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国王はどうして絶対なの?

 タイでクーデターが起き政権交代になりましたが、政権交代を決定したのは国王ですよね。あちらの地方の国王はとても国民から敬愛されており(もちろん日本でもそうですが)、テレビで映像を見て驚いたんですが、国王と面会する時はひざまづきながら擦り寄るという礼儀があるみたいですね。  しかし、「国王・皇室」というだけでどうしてそこまで敬愛されるんでしょうか?。古い時代ではマリーアントワネットのように革命で皇室の人間が裁かれるというのがありますが、近代国家でも同じ例はないのでしょうか?。  近代国家では議会政治が確立されている国家が多く、皇室や国王はそれを見守っているだけというシステムがあるから、国民の反感もそこにはいかないとは思うんですが。

noname#200372
noname#200372
  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

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  • nacam
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回答No.5

現在のタイ王室、と言うよりも、現国王への敬愛感が強く、国民の信頼を一身に集めています。 これは、タイの国民の王室を敬う考え方も有りますが、国王の中立性、人柄、カリスマなども多分に含まれています。 現在のプミポン国王の次の国王が、現国王ほどの敬愛を得られるかどうかは、不透明なところがあります。 (王子は、かなり不人気のようですので、王女を次期国王に押す声もあります) 最近の王室がさばかれた例として、エチオピアがあります。 エチオピア王家は、3000年以上の歴史をほこる王家でしたが、国家の旱魃による飢餓対策の失敗から、1970年代に滅亡しています。 今年では、ネパール王室が存亡の危機にさらされました。 前国王を暗殺して王位についた現国王の政策への不満が国民の間に高まり、反政府武装組織が国土の半分を支配し、都市部でも野党勢力の蜂起があいつぎ、国王が政治から撤退する事を余儀なくされています。 国王が直接政治を行う場合、人心が離れると、王室存亡の危機に立たされます。 一方王室が政治に直接かかわらず、象徴としての立場を貫けば、政治的失敗は有りえず、王室も安泰となります。 (例外として、第2次大戦後のイタリア王室がありますが)

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  • narnar11
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回答No.6

尊敬される理由をひとことで言うと「伝統だから」なのではないでしょうか。 天皇、皇帝や国王は基本的には世襲制で、決まった人しかなれないものなので、それに対しての敬意(とはちょっと違うのかな・・・)があるのだと思います。 また、近代国家の王が反感を買わない条件として政治にかかわらないというのは、大いに当たっています。実際に政治を行っている政府が国民、マスコミの批判にさらされていることを考えれば、現代では、王が強権を使いつつ何代も世襲制で立場を維持するのは難しいでしょう。北朝鮮も次の代あたりヤバそうですし・・・。

  • aburakuni
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回答No.4

現在の国王は「君臨すれども統治せず」タイプになっており、そこそこの大きさの国の王室が殺害された例はロシアのロマノフ王朝が最後ではないでしょうか。 それ以降では満州国王・イランのパーレビ国王などが国を追われましたが、王朝自体がでっち上げであったので、言われている例とは違いますね。 日本の天皇に対する礼も大層なもので、国会議長は後ろ向きに階段を降りていくので、老齢になると務まらないと言われます。

noname#113190
noname#113190
回答No.3

現在の国王は非常にカリスマ性の高い国王で、戦後の混乱期や内乱を見事に抑えきり、国民の人気も非常に高く、私の周囲のタイ人も敬愛しています。 次期国王と言われるワチラーロンコーン親王に関しては、周囲のタイ人も「余り言いたくないけど・・・。」と不人気振りを示しますから、単に国王だから敬愛されているのではなく、それなりの威徳を備えているので、国民に敬愛されていると思われます。 マリーアントワネットが嫌われたのは、フランスとは仲の悪いオーストリアの出身で、国家経済の破綻で景気が悪くなったときに、何となくスケープゴートにされたと言う理由があります。 現に、夫のルイ16世は人気が高く、王室の退廃は正直で素直な国王が、オーストリア人(王妃)に騙された、と喧伝されてしまったようです。 実際にはマリーアントワネットが浪費家ということは事実ですけど、国家財政的には微々たる物で、ルイ14世のベルサイユ宮殿の改築、ルイ15世の対外戦争などで破綻した経済が、そのままルイ16世に持ち越されて革命になっただけで、ある意味犠牲者ですね。

回答No.2

違います。 タイの場合、国王は内政に一定の発言権がありタイ全軍?の指揮官でもあるので今回のように至ったのでしょう。それに、タイ国民も国王には多大な支持があります。 また、今回のクーデターになるまでにタクシン氏の不正疑惑があり、民意が完全にタクシン氏から離れた事で流血の惨事に至らなかったのです。 それに、洋の東西を問わず何処の国が、どんな体制であろうとつき従う民衆や部下がいてはじめて「指導者」は存在します。王族が敬愛されるのは、敵視する(される)だけの材料が無いだけなのでは?フランス革命が良い例で、当時の指導者であったルイ16世やマリーアントワネットが、国民を完全に敵に回したが為にギロチンにかけられ、公開処刑されたのです。 あくまで私見、憶測ですがそんなところでしょうね。

  • sirowan777
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回答No.1

西洋では聖権は法王、俗権は皇帝や国王にあります。 東洋では聖俗ともに皇帝や国王にあるケースがあります。 タイや日本がそうですね。 日本の場合は昔から俗権はほとんどありません。 聖は俗に優先します。

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