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明治、政府が洋服を積極的に取り入れた訳、戦争服に付いて。
洋服が一般的にとりいれられるようになったのは明治の文明開化のころですが(地位の高い人のみだとは思いますが)、それまで和服があり、困っていたわけではないのに、政府はなぜ積極的に洋服を取り入れようとしたのですか?ただのあこがれなんでしょうか? あと、その後の時代の戦争で、外国製品は排除していたとき、洋服は外国のものでしたが対象外だったのでしょうか?軍服からすでに外国よりのデザインな気がしますので不思議に思っていました。
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現代火器(当時の火器)と洋装との相性ですが、袖や袴などの「びらびらした和装」では洋式火器との相性はどうしても悪いと思いますよ。と言うよりも洋式火器自体が洋装を前提に製作されているから、と言った方がよいでしょうか。 和式軍装、つまり当世具足を着用して、洋式の小銃や大砲を運用するとなるとどうしてもあちこち引っかかりそうに思いませんか?
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単なるあこがれではなく、アヘン戦争以後の東アジアでの地政学的秩序の崩壊、 また留学、外交、交流などで先進地域を直に見聞して、 自前の文化だけに固執していたのではまずいと 洋服だけではなく、法律、学問、科学、芸術、文化、商法などなど ありとあらゆる文化を西洋から取り入れたわけで、先見の明があったと言っていいでしょう。 (中国や朝鮮は頑固に自分たちの文化を保持しようとしましたが、 結局日本のように背広を着るハメになりました。 中国、朝鮮にも革新派も一部にはいましたが、徹底的に弾圧されました。 いまでは世界中の人が背広を着るようになりましたが、 アフリカ人やアラブ人の一部は未だに民族衣装を着るときもありますね。) 洋装化したからと言って、和服を捨てたわけではなく、 洋服も着つつ和服も着てました。昭和30年代くらいまでは普通に。 またたんなるあこがれ、西洋かぶれという側面で見れば 明治の元勲は、田舎者、下級武士でしたので上京して官吏などになり中流化しても、 「江戸や京都を中心とする日本人の考え方を断ち切らないとほとんど(エスタブリッシュメントの輪に)入っていけなかった」 ので普段から洋装し、洋館に住み鹿鳴館でダンスを踊る といった風な西洋式の生活を謳歌し、しだいに上流化していき、 「山の手=田舎者、下町=粋」から 「山の手=ハイカラ、下町=野暮」 (日本人の西洋かぶれというかフェチシズムには いまだにそういう図式が当時ほど露骨ではないが、残ってる気がします。 坊ちゃんの「赤シャツ」やおそ松くんの「イヤミ」みたいな西洋かぶれが。) という価値観を反転することに成功しました。 詳細はタキエ・スギヤマ・リブラ「近代日本の上流階級」 竹内洋「教養主義の没落」 など読んでください。 軍服は、江戸時代の末期から官軍は一部で洋装化してましたが、 (今の迷彩服ではなく、ペリーやナポレオン、三島由紀夫みたいな出で立ちでした) 頭がちょんまげだったり三角の鉄兜だったり軍刀がサーベルでなく、日本刀だったりとちくはぐでした。 幕府軍は、着物のそでをたすきでまくり上げて、 足下は脚絆(きゃはん)で固めて、と言う オールドスタイルでした。 明治維新後は、軍服は完全に洋装化しました。 ちょうど今の陸軍は学ランと一緒です。 海軍はセーラー服です。 それがのちに全国の学校のオーソドックスな 制服に採用されました。 ランドセルは、オランダ軍の荷物入れです。 外国人から見たら奇異に映るそうです。
- yuhkoh
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>>その後の時代の戦争で、外国製品は排除していたとき それが大東亜戦争時における、いわゆる「敵性言語」の排除のことであれば、単なる世論やマスコミの自主規制に過ぎず、法令によるものではありません。 『軍事板常見問題』より http://mltr.e-city.tv/index02.html 第2次世界大戦常見問題「アジア・太平洋方面FAQ」から http://mltr.e-city.tv/faq08c.html 【珍説】当時の日本は英語を禁止されていた. http://mltr.e-city.tv/faq08j.html#english 【事実】間違いです。 海軍兵学校などは、最後まで入試に英語を残していました(中略)後に英語教育は消えましたが、要するに戦況の悪化や学徒動員などで英語を含む全ての学業が吹っ飛んだというだけの話。 基本的に英語の規制というのは民間などでの話です。 今も昔も、民間の過剰な自主規制という日本人の性癖にさしたる差はなかったわけで。
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ご回答ありがとうございました。 日本人の自主規制…たしかに信じたら疑わないというのか、日本人らしいです。 英語は当時絶対使わなかったと思っていたので興味深いです。教えていただいたリンクを参考に、拝見させていただこうと思います。 ありがとうございました。
- Scull
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軍装などでは洋装のほうが合理的ですね。着脱が容易ですし、近代火器との相性もいいです。 政府が洋装化を進めたのには、ひとつには岩倉卿などが海外を見聞した時に和装では「ただの珍奇な蛮族」としか扱われなかったことがあります。岩倉卿はこの洋行の後、髷を落とし、国内の洋装化を進めます。 「ただの憧れ」の背景には「欧米列強から真っ当に扱われたい」という政府の気持ちがあります。 後の時代の戦争は太平洋戦争のことだと思いますが、これは単に「感情的反発でしかない」ので、合理的な理由は存在しないと思います。米英を相手に戦っているので、米英の言語など「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」です。 嫌いな芸能人が乗っている車などが、なんとなく気に入らない駄目な車であるような気がすることがありますよね?「敵性外国語の禁止」などはそういうレベルのものですから、不思議な気持ちがするのは当たり前です。 たとえば野球などでストライクを「いい球!」と言う様な事がありましたが、そもそも「野球がアメリカ生まれだ」って言う(笑)。 そんな程度のものですから、太平洋戦争当時は明治の洋装化とは同じ様には語れないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 近代火器との相性が良いというのはどうしてでしょうか?よろしければ教えてください。 岩倉卿のお話が興味深いので当時の外国から見た日本を調べてみようと思います。
活動的という理由で幕末に軍服として取り入れられたのが始まりだと思いますが、 その後明治維新後の状況は、只の西洋かぶれ、早く外国に追いつこうとする焦りでしょうね。 洋服はもともと外国から来たものですが、 もし、洋服を排除するなら、軍用車・武器弾薬・軍艦も、もともと外国の物ですから、当然排除して、 大八車・火縄銃・和船を使って鎧兜、通信は狼煙・早馬などを利用、これで連合軍と戦う破目になります。 飛行機の代わりになるものは、無いです。 これでは戦えませんよね。 国内で生産できるもの、日本にすでに定着してるものは、対象外としたのだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 国内で生産できるもの、日本にすでに定着してるものは、対象外とした、というのが確かにそうだなと思いました。 わかりやすく説明していただきありがとうございました。
- mn214
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素人の意見です。 明治という時代はそれまでの日本の政治体制、風習等を全て否定して、欧米を手本にして何でも欧米の猿真似をすることを進めた時代だと思います。 幕藩体制の崩壊と伴に刀を持つことやチョンマゲ頭も禁止し、西洋文化を取り入れていくその延長線上に、西洋の服装や靴を積極的に取り入れていったのではないでしょうか。 >その後の時代の戦争で、外国製品を排除していた 何時のことをいわれているのでしょうか。 明治時代に外国製品を排除していたのでしょうか?
お礼
ご意見ありがとうございました。 その後の時代~、についてですが説明不足で申し訳ございません。明治ではなく、太平洋戦争で対アメリカの時、スポーツなんかで外国の言葉を使ってはいけなかったりというのがあったと聞いたので、見た目ですぐ外国製だとわかってしまう洋服仕立ての軍服などをきるのはどうしてだろうと思っていました。
お礼
ご回答ありがとうございました。とても参考になりました。日本は明治天皇始め中心人物が革命に積極的だったからこそ今のような現状になったのでしょうね。 当時の和洋折衷なスタイルも外国人にとっては異様に見えるのですね。私は当時のそういったスタイルが割りとすきです。 和服も今でも式ごとや祭りごとなど日本人にとって重要な場面には着るので、これからも混合文化として残っていけばうれしいです。 わかりやすい回答ありがとうございました。