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信頼
人を信じるってどういうことですか? よく、「私は(僕は)信じてるから。」とかドラマとか言ってるじゃないですか? 言葉では簡単に言えますが、実際どういうことが『信じる』ってことなのかな?って・・・。 教えてください。お願いします。
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- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
例えばロープ一本を使って崖を降りなくてはいけなくなったとします。 そしてそのロープの端は誰かに持ってもらわなくてはいけません。もしロープを持った人が手を放せば崖から転落してしまう、とします。 その時、そのロープの端を預けたいと思う人が「信頼できる人」です。 ※あくまで例え話。「体力・腕力がないから預けられない」というのとは別なこととして思ってください(^^;)
- saor3
- ベストアンサー率5% (1/18)
信頼は、おごり、思い上がりと紙一重だと思います。 あのひとは絶対自分を裏切らない!、でも自分はそうとは限らないなら、その人を信頼しているのではなく見くびっているだけだと思います。 逆に自分も相手を裏切らないと思うならそれが信頼ではないでしょうか? どうしてこの質問をされているのかわからないので、少し偏った意見になっていたらごめんなさい・・
- nanoha_jan
- ベストアンサー率71% (5/7)
私もそういうことをじっくり考えること、とても好きです(^^)。言葉の意味を国語辞典や広辞苑でひいたり、本を読んだり、のんびりぼんやり考えたりして。 でもこういうのって「正しい答え」があるものでもないからあくまでも自分なりの解釈ですから、こんな意見もあるんだー程度にお読みください(^^;)。 簡潔なのをまず。ある国語辞典にはこう書かれていました。 『信じる→(1)真実と思う。(2)信仰する。』 ね?「真実」ではなく「真実と思う」ことなんですよ。 そこには他人の意見は関係ありません。そしてはっきりした根拠も特に必要ありません。 その人が“信じている”のはある意味「その人自身」です。その人が今までに培ってきた知識とか経験とか、そしてそれらによって形成されたアイデンティティ(個性)が選び出す、「自分が一番納得できること。はっきりと説明は出来ないけれど疑っていないもの。」を“信じている”のだと思います。 で、「人を信じること」ですが。 『信頼』は簡単に信じることよりも難しいことだと私は思っています。“信じることを頼る”わけですから。 自分だけでの思い込みだったとしても、その対象に信じるに足るだけのよりどころが無ければその人を信じることも頼ることも出来ません。 前置きが長くなりました。 たとえば私の友人が痴漢でつかまって「自分じゃない」と言ったなら、その友人との今までの付き合いからそんなことをする人ではないと思う私は「大丈夫。信じてるよ。」と言えます。 でももし同じ職場の人が痴漢で捕まってそのときも「自分じゃない」と言ったとして、その人のことを良く知らない私は「(本当に痴漢じゃないのなら)早く疑いが晴れれば良いですね。」とは思っても「信じてます。」とは言えません。 つまり、いきなり何も無く「信じる」ことは出来ないのだと思います。 確かな根拠は無いけれど、それまでの過程や積み重ねが導くなんとなく「納得が出来るもの」。 そういうのが“信じる”ことかと思います。
- uketuke
- ベストアンサー率16% (50/308)
「走れメロス」は有名だよね。 私も、この質問をよく考えることがあります。 そして必ず、以下の様な例題「冤罪」を想像します。 私が逮捕され、証拠もあり、証人も居て、私は無罪を主張して、そんな状況なのに、その無罪を「信じてくれる人」。 夫(妻)が逮捕され、証拠もあり、証人も居て、夫(妻)は無罪を主張して、そんな状況でも、その無罪を「信じている自分」。
- dragon_z
- ベストアンサー率32% (24/74)
「その人に対する自分のイメージが、他人の悪口やその人の失敗などによって、簡単に変わらないこと」