• ベストアンサー

第二次世界大戦、軍部の対立、海軍より陸軍優位だった?

いま、アメリカと戦争してた頃の、歴史の本を読んでまして。その本には、山本五十六の事が度々でてくるのですが。 山本は軍部の中で、アメリカの怖さを客観的に知り抜いた数少ない戦略家だった。陸軍の連中は、軍事オタクのバカばっかりだった。陸軍には、予算や経済観念、常識が無い。視野が狭すぎる。 という様な事が書かれてまして。ホントにそうだったのかなあ。陸軍の中にも、冷静な戦略家はいなかったのか?東條を初め、陸軍が権力を握って独走したのでしょうか?

  • 歴史
  • 回答数3
  • ありがとう数7

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.2

この質問は、実際のところは明治維新より続く問題に、面子が絡んだものですから、非常に難しいのですが・・・ 陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州といわれるころより続いていた問題です。 当時、会戦のころは国内情勢が結構逼迫しており、もし弱腰になったら、2.26や5.15のようなことが起こる可能性は十二分にありました。 また、国民世論の面でも、弱腰=政権崩壊の可能性があったりと、なかなか厳しい状態です。 陸軍と海軍の力関係ですが、組織の上では一応対等となっています(実は明治維新後しばらくは陸軍が上だったのですが、その後に海軍が黄海海戦での戦果や日本海海戦の大勝利を盾に地位を巻き返したのです)。 しかし、満州事件や日中戦争など、陸軍主導の拡大政策が、ある程度の成功を収めていた上、海軍大将でもあった米内内閣なんかの政治成果があまり芳しくなかったことなどもあり、やや国内政権は陸軍に主導権がありました。 なお、質問者さんが読んだ本は、少々海軍贔屓過ぎるような気はしますね。 私も(土地柄)海軍贔屓であると思いますが、陸軍を、軍事オタクの馬鹿とするのは、少々過小評価しすぎかと。 そもそも、当時の陸軍大学、海軍大学といえば、帝国大学(現東大)と同等以上のエリート大学ですから、基本的に馬鹿はあんまりいないのですけどね・・・ 東條も、決して馬鹿ではありません。馬鹿では陸軍大将で総理大臣にまではなれませんから。 ただし、アメリカに対する認識がしっかりしたものであったかと言うと、そうとも言えません(この点が、陸軍批判の最大の原因)。 これは、当時の陸軍海軍の教育方針に違いがあります。 当時まだ日本は、後進国ですから、陸軍大学や海軍大学をでた、いわゆるエリートはほとんどが海外留学をします(もちろん、駐英次官だったりという肩書きで、ですが)。 で、陸軍の留学先ではドイツ、フランス(どちらもいわゆる陸軍国)が主だったのですが、海軍の留学先は米英が多かったです。 結局はこの違いです。米英に留学している人が多い海軍のほうが、アメリカのことを多く、そして良く見ていたのは、ある意味当然でしょう。 しかし、これをもって「視野が狭い、常識がない」とするのは、少々性急でしょうね。

aluminizedman
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >陸海軍の対立は、陸の長州、海の薩州 >組織の上では一応対等と(実は明治維新後しばらくは陸軍が上だったが、その後に日本海海戦の大勝利を盾に地位を巻き返した >しかし、満州事件や日中戦争など、陸軍主導の拡大政策が成功、海軍大将でもあった米内内閣なんかの政治成果があまり芳しくなかった >やや国内政権は陸軍に主導権■やはり陸軍が優勢だったんですね。それにしても両者に歴史ありだったんですね。 留学先のパワーバランスが影響したかと、思いました。パックスブリタニカとパックスアメリカーナを思い知った海軍。 一方、一次・二次と敗戦国ドイツに行った陸軍。 >なお、質問者さんが読んだ本は、少々海軍贔屓過ぎる 僕もそう思います。ただ論点を単純に分かり易くするため、僕の質問文の書き方に誇張があるのは認めます。

その他の回答 (2)

noname#113190
noname#113190
回答No.3

私は海軍と陸軍の政治に対する姿勢の違いと思います。 元々海軍は、軍人は政治に関わるべきではなく、命令を忠実に遂行するという思想があり、陸軍は軍が政治を動かすという思想があったようです。 松下政経塾の橘秀徳氏の分析では 1.陸軍は、自らの考えを推し進めるために、陸相を内閣から引き下げ、内閣をつぶすというごり押しまでやっている。 また、右翼を扇動して、海軍省に押しかけるという脅迫紛いの事までやって、陸軍の権益(戦争を遂行して権益を増やす)を守ろうとした。 2.条約派と艦隊派の対立という海軍内の対立。 既に八八艦隊を建設するために海軍は29%もの国家予算をとっており、これ以上の負担は日本の国力では無理な段階に来ていた。 そこで、米内光政は山本五十六海軍次官・井上成美軍務局長と手を組んで、加藤友三郎元海相の「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦闘を避くることが目下の時勢において国防の本義と信ず」という言葉のように、自由競争ではアメリカに負けるので、条約を締結して、分に見合った軍艦を作ろうとしたが、何が何でも大艦隊を作ろうとする艦隊派との対立が強まった。 この中で、条約派の山本五十六海軍次官などが連合艦隊長官などの現場に転出し、政治の中枢から去ったため、艦隊派の勢力が強くなり、陸軍と共同歩調をとるようになった。 3.新聞などで世論を煽られ、海軍も国民の声を無視できなくなってきた。 以上のことから、海軍の良識派は一掃され、戦争に反対できなくなってきた。 上記を見れば、陸軍が戦争を進めた理由もわかると思いますが、恐らく誰も戦争になるとは思っていなかったのではないかな。 戦争を声高に叫んで予算を取り、権益を拡大していく。 権益が拡大すれば、一般将兵も潤うので下も支持をするし、国民もお国のためと納得してしまう。 ある日、戦争が不可避と判って、東條などの指導者も拙いと気が付き戦争回避をしようと考えるが、下からは日和見と言われかねない、もう引っ込みが付かなくなり、やってしまう。 当然、計算では勝てないことは判っているので、精神論に頼るようになり、そのうち何とかなるのではないかなと、期待が出てくるという悪循環。

aluminizedman
質問者

お礼

ご助言ありがとうございます。 >政治に対する姿勢の違い。 >海軍は、軍人は政治に関わるべきではなく、命令を忠実に遂行する、 >陸軍は軍が政治を動かすという思想があった ■へえ、知りませんでした。思想か。海軍はシビリアンコントロールに近く進歩的だったんですね。 ■陸軍はヒトラーの手法を手本にしたのかも。

  • ewyr-05
  • ベストアンサー率23% (49/213)
回答No.1

陸軍の言い分もある程度は理にかなっていたようです。 日米開戦の前、中国戦線では相当優位に立っていましたから、 「ここで停戦せよ。」 これは相当残酷だったようです。 今は無き英霊に申し訳も立たないのです。 つまり、アメリカの交換条件を飲む事が出来なかったのです。 終戦間際、 海軍の艦隊は全滅しています。 最後に勝ったのは、ガダルカナルの夜戦が最後でした。 その後、負け続けます。 しかしその頃陸軍は、 海路と言う補給路を断たれた状態を脱する為、 中国大陸を南北に縦断する補給路を完成させます。 相当な犠牲の元、命令を遂行します。 これが、 海軍は負けたが、陸軍は負けてはいない。 局地戦では勝っている。 負けたのは海軍が悪い。 この根拠でもあるのです。 陸軍の中にも栗林中将のように、 米軍に一矢報いた名将もいます。 但し、 対戦車兵器の欠落。 勝ちようの無い孤島での奮戦。 後方を占領し、補給路を断つ米軍の戦法。 それに伴う補給無しでの戦闘。 こう言う状況下、果敢に戦ったと思います。

aluminizedman
質問者

お礼

ご助言ありがとうございます。 調べてみました。こんな英雄もいたんですね。日本人として記憶にとどめます。 名將「栗林忠道」(くりばやし ただみち、1890年 「アメリカとだけは戰ふな」、さう主張し續けた帝國陸軍屈指の知米派◆皮肉にも米海兵隊の大軍を硫黄島に於て迎へ撃ち、壯烈な戰死を遂げる◆米国とカナダの駐在経験があり、陸軍の中では珍しい米国通◆硫黄島の戦いで米軍との激戦を指揮し、最後は自ら200名の兵士と共に突撃を行い戦死した。

関連するQ&A

  • 帝国陸軍・海軍(明治、大正、昭和時代)の英語力は如何程なりや?

    明治維新以降、陸軍・海軍は海外から武器・戦艦等のハードウエアーと戦略・戦術などのソフトウエアーを海外(特に英・独)から輸入したでしょうし、その後も、陸軍士官学校、海軍兵学校等の教育機関である程度高度な「英語」「独語」教育がなされていたと思われます。 但し、私達が直接目にすることの出来る当時の海外よりの軍事資料等は総て日本語に翻訳されており、当時の「陸軍」「海軍」または「教育機関」内部でどのような外国語教育がなされていたのか、その程度はと言うところでは全く想像もつきません。 具体的には、辞書無しで「英文資料」を「読み書き」出来たのはそれこそ参謀クラスの超エリートだけだったとか、東条英機・山本五十六の英語力はこうだった、ってな逸話でも結構ですので、分かる範囲で教えて頂けませんか? 明治生まれの祖父も確か陸軍の学校に行っていたとか聞いていますが、果たしてどんな英語教育だったのか今となっては聞くすべも当然ありません。

  • 山本五十六はアメリカのスパイ?

    真珠湾とミッドウェイの作戦はアメリカに筒抜けだった様ですし、山本五十六が「連合艦隊長官を辞任」と脅かし両作戦を強行したとか。アメリカが望む様に日本が開戦し、その後は負ける様に仕掛けた感じがしますが、山本五十六はハーバード大学にいる間にアメリカに洗脳され、スパイにでもなってしまったのでしょうか?その後も陸軍の脚を引っ張るように海軍は負け続けるし、何だか臭い感じがするんですが単なる気のせいでしょうか?そもそも陸軍の思惑通り、ロシアの南下を防ぐ為に満州に駐留し、東南アジアの資源を確保すれば国防上は十分だった筈なのに、どうしてアメリカに戦争を仕掛けたんでしょう。アメリカ通の山本五十六にしては、とても不可解な仕業だと思います。それに最期も暗殺された様な形だし、アメリカのスパイだったんでしょうか?

  • 第二次世界大戦関連の情報の捜索

    閲覧頂きありがとうございますm(__)m 私が過去に読んだ本、ニュースの中で【山本五十六さんが「私は戦争には反対であるが、開戦後数ヵ月はなんとかする」と昭和天皇?に言う記述】と【ハフィントンポストかその他アメリカかイギリスの大手メディアの日本語版にて「イギリス首相のチャーチルとルーズベルトもしくはトルーマンが日本に到底受け入れがたい要求(植民地と現中国の放棄と他)を出し日本が戦争をしなくてはいけない路線にはめた(仕組んだ)」】と言う記述があったのですが、今探しても見つからないです。 分かる方がおりましたらそのurlか書籍名、又はスクリーンショットをお願いします。

  • 連合艦隊司令 山本五十六関係の本でオススメは?

    連合艦隊司令、山本五十六関係の本でお勧めは何でしょうか? 私自信、山本五十六は映画でしか知らず今まで、本は読んだ事はありません、戦記モノは好きですが何か読みやすい本がいいのですが? 宜しくお願い致します。

  • 山本五十六が三国軍事同盟参加に反対した理由

    山本五十六は日独伊三国軍事同盟に参加する事に反対していたそうですが、それは何故でしょうか? わざわざ同盟を結ぶからには多分何かしらのメリットがあるからでしょう。 しかし反対するからにはそれを考慮してもカバーできない致命的な部分があるのでしょうか?

  • 「陸軍の面子」が戦争目的?

    新野哲也氏の「日本は勝てる戦争になぜ負けたのか?」と言う本の中に「日本の真の戦争目的は陸軍の面子を守る為だ。」とあります。 これによると東條英機は首相になる前の10月12日に近衛首相の私邸で開かれた非公式の五相会談で「中国からの撤兵を受け入れると陸軍はガタガタになる。」と強硬に主張したとあり、その2日後に杉山参謀総長に対して陸軍から米国の要求する中国からの撤兵を受け入れる事は絶対に出来ないが、海軍が「米国に勝てない」と言うなら、少しは撤兵を考えても良いと東條は言っており、日本の真の戦争目的は「自存自衛」ではなく「陸軍の面子」や「陸軍のプライド」を守る為だとあります。 あくまで東條英機の意見ではありますが、当時の日本は政府全体で(他の政治家や軍人も含め)こうした「陸軍の面子」を優先する為に中国大陸からの撤退は出来ずに戦争に至ったのであり、日本の真の戦争目的は陸軍の「自存自衛」と言う方が正しかったのでしょうか?

  • 第二次世界大戦は『萌え』?

    はじめまして。 将来歴史に関する仕事をしたいと考えている高校生です。 昨日電車の中で、大学生と思われる女の人二人が 「勢い余って日本に原爆落としちゃうアメリカ超萌え!  それにしてもアメリカって爆弾のネーミングセンス悪すぎだよね!」 「第一次世界大戦と第二次世界大戦は萌えの宝庫!」 と話しているのを聞いて、びっくりすると同時に腹が立ちました。 電車の中にはおじいさんやおばあさんもおられたし、その方がもしも戦争を経験されていたならきっと気分を害されたと思います。 でもよくよく考えると、私はとても中国や日本の歴史が好きで司馬遼太郎さんなどの本を読んだりして「大坂の陣は燃えるなぁ」「項羽はかっこいいなぁ」、と考えることがあります。 私がそう思うことは先の大学生の方の発言と同じなのではないのだろうか、そんな私が大学生の方を非難する資格があるのかと思いました。 第二次世界大戦萌えと言うのが不謹慎で白村江の戦いや官渡の戦い萌えと言うのはOK、なんて事はあるのでしょうか。 あるのだとしたら、一体それは何故なのでしょうか。 質問の意図が分かりにくい文章ですみません。 気持ちのもやもやを解消する手助けをしていただけたら、と思います。

  • 嫌韓やネットウヨはなぜ真珠湾攻撃を美化するのか?

    昨日の12月8日は日本が真珠湾攻撃を仕掛けて70周年という事だが、 なぜかこの真珠湾攻撃を美化する嫌韓やネットウヨが多い。 そればかりか、山本五十六を英雄視する日本人が多いようにも思う。 僕からみれば山本五十六は批判はされても、尊敬されるようなことは 何一つしていないと思うのだが。。。 極端な言い方をすれば、日本をこんな目に合わせたのは山本五十六で その原因は真珠湾攻撃のように思う。 あれで、アメリカの逆鱗に触れてしまって、日本はひどい目にあってしまった。 それなのになぜ嫌韓やネットウヨは、山本五十六や彼の立案した真珠湾攻撃を 批判せず美化するのか? そんなものを美化する嫌韓やネットウヨは、先の大戦の知識もなく、また本質も わかってないのではないのか? K-POPを批判せずに真珠湾攻撃を批判するべきではないのか。 みなさん どーおもいます?

  • 今読んでいる本

    今どんな本を読んでいますか? 私は「八月の砲声」(バーバラ・W・タックマン)を読んでいます。 欧州の第一次世界大戦勃発に際して、各国の軍事外交の経過を追ったノンフィクションです。 「戦争を始めたくて仕方がない」国家指導部や軍部が、どのように外交を展開したか、 軍部の的外れな戦略がどのように採用にいたったか、 開戦にあたりどのように国民を煽って戦争に導いていったか、がよくわかって、 このご時世、非常に興味深い本です。 こういう知識を持つことが、 頭のおかしなネオナチ政府に騙されないことにつながりますからね。 あなたが今読んでいる本はどんな本ですか?

  • なぜ補給が軽視されたのか?

    旧日本軍は、兵站・補給という概念を重視しておらず、それが敗北の大きな原因の一つであった、という認識は、広く共有されていると思います。 おそらくそれは事実なのだと思いますが、ではなぜ、補給を重視しなかったのでしょうか? 東條英樹にせよ、山本五十六にせよ、軍人達は近代的な軍事理論を一応は勉強したインテリで、あるものは当時の先進国に留学もし、第一次大戦での戦果も学習したはずです。 そのなかで、補給の重要性が学ばれなかったとは思えないのです。 現地調達主義もあったでしょうが、早々に破綻していたので、その後も補給を軽視し続けた理由が、よくわかりません。 単に「意識が低かった」、とだけ説明されても、やや納得がいかないのです。 なぜ、先の大戦で、勝利に必須であることは明白な「補給」が軽視されていたのでしょうか?