• ベストアンサー

井伏鱒二「鯉」について

ghostbusterの回答

  • ベストアンサー
回答No.1

この手の質問の多くは「作者は何が言いたかったのか?」という問題の立て方をしています。 これが、作品の読解を妨げているのだな、と、ここで回答をするようになって、わたしは確信を深めました(というと、大げさですが)。 問題の立て方がちがいます。そんなことを考えるから、わかんなくなっちゃうんです。 問題は、「何が書いてあるか」です。 こういうと、バカみたいなんですが、こういうと高尚に聞こえます。 「プロットをつかむ」 高尚だけど、何が言いたいかわからないので元に戻します。 何が書いてあるか、すなわち、 「何が」「どうした」という形で、作品を要約するトレーニングを積んでみてください。 おそらく質問者さんは高校生だと思うのですが、読解の能力はこれでグッとあがるはずです(高校生以外の方にもおすすめです)。 小説というのは、何がどうしてどうなって、つぎはああしてああなって、それからこうしてこうなって、と、だらだらと続いていきます。これを「ストーリー」といいます。 けれども、小説には一本、背骨のようなものが通っています。これが「プロット」です。 人間の背骨が外から見ただけではわからないように、小説のプロットも外から見ただけではわかりません。 けれども、表面(ストーリー)ばかりに気を取られているのは、ちょうど服のひだかざりとか、リボンの具合に目を奪われるようなもので、その人がどんな人だか、ちっともわかりませんね。そんなものなのです。 ストーリーを読みながら、プロットをつかむ。 ちょうど、X線撮影をするように、透かして見つけていくのです。 このプロットは「何がどうした」という形で要約できます。ロランバルトが『物語の構造分析』(みすず書房)の冒頭でそういうことを言っています。石原千秋は『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)のなかでもう少しそれをわかりやすい形で言っています。 実は、本を読みながら、あるいは、マンガでも、映画でもそうなんですが、たいていの人はこれを無意識のうちにやっている。 途中でわけがわからなくなっちゃう人は、これができない人なんです。 これはスキルですから、練習すれば上達します。 だから、「何がどうした」話か、いつも考えるようにしてください。 ここから『鯉』の読解です。 これは「私が鯉を助ける」話です。明快ですね。 どんな複雑な小説でも、プロットは単純です。 語り手である「私」は鯉を早稲田大学のプールに放ってやったのです。 ここから、読解の第二段階です。 第二段階では、「なぜそんなことをしたか」を考えます。 これは冒頭、二番目の文章に、すべてあきらかにされています。 (以下、引用はすべて集英社日本文学全集41井伏鱒二集より) 「学生時代に友人青木南八(先年死去)が彼の満腔の厚意から私にくれたものであるが」 友人がくれたものだからです。 そうして、その友人は、死んでしまっているからです。 ここから導かれる結論はなんですか? その鯉は、語り手にとって、非常に重要な鯉だということですね。 友人を思い出す「よすが」でもあり、ふたりの友情の証でもある。 まず最初に友人が死んでしまったことをあきらかにしたうえで、一種のフラッシュバックのように、鯉を青木南八が持ってきてくれたところの描写から、この作品は始まっていきます。 下宿を出た語り手は、青木南八の愛人の池に鯉をあずける。 そこで青木南八は急逝する。 語り手は、愛人のもとから鯉を釣り上げ、早稲田大学のプールに放してやる。 やがて、語り手は、ハヤだのメダカだのを引き連れ、王者のごとく悠々とプールで泳ぐ鯉の姿を目撃する。 「私はこのすばらしい光景に感動のあまり涙を流しながら、音のしないように注意して跳込台から降りて来た」 なぜ感動したのか。この点の解釈はさまざまあってよいと思うのですが、決して忘れてはならないのが、語り手の友人である青木南八が、もはやこの世の人ではないということです。 つまり、これは青木南八に対する追悼文なのです。 表面では鯉の話を書きながら、実は、青木南八のことを書いているのです。 故人を悼む気持ちは、作品中に一言も書かれていませんが、絶対にそれを読み損ねてはいけません。 全編にただようほんのりとしたユーモアの底に、悲しみがそっと埋められている。それが井伏文学の持ち味です。 小説には、背骨のほかに「宝」が埋まっています。 作者はそれをはっきりとあきらかにはしません。 読者が自分の力でそれを掘り出してくれるのを、待っているからです。 この作品の場合、作者が埋めておいた「宝」は、その「悼む気持ち」です。

maple11
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございます。 これからもう1度読んでみて、プロットをつかむ練習をしてみようと思います。

関連するQ&A

  • 井伏鱒二

    井伏鱒二の作風とは何でしょうかね?

  • 井伏鱒二の「山椒魚」について

    井伏鱒二の「山椒魚」について 『井伏鱒二自選全集』に収録する際に、最後の部分を割愛して改稿したのはなぜなのでしょうか? 教えてくださいっ!(つд`)

  • 井伏鱒二『山椒魚』について

    井伏鱒二の短編小説、『山椒魚』の原形である『幽閉』は現在読むことはできますか?

  • 井伏鱒二の「山椒魚」の削除された部分

    井伏鱒二の「山椒魚」には、削除された部分があると聞き、昭和66年に改稿されて、「ところが山椒魚~いないんだ」の部分だということは、わかったのですが、なぜ井伏鱒二はこの部分を削除したのでしょうか?

  • 井伏鱒二の「山椒魚」の書き直しについて

    井伏鱒二は、最晩年に「山椒魚」を書きかえたと聞きました。この書きかえた版をいくら探しても見つからないのですが、どなたかご存じないでしょうか。出版されているなら出版社を知りたいです。

  • 『山椒魚』(井伏鱒二)盗作説について

    猪瀬直樹さん(作家・元都知事)は、井伏鱒二著『山椒魚』は盗作と批判しています。 これに関しネット上には、猪瀬説を支持する肯定論と、盗作根拠なしとする否定論とが入り交じっています。 盗作か否か、どちらの見方が正しいのですか。あるいは有力ですか。

  • 井伏鱒二のおふくろが収録されている文庫

    タイトルどおり、井伏鱒二の「おふくろ」という短編が収録されてる文庫を探しています。 ネットで買えるものが良いです。 中古でも構いません。よろしくお願いします。

  • 井伏鱒二 著 「遙拝隊長」の感想文

    学校の宿題で井伏鱒二著の「遙拝隊長」の感想文を書くことになりました。が、ものすごく感想文が苦手で何を書いたら良いのかいまいちわかりません; 感想は人それぞれ違うからどれが正しいってことはないと思うのですが・・・;模範的な感想としてどんなことを書くのが正しいですか?? もしよければ教えてください。お願いします。

  • 井伏鱒二の「山椒魚」の背景などについて

    NHK高校講座「現代文」の第73~76回で井伏鱒二の「山椒魚」を解説しているのですが、この短編小説に登場する動物たちがどのような人間を比喩しているのか、また小説がどのような状況を表現しようとしているのか全く理解できません。時代的な背景もあるのかもしれません。 教えていただきたいのは2点です。 1 この小説に登場する「山椒魚」、「めだか」、「小エビ」、「みずすまし」、「蛙」は具体的にどのような人間(達)のことを比喩しているのでしょうか? 2 小説の冒頭で、「山椒魚は悲しんだ。彼は彼のすみかである岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。」とは、具体的にどのような状況を比喩しているのでしょうか?

  • 外国人に井伏鱒二の「つくだ煮の小魚」のご説明

    日本語を勉強中の中国人です。さだまさしの「つくだ煮の小魚」という曲が気に入りました。作詞者をよく見たら、井伏鱒二でした。その方は日本の有名な作家のようです。つくだ煮は食べたことがありませんが、ネットでその料理の雰囲気を拝見いたしました。どなたか「つくだ煮の小魚」という詩が何を表現したいのか、もう少し説明していただけませんか。歌詞は下記のサイトをご参照ください。 https://mojim.com/twy105697x3x4.htm また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。