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キリスト教の救いって

僕は特定の宗教に所属していません。 しかし、僕は過去に悪いことをしてしまったことがあって、 今更になって悔やみ、できうる限り日々の生活の中で償っていこう と思っています。 自分の犯してしまった罪と、キリスト教の定義する罪とは 別のものだとは思うのですが、最近考えてしまうことがあります。 それは、キリスト教やイスラム教などに出てくる全知全能の神は、 信仰して、祈らなければ救ってはくれないのか?ということです。 僕達のように神を信じることさえできない人間の方が、 よほど(自分で言うのもなんですが)哀れな気がします。 「信じてないなら、別に関係ねーじゃん」という疑問はおいといて、 キリスト教の信者の方、またはそれについて勉強している方、 稚拙な質問ですが、回答よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.3

回答ではないのですが人智学を学んでみることをおすすめします。 本当に真剣に学べばあなた自身がその答えを見つけることができる と思うのです。さらに、私は人智学からどれほど多くをもらったかわからない、 という気持ちをあなたに抱かせるほど多くをもたらしてくれると思います。

stolz-0
質問者

お礼

人智学ですか…これから大学受験なので選択肢の一つとして考えます。 ご提案、ありがとうございます。 よいお年を。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

「イエス様もムハマンドも神(父あるいはアラー)のみわざを示すなり」といっているのです。 神は愛であり善であり智でありあらゆるものの創造主ですから、そのみわざを自ら体現し実践することこそが本来の神への信仰なんです。 それを実践した者がイエスでありムハマンドであったわけですね。 「今更になって悔やみ、できうる限り日々の生活の中で償っていこうと思っています。」そういう心で神のみわざを実践することですね。 隣人に優しく、貧しきものには分け与え、自らはよく勉強し、より多くの人々を幸福にしていくことが償いになりますね。 心がつらくなれば、親のように神仏にすがればいいだけですね。 目に見えない神でも、釈尊でもイエスさまでもムハマンドでもいいんです。自らを助け人々にやさしい者に神仏はやさしいのです。 それが信仰なんですよ。

stolz-0
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 こんな生活を続けていれば、いつかは許してもらえるのでしょうか。 ならばより一生懸命持続させようと改めて思いました。 神や他人を心から信じられなかった自分を、ずっと軽蔑し続けてきましたが、わずかながら自信がつきました。 …ですが、大量殺人を犯してしまったり、独裁的な政治で人々を苦しめた人はどうなってしまうのでしょうか? 彼らの被害にあった人々は無論ですが、そういう悲惨な人生を歩んでしまった人たちにも救いがあってほしいと思います。 では、よいお年を。

  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.1

私は一応キリスト教徒だけれども、一般の教義とは違った考え方をしています。 stolz-0さんが神を信じることができないのは、決して哀れとは言えないと思います。 stolz-0さんが神を信じることができないような境遇に、神がstolz-0さんを置いているかもしれないのです。 キリスト教の中でも、「信じない者は滅び、信じる者だけが救われる」などということを言う人もいますが、私はあまりこれには賛成しません。 本当に神が全ての人に神を信じることを望んでいるならば、みな現実に神を信じているでしょう。しかし現実はそうではない。だから神は自分が信じられるかどうかということにはあまり頓着しないようです。 stolz-0さんの罪は社会的な基準での罪であり、キリスト教の罪とは確かに違うかもしれませんが、完全なる赦しを説くイエスの教えと、多くのキリスト教の宗派の考えは一致しません。 一般的には「祈らなければ、信じなければ救われない」と考えているようです。 でも、私はイエスの言動にならって、stolz-0さんに言います。 「あなたの罪がどうであれ、私はあなたを赦します」 たとえあなたが私に不利益をもたらしたとしても、赦さざるを得ないように世の中はなっているのです。

stolz-0
質問者

お礼

きわめてスピーディーな回答、ありがとうございます。 なるほど、大変興味深いご意見で、参考になりました。 とくに、 「stolz-0さんが神を信じることができないような境遇に、神がstolz-0 さんを置いているかもしれないのです」 というお話は、驚かされ、また納得させられました。 宗派などによって意見が分かれているのですね。 神がいるとしたら、それもまた神の意思なのでしょうか… またこういう質問をさせていただくこともあるかもしれないので、 是非、その時にもお話をお聞かせください。 ではよいお年を。

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