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哲学はニセ科学か?

tyr134の回答

  • tyr134
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回答No.2

現代哲学は、ある種ほとんど古代ローマから近現代の哲学者が考えたことを批判することで成り立っています。 そういった意味では、常に検証作業が行われていると言えます。 間違えてならないのは、批判=非難ではないということです。 学問世界では、批判とはそれが真実かどうかを検証する作業です。 つまり、様々な批判の結果、どうにも否定できないモノが「真実」(に近い)モノとみなされるわけです。 因みに社会学というのは、現代に入って発展した学問です。 そして、今現在の社会がよりよくなる為にはどうしたらいいかを考える学問です。 現在といっても近過去も含まれるので、現代史と言ってもいいかもしれません。 まだまだ、出来立てホヤホヤに学問分野といえるでしょうね。 さて、「科学」と呼ばれるものは普通(狭義的)は「自然科学分野」をさします。 これは、「自然の法則」を見つけ出そうとする分野です。 自然の法則なので、「1+1=2」などのように一般化しやすい分野です。 これに対して「人文科学」というのは、「社会」を観察する分野です。 「社会」というのはなかなか捉えにくく、「1+1=10」になることもあれば、「1+1=0」の場合もある(その裏には不確定要素が多く含まれる)。 つまり、自然科学に比べて不確定要素が多く一般化しにくい分野だといえます。 哲学はこれら二つを内包した学問です。 実は、自然科学も人文科学も哲学から分離していきました。 この二つに専門家されたのは近現代に入ってからです。 それ以前は、すべて哲学でした。 そしてこれからも、より専門化され細分化されていくでしょうね。 >いくらマルクスを正当化しても、社会主義国において粛清された人の命は帰ってきません。それを最大の功績と褒め称えることは、人間として健全なものなのなのでしょうか。 これは、後代から見て、社会主義国の惨状を知っている我々だから言えることです。 マルクスが生きていた当時は、自由主義経済による貧富の格差が深刻化していました。 その時に、マルクスが「私有財産を形成することに腐心する事が、貧富の差を拡大させる」と言うことに気づいたのだと思います。 ここに気づいた事が重要であり、これは「コロンブスの卵」でもあるのです。 フロイトについても同じ事が言えます。 >発見すれば何でも偉いという発想は少し幼稚すぎる考え方だと思います。新しい殺人方法や詐欺の方法を考えた人も偉いというわけでしょうか これらを、「偉大だ」とするか「間違った思想を広めてけしからん」とするかは後世に生きる我々の主観の問題であり、学問ではありません。 また「間違った思想」であった場合でも、本人がワザと「詐欺をしてやろう」とした場合と分けなければなりません。 マルクスもフロイトも、その根っこにはこの世の中を良くしたいという思いがあったはずです。 カエサルの言葉に「いかに悪い結果に繋がったとされる事例でも、それが始められた当時までに遡れば、善き意志から発していたのであった」と言っています。 マルクスもフロイトも、まさにこの通りだったのではないでしょうか? 昨今のエセ科学の蔓延は、商業ベースに乗ることで一気に広まることと、その「考え」が「仮説」の段階であるにも拘わらず飛びつくことです。 また、「科学的に実証された○○」と謳うだけで売れるという現状があります。 我々大衆が無批判に飛びつく結果であり、哲学や社会学がエセ科学を蔓延させているわけではありません。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 少し脱線気味なのでもう一度言いますが、私が問うているのは最低限度の検証作業はなされているのかということです。学問的に誠実な態度であるのならば、腑分け作業は必要なことだと私は考えています。残念ながら、社会学におきましては、未だにマルクスやフロイトを崇拝している新マルクス主義者たちの巣窟とかしている印象を一部の学派から受けています。 マルクスは暴力革命を手段として認めていますが、それを善意ととらえる感性は、残念ながら私には持ちえていません。フロイトも知的誠実さが少しでも残っているのなら捏造をする必要もなかったと思います。マルクスは「科学的」社会主義を謳い、フロイトも自らの思想を「科学的」世界観と呼びました。彼らは、昨今のエセ科学の蔓延の魁かもしれませんね。

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