導すること」の法的根拠(市の教育委員会に対し文科省が指導できる法的根拠)は、何という法律(いじめ防止対策推進法?)の何条に書いてあるでしょうか? http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170529/k10010999381000.html自殺した中学3年生の両親 文科省にいじめの調査を要請 おととし、茨城県取手市で中学3年生の女子生徒が自殺した問題で、29日に両親らが、市の教育委員会が、自殺の背景にいじめはないとしたうえで第三者委員会を設置したのは、法律の趣旨に反するとして、文部科学省に指導するよう要請しました。 文部科学省を訪れたのは、おととし自殺した茨城県取手市の中学3年生、●●さんの父親の●●さんと母親の●●さんです。 両親は文部科学省の担当者に対して、29日午前、市の教育委員会に提出した申し入れ書を手渡したうえで、国として必要な指導をするよう求めました。 申し入れでは、去年3月に市の教育委員会が●●さんの自殺について、「いじめによる重大事態に該当しない」と決議したうえで、第三者委員会を設置したことは、いじめを防ぐために作られた、いじめ防止対策推進法に基づいたものではないと指摘しています。さらに、調査も中立性と公正さを欠いているとして、今の委員会による調査を中止することなどを求めています。 いじめ防止対策推進法は、子どもの自殺などがあった場合は背景にいじめがなかったか、学校や教育委員会に重大事態として調査するよう求めています。 父親の●●さんは「娘の訴えが第三者委員会でも受け止めてもらえず、苦しみと怒りでいっぱいです」と訴えていました。 また母親の●●さんは「調査ではいじめに関する質問はありませんでした。一体なんのための調査なのか不信感しかありません」と話しました。 文部科学省児童生徒課の●●課長は「しっかりと受け止めさせていただきます。国として必要な指導をしていきたい」と応じました。

  • 今の日本の教育は腐っている!

    いつも思うのです、戦前の教育は良かったなぁと。 昔は教師や家庭に威厳があり、子ども達は自分自身を「家族の一員」「学校の一員」「地域の一員」「国家の一員」とステップアップして自覚していくような、そして道徳心も徹底していた教育だったと思います。 もちろん中には不良行為をする者もいたはずですが、それが発覚すれば問答無用の鉄拳制裁!が当たり前。 これを軍国主義・暴力反対と言われ、赤かぶれの教育現場や、それに引きずられるように軟化してしまった家庭。 当然地域も右へならえと軟弱化・・・・。 「大日本帝国」時代の教育は理想的だと思うのですが、なぜか、軍国主義と言われてしまいます。 現に戦前は残虐な少年犯罪や大量殺人、親殺し子殺しは皆無だったのに・・ 今からでも、戦前の修身愛国教育を復活させるべきだと思うのですが、 皆さんはどう思われますでしょうか?

  • 子供の教育に、親は積極的に関わるべき?

    子供の教育に親が積極的に関わるべきなのでしょうか?最近、日本の抱える教育の問題点として、家庭の教育機能の低下があげられているというのを目にしたのですが・・・ 私自身、常識こそ家で教えられましたが小学校時代を思い返しても勉強を親に見てもらった経験もなければ、両親から「勉強しろ」と言われることもなかったように思われます。聞いていると周囲の友人もそういう人が結構います。ですが、その人たちが勉強ができないとかそんなことは決してないように思います。私の場合だと親に言われた方が自発的にやるのと比べやる気が削がれてしまうので、親が関わるべきかどうかは子供のタイプによるところが大きいと思うのですが・・・ それでも家庭の教育機能というのは重要でしょうか? 学習面、道徳面の両方意見をいただけるとありがたいです。

  • 部落差別教育

    1.歴史的な差別を考える時間、としての意義はあると思います。その他に意義があるなら教えてください。また、教育なさっている方で、独自の工夫、考え方がある方は教えてください。 2.私はあらゆるデメリットがあると思います。  (1)部落地区の子供がかわいそう  (2)逆に差別やいじめをうむ  (3)一部の人間、団体に利用されている これらに対してはどういう対策が練られているのでしょうか? 3.また、わからないことがあります  (1)どうして「歴史」の時間にやらないのか?「道徳」なんて「部落差別」の時間みたいでなんか「道徳」じゃないよね。  (2)どうして「解放同盟」がつくる教科書を使うのでしょうか?また、他の会社(団体)は作っていますか?  (3)本来は、教育などやめても大丈夫な状態にするのが、ゴールのはずです。まだ、その段階にはきていないのでしょうか?すくなくとも、進学率、就職率に差はなくなりました。 よろしくお願いします。

  • 道徳の教材「心のノート」について

    たまたまインターネットを見ていて知ったのですが 今、全国の小・中学校では「心のノート」という道徳の教材が使われているそうです。 私にはその年頃のこどもがいないので それがどんなものかはわからないのですが 「教科書」ではなく 文部科学省が「お願い」をして配布しているものだそうです。 子供達が、「学校で受け取る」「先生に薦められて読む」というこの教材が、こどもの心に与える影響が全くないとは言えないと思うのですが なんの検閲も受けずに学校で配付されていること 一部ではあれ人々から批判を受けるような内容のものであること が少なからず気にかかってしまいます。 長くなってしまいましたが この「心のノート」について なんでも御存じのことを教えてください。 また、小・中学生のお子さんがいらっしゃる方は お子さんがこのノートにどんなふうに反応しているか 教えていただければ幸いです。