• ベストアンサー

大人と赤ちゃんの心理

これを何回か繰り返せばできるのではないか、という思いは、つみきを重ねていったら何かができるという赤ちゃんの心理と同じですか?素人の僕からは、大人と赤ちゃんの情報量の違いだけだと思うのですが、どうでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • azumy
  • ベストアンサー率46% (6/13)
回答No.2

赤ちゃんの年月齢にもよりますが、十分に幼い乳児のことを指していると考えて、以下を述べます。 赤ちゃんと大人の繰り返しの違いは、赤ちゃんの場合は単純な繰り返しであるのに対し、大人の場合は試行錯誤である点です。つまり、大人の場合、行為を繰り返して失敗するうちに、今回の失敗の原因は何か、次に行う時はどこを改善したらいいか、考えながらやっています。外から見ると何度も同じ失敗をしているように見えても、どこに問題があるのか検討するためにあえて繰り返している場合もあります。 質問者さんのおっしゃる >>これを何回か繰り返せばできるのではないか、という思い は、大人の場合、「失敗の原因は偶然であり、試行を繰り返せば成功する可能性がある」という判断のもとにそう考えられるわけです。 もちろん、赤ん坊の場合、そのような思考はありません。

その他の回答 (1)

noname#129050
noname#129050
回答No.1

こんにちは。 自分の行動がまねく事態の予見ができる、というのは高度ですよ。ある程度の知的発達に経験学習がプラスされないとできませんから、赤ちゃんの積み木とは少し違う気がします。 全くのシロウトですが、育児を通して思うことです。

関連するQ&A

  • 赤ちゃんとお母さんと大人

    こんにちはー。えーと、長文になりますが、お許しください。一応今の考えです。どうおもわれますか? 赤ちゃんの気持ちを追いかけてみました。 赤ちゃんにとって、当初、お母さんは全く赤の他人、見知らぬ人です。その見知らぬ人を、赤ちゃんはお母さんと呼ぶほど好きになるからこそ、それはとても意味がある、とおもいます。そのギャップのすごさ、つまり全くの赤の他人と、同時にもっとも大事なお母さん、というこの2つが両立するところがすごいです。 親子が、最初から親子なら、それは、意味がない、というといいすぎでしょうか? 赤ちゃんにとって、お母さんはいつまでも赤の他人です。そして同時にもっとも大事な人です。他人であることを下敷きにして、最も好きな人になる、ということがすごいなーとおもいます。自立してるので安易な自他同一がありません。その赤ちゃんの、そしてお母さん内部の赤ちゃん人格の、自己外部を全面的に愛する能力に対してです。 これは、たとえば、孤児で育った人や、養子で育って、血縁関係もない、人種も違う人を、自分の母親だと紛れもなく言い切る人がいることからもわかるとおもいます。 つまり、それは、血縁関係ではありません。DNAを超越している、とおもいますし、血のつながりがある、というDNAに由来する感情とも違います。母性本能、という言葉もへんだと思います。血のつながり、という概念は依存心です。母子の愛情は血のつながりではありませんし。 母性本能というのは、想像ですが、お母さんの内面の、赤ちゃんの人格が引き出されるのだろう、とおもいます。お母さん内部の赤ちゃんの人格が、自分の蓄えた大人の知識と知恵を取り扱うときに、それを母性本能、と呼ぶのではないでしょうか? それは、単純に愛だとおもいます。 なにがいいたいかというと、赤ちゃんは「自立してる」ということです。愛ある人は自立している、という意味です。 もちろんメンタルの意味です。大人から観察して未熟なのは当たり前ですが。僕自身赤ちゃんに感情移入して、その気持ちをなぞってみると、多分こうだなーとおもいます。このあたりは心理学とちょっとぼくは意見が違います。 赤ちゃんのエゴイズム、というのはもちろんわかりますが、それは、やはり、赤ちゃんの立場に立つのでなく、赤ちゃんを外部から心理学者が観察したからこその意見だとおもいます。間違いじゃないですが。赤の他人を母親とおもうほどの愛の強さ、愛が強いがゆえに、自分をがんがん自己主張することに対する平気さ。大人でなかなかこのレベルの人はいません。0.1%以下かしら。赤ちゃんと対等か、それを上回る大人は、知る限り、悟りを開いた人、神とともにある人など、きわめてわずかしか見つけられません。 言い換えると、大人が赤ちゃんを自立して扱わないから、赤ちゃんの自立は成長とともに崩れる、とおもいます。 それは、老人ホームで、年長者に対して、知らず知らず悪気無しに赤ちゃん言葉や子供言葉で、老人をあやすヘルパーさんみたいです。決して悪気はないのですが。それは、本気でお年寄りに感情移入せず、お年よりはこんなもの、という決め付けて現実をみないことから起こる、とおもいますが、赤ちゃんも同じだと思います。そして未熟者扱いされた赤ちゃんはわがままになります。これは赤ちゃんに限らず、大人でも老人でも人間なら同じです。これだけハイレベル・の赤ちゃんが、年齢とともにレベルが下がる理由は、周りの大人が未熟者扱いするからだ、というのもありますが、人格を認めてもらえない腹立たしさは経験があります。 赤ちゃん個人のメンタルとして考えると、赤ちゃんには自覚がない、ということが、覚者や神への真の信仰ある人との違いだとおもいます。この自覚のあるなしによって、自覚のない赤ちゃんは、レベルを下げることが普通ですが、悟りを開いた人は、レベルを下げません。精神レベルは同じでも、自覚ある悟りの人は、それがいいと知っているので、そこから出ません。 つまり、生後、大きくなる途中で獲得した矛盾や恐怖などによって分裂した自分を、自己同一、自他同一などのアイデンティファイによって元に戻し、取り込んでいた自分を、自己の対象化として、自分本体から切り離す、それによって自覚的に再びもとの自分に戻す、というのが大人のすることかなとおもいます。 赤ちゃんは、自分のことを赤ちゃんとは決して思っていないし、未熟とも考えていません。一方、大人は、あれは大人だ赤ちゃんだ、と考えてます。全然人格みてません。ぼくもですが。一人の人という自覚のもとに、赤ちゃんにも老人にも接する人は少ないとおもいます。その意味でも、大人は赤ちゃん以下の人が多い、と感じます。キリストが、赤子のようでないと、天国の門はくぐれない、とはこういう理由かなと想像します。た、足りない~

  • 赤ちゃんは強情なものでしょうか

    1歳3ヶ月の息子がいます。つみきがうまくいかないとかんしゃくを起こしてくやし泣きし、つみきをはねとばしてどこかへ行ってしまいます。 私自身が子供時代かなり強情で、できないことがあるとすぐに投げ出したせいで何も身に付かず大人になってしまったので、息子が同じように育ってしまうのではと心配しています。でも、赤ちゃんならできなくて泣いてしまうのは普通のような気もして、これから矯正を考えていくべきなのか、まだ判断するには早いのか、迷っています。参考のご意見をいただければ幸いです。

  • 『赤ちゃんを見に来て』という心理

    職場の同僚が出産しました。正直なところ、最初は仲良くしていたのですが、出産前からすごくわがままで、産休に入ってくれて安心していました。 産休中の仕事を引き継いでくれる美人の派遣社員のことを根拠なくいじめて、いじめに同意しないと嫌な感じの対応をしたり、仕事にまで好き嫌いを影響させて分担やデータの内容を勝手にめちゃくちゃにされました。出産で不安定だったんだろうと思い、産休までと思い我慢していました。産休中も数回食事しました。 社内メールで出産報告が流れたので、数日後に私から当たり障りないお祝いのメールをすると、私に携帯から連絡しなかったのは、私がフェイスブックの友達から彼女をはずしたことの仕返しということでした。いまはメンタルが不安定だけど、赤ちゃんを言えに見に来てほしいと書いてありました。 以前から、10回くらい赤ちゃんを見に来てほしいと言われています。フェイスブックの件は干渉されてもう限界だったのでそうしました。後悔もしていませんし、距離がとれてほっとしていました。適当にあやまってビジネスライクに対応すると、今度は、『家に赤ちゃんを見に来て』と書かれてました。 もう十回くらい『家に赤ちゃんを見に来て』と言われて、ぜんぶ断っています。 理由はさまざまですが、一度は行きたくないとはっきり言いました。 私は彼女を友達とは思っておらず、嫌いなので、赤ちゃんにはまったく興味がありませんし、彼女の干渉してくる性格が嫌いなので、生活現場を見るようなお付き合いはしたくありません。フェイスブックの件で嫌っていることも気づいているはずなのに、しつこく誘う心理がわからずストレスを感じています。 だれもが赤ちゃんをみたいに決まっていると思っているのでしょうか? なんだか『見せてあげる』というニュアンスにさえ感じます。片道2時間の距離です。 出産報告をしないほど、嫌っている人を家に呼びたい心理はなんなのでしょうか? 大切な赤ちゃんなら大切な人にだけ見せたいと思わないのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 赤ちゃんと大人と動物

    こんにちはー。前回の続きみたいですが。 観察の結果なんですが、 赤ちゃんは何も考えてないし、自然のままに生きています。それは大人の悟りを開いた人と同レベルとおもいます。 赤ちゃんは無我夢中で生きています、常に全力投球です。でも大人で無我夢中になる人や、その時間ときたら、驚くほど短いです。全然無我夢中にならない人も多いです(ぼくのことです)自然のままに生きる=全力投球、という意味では、赤ちゃんは動物や覚者や信仰ある人と同レベルです。つまり、動物もレベル高いなーとぼくは感じます。 動物に癒されるのは、動物のほうが、上の意味で大人よりレベルが高いからです。ぼくが親戚の赤ちゃんに癒されるのも同じですねー。 ただ動物も赤ちゃんと同じで自覚がありません。つまり、良くないほうに流されるときに、自分でとめるということを知らない、という意味です。 赤ちゃんの自立が崩れるのは、愛されないことと人格を尊重されないことですが、それぞれ、女性性の不足と、男性性の不足、という風に対応している、と、これは、まだ想像ですが。赤ちゃんは自立している、というのと同じ意味で、赤ちゃんは完全性、「無」、赤ちゃんには感情がないし自分もない、とおもいます。(無我夢中の人は感情を感じる暇も自分を感じる暇もないことは経験上わかってもらえるでしょうか?、全力最高の集中をしているので、そんなものは入る余地がないのです)。 幸福が満ちているときは、感情も何も入れません。だからこその、赤ちゃん=天使、ではないでしょうか?なんか赤ちゃん赤ちゃんと馬鹿みたいですが、僕の考える指針になっているので。 大多数の大人は、赤ちゃんや動物よりレベルが低いですが、一部の人は、赤ちゃんや動物と同レベル、あるいはそれ以上だ、と感じます。それは、人間だけが、生命の中で非常に強い自由度を与えられているからだ、とおもいます。 それは、大脳の発達によって、感じたり考えたり、という自由を獲得した人間だけに許される自由度の大きさ、変化の度合いの大きさではないかと。つまり、人間は、赤ちゃん動物以下ーーいわゆる鬼畜、にもなれますし、赤ちゃん動物以上ーー悟りや神との共存、にもなりえます。この幅の広さは、まさに大脳の発達した人間だけに許されたものだなーとおもいませんか? 言い換えると、選択と認識が生むアイデンティティーの獲得が、やはり、動物にも赤ちゃんにもない、人だけが持つあるいは人間の大人だけが持つ唯一の特権じゃないかなとおもいます。つまり、成長の途中で獲得する、人格の分裂(本音と建前理想と現実など)を、自己同一化&自他同一化=客観視によって、自分の内面としてあるものから、観察対象として自分本体から切り離し、自分のものではないとする、人格への依存を自分から切り出して放棄する。そうしようと選択をする決意する。それによって、自己の人格と対応する世界を完全なものに変える。これらは、抽象的レベルでは、厳密ではないですが、赤ちゃんや動物の高いレベルに戻る、という言い方もできるとおもいます。キリストが言う、赤ちゃんのようでないと天国の門はくぐれない、あるいは、父母未生以前の本来の面目、というのはこちらの流れだとおもいます。ただ上に言ったように、赤ちゃんは完璧ではありません。自覚がない、という点においてです。神とともにいても、その自覚はありません。自覚がないので、いくら素敵なところにいてもそこからふらふら出て行ってしまう。赤ちゃんはアダムとイブです。 言い換えると、赤ちゃんは、未熟であり、同時に完成されている、という2重の性質を持ちます。大人は自覚により2次的な作り出した人格を対象化することによって、この世で生きる人格を生きるための道具として、新たに取り扱うことができるようになる、という過程は、ほかの動物にも赤ちゃんにもできるとは、とても思えません。これは自由と選択と自覚を許された人間だけが可能な、内面的作業だ、と感じるのですが、どうおもわれますか? だからこそ、赤ちゃんは天使ですが、悟りを開いた人や神を信じる人は、目覚めた人なんだ、とおもいます。ただの(?)天使の人と、天使のアイデンティティーを持つ人の違いです。赤ちゃんには生死がないですが、悟った人は、生死がないことを「知っています。」たぶん。 言い換えると、人はみな赤ちゃんとして愛を胸の中に持って生まれてきますが、生きてる間に、その愛を外部全体に対して告白して死ぬかどうかは、人しだいだなーとおもいます。つまり、赤ちゃんとお母さんを比べてみると、赤ちゃんは世界全体に対して愛を告白してますが、お母さんは残念ながら赤ちゃんに対してのみです。この違いは、赤ちゃんの自立が崩れる理由の一つです。お母さんだけじゃなく赤ちゃんに接するすべての人ですが。想像ですが。よろしくお願いします。

  • 赤ちゃんの衣類いつまで分けて洗う?

    毎日、赤ちゃんの衣類、おしめ、大人の衣類、と三回洗濯機を回していますが、 赤ちゃんの衣類はいつまで大人のと分けて洗った方が良いのでしょうか? 赤ちゃんの衣類と言っても、ガーゼやよだれかけ、服と非常に少ない量なので、 水や洗剤がもったいない気が・・・。 ちなみに今二ヵ月半になりました。

  • 猫語?や赤ちゃん言葉を使う大人の男性について

    大の大人の男性がある一定の親しい人(妻や恋人)に"にゃ"とか赤ちゃん言葉を使う心理とはなんでしょう? 甘え?でしょうか? 病んでいるのではないと思いますが今一つ理解に苦しみます(-_-;) 普段出せない甘えられない自分の代わりみたいなものでしょうか? 使っている人、 教えてほしいです。 そうされた場合、そんなに親しくない場合はどうしたら良いのでしょうか? すれば良いこと、 してはいけないこと 教えてほしいです。

  • 赤ちゃん用の粉ミルク。大人が飲んでも平気??

    赤ちゃん用の粉ミルクの味が好きで、「9ヶ月~3歳まで用」を飲んでいるんですけど、大人が飲んでも大丈夫ですか? 大丈夫だとしたら一日の飲む量とかって書いてある通りでも大丈夫でしょうか? 食べても飲んでも太りにくい体質なので体重が増えるだけならば問題がないのですが、栄養的に過剰になるのかな?と疑問に思い質問させていただきました。 知っている方よろしくおねがいします。

  • 赤ちゃんの仕組み

    心理学の授業で 人は赤ちゃんを面倒をみているんじゃなくて 面倒をみされられているんだといわれました。 赤ちゃんには大人に面倒を見させられるための仕掛けがあるらしいです。 そこで聞きたいのは その仕組みっていうのはなんのことでしょうか。ということです いろんなひとの意見を聞きたいですよろしくお願いします 投稿日時 - 2013-07-28 16:47:09通報する

  • 赤ちゃんの洗濯物、いつから大人と一緒に洗いますか?

    赤ちゃんの洗濯物、いつから大人と一緒に洗いますか? 一人目をどうしていたのかまったく覚えていないのですが、現在4ヶ月の娘の洗濯ものだけは大人や上の子のものとは別に洗っています。 上の子は幼稚園児でして、体操着や制服を毎日洗っているので、そういうものと赤ちゃんの口を拭いたりするガーゼを一緒に洗っていいものかと疑問に思っています。 幼稚園児以上のお子さんをお持ちの方、どうされていますか? 毎日2回洗濯機を回し、すすぎも2回注水をしながらしているので、正直水道代もかなりかかっていますし、時間もかかっているので、早く一緒に洗いたいと思いつつ、でも本当にいいのかどうか悩んでしまっているのです。 みなさんはどうされているのか、教えてくださると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

  • 大人の女性の方の心理をお聞きします。

    大人の女性の方の心理をお聞きします。 私は45才男性(バツ1)、お相手のAさんは36才女性(バツ1・10才男児あり)です。 Aさんは、私(会社員)の仕事上の取引先の会社員(私側が発注側で、Aさん側が受注側)。 そして、仕事上の出会いから3年。 この間、週に3~4回は受発注を通じて交流をはかってきた間柄です。 Aさんは美人なうえに明るくて優しく愛嬌も良く、何より品があり、電話の対応も群を抜いた女性です。 そうであるからなのでしょう。 Aさんと電話でやりとりする男性ならば、誰しもが自分に気があるのでは??と思わせるような素敵な女性です。(実際に勘違いをする男性のことも見てきましたし。) そしてそれらは、私にも決して例外ではありませんでした。 いいえ・・むしろ、それ以上に私には次のような特別な言葉さえ言ってくれました。 彼女が大変な時に「(私に対し)○○さんだけが、自分(Aさん)の心の支えです。」とか、間違えて電話してしまった時に「大丈夫ですよ。お声が聞けて嬉しかったです。」とか、「(私に対し)イケメンですね。」など数回です。 ここまで言われると私に対し、好意を抱いてくれているものと勘違いしてしまう程で、私はそんなAさんへの想いを先週彼女に打ち明け、一旦は、近日2人で飲みに行く約束までしました。 (ちなみに地方都市の在住ですので、子供を抱えるAさんの立場で、2人で飲みに歩く事にどれくらいリスクがお察しください。) しかしどうでしょう・・。 飲みに行く約束の日に、彼女に突発が入り延期に。 その後、都合の良い日をAさんよりいただく約束でしたが、数日経過しても連絡がないため Aさんへ複数回連絡しても、一切電話(携帯)に応じてもらえません。 2人で飲みに・・との約束から、一切電話(携帯)に応じなく突如急変した彼女の対応。 大人の女性の方の心理をお聞きします。 ※ Aさんに聞いた情報ですが、Aさんの上司(社長の息子)はAさんをまるで婦人のように束縛している。  Aさんが病欠の日は、自宅にまで確かめに出向く。Aさんと従業員の飲み会には必ずその上司が入りたが る。