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山月記の李徴について

山月記を読んでいてしっくりこない部分があったので質問させていただきます。本当に李徴は「獣に身を落とす」にふさわしい人間だったのでしょうか???

質問者が選んだベストアンサー

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noname#160411
noname#160411
回答No.3

No.1の方の「この世はとっくに動物園」には深く納得してしまいました。それはさておき…。 >もう一度人間に戻るというのもありだと思うのですがその辺はどうお考えですか? については、私は「NO」だと思います。 「産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。」という猛烈な執着心、「己よりも遥かに乏しい才能でありながら」という他人を蔑む態度、「今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで」という自信過剰なところ、などは全く変わっていないからです。

その他の回答 (2)

回答No.2

No.1です。 私もありだと思いますよ♪ もし、山月記にその後の話があるのだとしたら、 彼が自分の行いや考え方を本当に心から後悔し、どんどんとまた人間の心でいられる時間が長くなり、やがて人間の姿に戻れ、妻子の元へ帰ってもう一度やり直せればいいなぁ~と思います☆

回答No.1

個人的な勝手な意見かもしれませんが、 「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」や、「妻子のことよりも、己の乏しい詩業のほうを気に掛けているような男」だということが、虎に変身してしまった理由だということに気付くことができた彼は、十分人間として生きていけると私は思います。 世の中には自分自身にも原因があるのにもかかわらず、「私は悪くない、悪いのは周りと運の悪い境遇だ」と嘆く人のなんて多いことなのか。 こんなことで「獣に身を落とす」のでしたら、この世はとっくに動物園になっていると思います(笑)

hinokio
質問者

お礼

回答ありがとうございます。私は李徴が虎に変身したことで自分の今までの人生を振り返り反省することが出来たのなら、もう一度人間に戻るというのもありだと思うのですがその辺はどうお考えですか?

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