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男女間の「目が合う」について
人と人の関わりあいに際して、視線と言うのは非常に重要なキーポイントだということがここの過去ログを検索してても分かりました。 しかし、男女間(いわゆる恋愛がらみ)において視線が合う場合と言うのは、そこにはどんな心理的ものが影響してるのでしょうか? お互いに意識し合ってるとか、先にそらした方が効果的とか、本で読んだことがあります。 まだ、交際が始まってない男女間において、「良く目が合う」「視線をそらしてしまう」という現象にはどんな心理的ものが考えられるのでしょうか? 目をそらしてしまう場合、その人を意識してるということなのでしょうか?
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こんにちは。 我々が自発的に視線を反らして相手とのコミュニケーションを絶つのは、それは「不安という情動」に伴って選択される「情動性の身体反応」であり、プライバシーを守るための「無意識行動」です。 「アイコンタクト」といいますのは「非言語コミュニケーション」でありまして、これは人間同士・個体同士の「情報のやり取り」です。言葉を使ったコミュニケーションだけではなく、我々は普段、これを使って他人の心理や行動を理解したり、自分の意思を相手に伝えたりしています。そして、これは「情報のやり取り」でありますから、視線を合わせるならば相手の考えが読み取れてしまうということは、当然のことながら、それは同時に自分の心の中も覗かれているということに他なりません。従いまして、相手に自分の心の動きを知られまいとするならば、我々は必然的に「視線を反らす」という行動を選択することになります。 もちろん、視線を合わせているからといって心の中身が手に取るように見えてしまうというわけではありませんし、どちらかと言いますならば、知られて困ると思うのは本人の都合の方です。このような不確実な状況に対して我々の脳内に発生する情動を「不安」と言います。つまり、可能性はあるのですが、別に相手は実際にこちらのプライバシーを侵害しようとしているわけではないんですね。従いまして、「視線を反らす」というのは「情動性の身体反応」であり、プライバシー侵害の可能性という不安に伴って選択される「無意識行動」ということになります。 これに対しまして、お互いが視線を合わせるアイコンタクトといいますのはコミュニケーションの手段でありますから、相手の言動や行動を積極的に理解したり、自分の意思を伝えるために専ら意識行動として選択されます。 我々はこれによってより確実な意思疎通を図るのですから、不用意にそれを怠りますならば相手の立場を軽視したことになり、一般的には失礼に当たります。ですが逆に、誰だって不必要に詮索されるのは不愉快ですから、意味もなく他人をジロジロと見るのは非常識な行為とされています。 アイコンタクトといいますのは、このような相反する要素によって増減のコントロールされる社会行動でありまして、やはり親密な相手に対してはその量が増える傾向にあります。 特定の異性に好意を持ったならば、その恋を実らせるためには相手の情報をより多く獲得しなければなりません。特に情報収集という目的でなくとも、恋しいひとの姿は何時までも眺めていたいというのが人情ですよね。 ですが、そのひとの情報は喉から手が出るほど欲しいのだけれども、確証が持てるまではこちらの思惑が悟られるのは困る。やっぱ困りますよね。ところが、相手の胸の内をできるだけ正確に推し量ろうとするならば、その目を見るというのが最も有効な情報収集の手段なわけなのですが、果たして、ここで視線を合わせてしまいますならばアイコンタクトという「情報のやり取り」が成立してしまい、今度は秘密にしておかなければならない自分の思いが相手に知られてしまうのではないかという不安に捕らわれます。この不安によって、思わず視線を反らすという行動が選択されてしまいます。そして、これは「情動性の身体反応」でありますから無意識行動であり、気付いたときには実行されています。 また、自分の視線の理由が他人に知れるならば、それはたちまち周りの噂です。ですから、こちらに対しても情報のリークは許されないわけです。恋の序盤というのはだいたいこのようなものですよね。我々は、無意識のうちにプライバシーを保護しようとしているんです。視線が合ったり離れたりするのは、このためではないでしょうか。 それから、これはちょっと余計なことかも知れませんが、巷の本に書いてある恋愛のテクニックなんてのは何の科学的根拠もありませんよ。視線を反らすということは情報が遮断されるということです。ですから、もしこちらに対して好意を持ち、相手が情報を欲しがっているとしますならば、そのひとは必ず不安になるはずです。もしかしたら、それで相手の欲求を掻き立てるなんてことも、ともすればできるかも知れません。 ですが、だからと言って先に目を反らした方が効果的だなんて、相手をじらしたり、わざと不安にさせたり、だいたい、そんな子供じみたことは普通はやらないものです。そんなことをすれば返って相手に嫌われてしまいます。ご承知かとは思いますが、そんな本に書いてあることは真に受けない方がいいですよ。
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- soccer7150
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私の小学校のころにもそんな冷やかしみたいなこと言われてました。いつだかこんなことを聞いたことがあります。「人間の目は獲物を追うような目だから、動くものに敏感なんだ」と。確かに少し人が動いたり、するだけで、すぐにみんな見ます。いつもいろんなところを見ています。なので、意識している人もいるかもしれませんが、それは、たまたま見ただけで、相手もたまたま見て「目が合った」ということではないでしょうか。私の場合は、友達といろんな内緒話みたいなことを聞くと「あ~あ、あいつがねぇ」と思ってみちゃいます。」そういう場合もあると思います。特に女子が。目をそらすってのは、「勘違いされるぢゃん」とか「うわ。みてきたよ」と嫌な意味でそらしちゃうこともあるんで、必ずしも意識しているわけぢゃないと思いますよぉ!!
- wogawa
- ベストアンサー率0% (0/3)
私は今ヨーロッパに在住しております。 こちらでは人と視線を合わせておつき合い(会話等)するのが普通です。 アルファベットで構成された言語は日本語に比べるととても単語数が少なく、 同じ単語を話していても「目」の使い方で全然意味が変わります。 言い換えれば、目を使わないと(目を合わせておつき合いしないと)会話が 成立しません。 さて、日本語は言葉だけで話し手の感情を含めた全ての情報を相手に 伝える事ができると思います。「目」を使う必要が無いのです。 その上さらに、ジッとこちらの目を見られると(目を使われると) 「この人は言葉よりも深い階層にある私の何かを探ろうと(知ろうと)している。」 と、感じるのではないでしょうか。 「よく目が合う」というのは、言葉よりも深層にあるお互いの“なにか”を 探ろうとする行為であると思います。 そして「視線をそらす」のは、自分の深層を見透かされた(されそうになった) 事に対する防御行動ではないでしょうか。 平べったく言えば、裸の自分を見られて(見られそうになって)慌てた状態です。 >先にそらした方が効果的 とは、いわゆる「チラリズム」ですね(笑) ちょっとだけ見せて、すぐ隠す。隠されれば知りたくなる・・・
- ekusuoy
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僕は学校で、とある女子と良く目が合います。 と、言うのも彼女と近くて、鼻くそほじってる時に、良くこっちの方見たりするので、いわゆる「監視」ですね。 一応意識はしてますが、恋じゃないです。 by小五
お礼
皆様回答ありがとうございました。 専門的なご意見等、大変参考になりました。 ありがとうございました。