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違憲審査基準

こんにちは。 私は大学2年で司法試験を目指しているものです。 ですので、全くの初学者と言うわけではないんですが、いま違憲審査基準で頭がこんがらがってしまっている次第です。自分で整理できていないため文章が非常に理解しづらいものになっていると思いますが、もしご教授いただけたら幸いです。 違憲審査基準は基本的には、厳しい順に「厳格な審査基準」、「厳格な合理性の基準」、「合理性の基準」ってありますよね。 そして、精神的自由に対する合憲性判断は「厳格な審査基準」。経済的自由に対する合憲性判断は「合理性の基準」となり、二分論から積極目的の場合は「明白性の原則」、消極目的の場合は「厳格な合理性の基準」となりますよね。 ここでわからないのが、「明白かつ現在の危険の基準」と「LRAの基準」の位置づけなんです。 「明白かつ~」の方は、最も厳格な審査基準だと教わったのですが、「厳格な審査基準」の一種と考えてよいのでしょうか?ということは「明白かつ~」は経済的自由に対する合憲性判断の場合には用いられないということでしょうか? 「LRAの基準」は、薬事法違憲判決に用いられてることから「厳格な合理性の基準」の一種かなと思ったんですが、イトマコのテキストでLRAの項目が表現の自由の中に入っており、テキスト内の図でも{厳格な審査基準(LRAの基準など)}と書いてあることからよく分からなくなってしまいました。これは一体どういうことなのでしょうか?「LRAの基準」は両方になじむということなのでしょうか? 長文乱文失礼いたしました。

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回答No.1

まず、違憲審査には目的審査と手段審査がありますね。 そして、厳密な使い分けがされていない場合も多く誤解されている方が多いようなのですが、「明白かつ~」の方は目的審査の基準で「LRA」は手段審査の基準です。 つまり、ある表現行為を制限する場合に、なんらかの重要な利益(たとえば他人の生命)に「明白かつ現在の危険」がある場合には、規制が許される、すなわち目的は正当。その場合でも、「他の選びうるより制限的でない手段(LRA)」がないことが要求され、これを充たせば手段も正当。という風に両者を組み合わせて用いることも可能です。 ちなみにどの権利についてどの基準を用いるかは一つの価値判断であり、理論的にはいかなる組み合わせも可能です。別に経済的自由の積極目的規制について「明白かつ~」や「LRA」を用いたからといってそれ自体誤りというものではなく、ただ現在はそれを説得的に論証すること・人を納得させることが困難であるというにすぎません。 たとえば所有権が絶対視されるような世の中であれば「経済的自由については厳格に判断すべきだ」ということにもなるでしょう。

half-blood
質問者

お礼

早々のお返事ありがとうございます。 なるほどー、「明白かつ~」は目的審査の基準で「LRA」は手段審査の基準なんですか。 ということは、表現の自由や薬事法違憲の時は「厳格な審査基準」や「厳格な合理性の基準」の手段審査のところに「LRA」を差し込んで判断しているということになるんでしょうか?

その他の回答 (2)

回答No.3

ANo1の者です。 ご質問の趣旨を正確に把握しきれているか自信がないですが、概ねそのとおり、ということになると思います。 よく、目的が重要で他に選びうるより制限的でない手段がないときに規制は許される、というような基準を立ててこれをLRAと呼ぶ場合があるようですが、これは厳密には「目的が重要」の部分が目的審査基準、「他に~」の部分が手段審査の基準となります。これを「差し込んで」という表現が正しいかとなるとちょっと分かりません。 なお、私はLRAはもっとも厳格な手段審査基準であって、これを用いて「厳格な合理性の基準」にはならないだろう、と考えています。

half-blood
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。「差し込んで」だとちょっとニュアンスが違うかもしれませんね。

  • utama
  • ベストアンサー率59% (977/1638)
回答No.2

「LRAの基準」や「明白かつ現在の基準」というのは、米国の判例法利として、現に使用されてきた審査基準です。 他方、「厳格な審査基準」、「厳格な合理性の基準」、「合理性の基準」は、「LRAの基準」や「明白かつ現在の基準」など現実に使われている審査基準を踏まえて、芦部先生が、違憲審査の枠組みとして理論的に構築し直したものです。 芦部先生の立場に立てば、以前から使われていた違憲審査基準は、3分類の中に組み込まれるということになります。 例えば、LRAの基準というのは、「厳格な合理性の基準」における「目的と手段の実質的関連性」の有無を判断するための一つの手法となります。 また、「明白かつ現在の危険」とは、厳格審査基準における「目的が真にやむを得ない目的であるか」の判断要素になります。 ただ、これらは、絶対的なものではなくて、例えば、LRAの基準を厳格に適用すれば、「厳格審査基準」における、「手段が目的を達成するために必要最小限」であるかどうかの判断に使うこともできます。

half-blood
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 あの3つはLRAなどを踏まえて芦部先生によって構築し直されたものなんですか。 だからLRAは二つのところに書いてあったんですね。意外と融通が利くもんなんですね^^

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