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古語の「べし」はどうして意味が多いの?
古語の「べし」が多義語でいろんな意味があります。(現代語もほぼ同じ) 〔推量〕…にちがいない。きっと…だろう。(当然)…しそうだ。 〔意志〕(必ず)…しよう。…するつもりだ。…してやろう。 〔可能〕…できる。…できそうだ。…できるはずだ。 〔適当・勧誘〕…(する)のがよい。…(する)のが適当である。 〔当然・義務・予定〕…するはずだ。当然…すべきだ。…しなければならない。…することになっている。 〔命令〕…せよ。 どうしてこんなに意味がたくさんあるのでしょうか? 意味がとりにくいのでとても不便です。 歴史的背景があれば知りたいです。 あいまいさを表現するのに便利だからでしょうか? 豊かな日本語といえるものなのでしょうか? それとも困った日本語でしょうか。 よろしくお願いします。
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なぜ意味がたくさんあるかといえば、昔はそれらの意味を区別していなかったから、あるいは昔はもっと狭い意味だったからでしょう。 英語の例になりますが、willという単語があります。もとは「意思」と言う意味でしたが、そこから発展して未来の予定を言う用法ができました。 このように単語の意味は時とともに増えていくものなのです。 同様に「べし」も意味を増やしていったものと思われます。 ここでポイントなのは、同じ単語で表されているというのは、意味を区別する必要がなかったことを示します。 しかし、そのうち文脈によって微妙なニュアンスの違いがあることに気づき始めます。そのニュアンスの違いを表すには同じ単語では都合が悪い、そうなったときに新語を作ることになります。 例えばmayはもともと「できる」という意味でした。それが可能性を表す用法に意味が広がり、新しくcanが「できる」の意味の単語として使われるようになりました。 「べし」も同じです。質問文で語義の解説で「べし」を使っているのが[当然]の用法だけであることからもわかるように、現代日本語で「べし」を使うのは主に[当然]だけで、他は古風な言い回しになっています。 >意味がとりにくいのでとても不便です。 不便だったので、今は使われなくなりつつあるわけです。 参考までに、 中国語の「可」もほぼ同じ用法を持ちます。 (もしかすると「べし」の意味のいくつかは中国語からの輸入かもしれません) また、英語の表現で「be to do」というものがありますが、これの意味が、 「~するはず」「~するべき」「~できる」「~するつもり」「~する運命だった」 です。最後の「運命」以外はみな「べし」の用法と同じです。 これらの意味が同じ表現で表されることは普遍的なものなのかもしれません。
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- ikeda55a
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高等学校の古文の文法書などでは以下のような説明を見る事があります。 「べし」は推量の助動詞「む」の意味の強いもの。 「推量」の用法は常識的に三人称の用法である。(現代語の例で) ・彼は~するだろう。 ・雨がふるだろう。 これを二人称や一人称で使うと、「意志」「可能」「当然」などの用法になるということ。 ・あなたは~するだろう。 → ~デキル、~スベキなど ・わたしは~するだろう。 → ~スルツモリダ、~シヨウなど 助動詞の意味(「推量、意志、可能」など)はあくまで、目安と考えれば良いと思います。 それぞれの文脈に一番相応しい現代語訳(解釈)があるはずで、それを助動詞の意味分類に分けるという順序で考えた方が良いのかも知れません。 文脈によっては、どちらでもいい意味であったり、どれにも分類できないものであったり、することがあろうかと思います。 文法が先にあるのではなく、解釈の手がかりに文法を使うというのが本来の立場ではないでしょうか。
困った日本語ですねえ。日本語は大概、困ったもんです。 しかし。実はこれ、英語でもおんなじなんです。 "must"という単語。例えば"he must be angry."という文は、 「彼は怒ってなければならない」ではなく「彼は怒っているはずだ」ですねえ。 でもこれ、「彼は怒っていなければならない」の延長じゃあないでしょうか。 「彼は怒っていなければならない」 「彼は今頃怒っていなければならない」 「彼は今頃怒っていなければ、おかしい」 「彼は今頃怒っていてこそ、それがものの道理というものだ」 「彼は怒っているのが当然であるのだ」 「彼は怒っているはずだ」 ほうら。 ことばって、勝手気ままに意味が膨らんだりするものなんです。 でもって、それを膨らませているのが何を隠そう人なんですねえ。 今もことばは変わりつつあります。遣う人、世代が変わるたび、どんどんことばは変わっていきます。 ことばは生きてるみたいです。