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紫宸殿前の左近の梅がなぜ桜に変わったのでしょう。

梅が桜に変わったのは、だれの命令で何年にうえかえたのでしょうか? そして植え替えた同期はなんだったあのでしょうか

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  • noribou11
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回答No.2

実は、いまのところはっきりとした証拠はありませんので 当時の文献から推測するしかないんですね。 「古事談」 南殿桜樹者、本是梅樹也、桓武天皇遷都之時、所被植也、而及承和年中枯失、 仍仁明天皇被改植也、其後天徳四年内裏焼亡ニ焼失了、 仍造内裏之時、所移植重明親王家桜木也 桓武天皇遷都(794)には梅だったんだけど、承和年間(834-848)に枯失したから 仁明天皇が植替えた。天徳四年(960)に内裏が焼失したので、 重明親王の家にあった桜を移植した、と書いてあります。 問題は仁明天皇の改植が梅から桜なのか、ただ単に新しい梅を植えただけなのか ということです。他の文献も参考にすると、確実なことは834年から960年の間には 梅から桜へ代わっていることです。 「続日本後紀」承和十二年(845)二月一日条 天皇御紫宸殿、賜侍臣酒、於是、攀殿前之梅花、挿皇太子及侍臣等頭、以為宴楽 ここには梅の花の前で酒盛りをしたとあるので桜に変わったのは 845年以降ということになりますね。 「日本三代天皇実録」貞観十六年(874)八月二十四日条 大風雨、折樹発屋、紫宸殿前桜、東宮紅梅、侍従局大梨等樹木有名皆吹倒 台風が来て、桜が倒れてしまったとあるので、この段階では桜に変わって いることになります。 桜へ変更は845年から874年の間になるわけです。 変更という大事件を古事談が記載しないわけありません。 したがって、845年から848年の間に仁明天皇が桜へ植替えたんだと思います。 一方で、菅原道真が進言したという説もあります。 菅原道真の誕生は845年で没年は903年ですから期間的には符号します。 しかしながら、道真自身は梅が嫌いではないので(北野天満宮は梅園で有名) いくら国風文化のためとはいえ、桜にした方がいいとは言わないと思います。

syunpei
質問者

補足

回答ありがとうございます。 古文書よりの引用は、とてもありがたいわけです。 NETで調べておりますと。植え替えさせたのは宇多天皇であると 仁和寺ではいっております。 またこういった、ことも掲載されていました。 弘仁三年(812年)二月十二日嵯峨天皇は、神泉苑で花を見、文人達に詩を作らせたのが、「花宴」の節会の始まりと、「日本後紀」にあり、花は桜とされています。内裏の紫宸殿前庭には左近の梅と右近の橘があり、承和十二年(845年)には梅花の宴が催されていました。  中国からの渡来文化の象徴ともとられる、梅の木も947年(天暦元年)桜の木に植え替えられる。・・・これは、100年も違っている  WEB上で、史実が段々簡略化されるうち、伝言ゲームのようになって違ったDATAが掲載されているのはこまったものです。

その他の回答 (2)

  • noribou11
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回答No.3

再度の登場です。 DATAの違いはたくさんありますね。勘違いが原因のようですね。 例えば村上天皇が963年に植替えたという説があります。 この基となっている話が鶯宿梅の故事です。 ここにも梅の木が枯れたので紀貫之の娘の庭の紅梅を移植させたと 書いてあります。そのとき移植された梅には一首添えてありました。 勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答えむ 天皇の勅命だったら慎んで贈呈いたします、でも、 この梅にとまる鶯に「あれ?ここにあった梅は?」と問われたら 私は何て答えたらいんでしょうか・・・ これに感動した村上天皇が梅を返して、代わりに桜を植えたという結末です。 でも、これは「清涼殿の梅」なんですね。多分、清涼殿と紫宸殿の違いが 分らなかったので「御所の梅」と意訳してしまったんでしょう。 仁和寺の宇多天皇も同じです。 宇多天皇が植替えた桜は仁和寺境内の門跡御所における左近の桜ですね。 実は右近の橘、左近の桜(梅)は皇族関係の寺院には多く見られます。 大覚寺にある旧嵯峨御所では今でも左近の梅ですからね。 前回の回答で動機を書くのを忘れていました。 植替えの可能性が高い時期は846~848年でしたね。 その時期に大きな政変があります。「承和の変」です。 嵯峨天皇は弟であり信頼の厚い大伴親王(淳和天皇)を皇太子にしました。 嵯峨上皇はそのまま淳和天皇の皇子である恒世親王を皇太子に勧めましたが 嵯峨上皇の皇后である橘嘉智子の影響もあって恒世親王は皇太子を辞退し 嵯峨上皇の皇子である正良親王(仁明天皇)が皇太子になりました。 それでも貴族の外戚を嫌った嵯峨・淳和上皇は淳和系の天皇にこだわり 嵯峨上皇の皇女である正子内親王と淳和上皇との皇子である恒貞親王を 仁明天皇の皇太子へと擁立させました。 しかし、面白くないのが藤原良房。良房は自分の妹である藤原順子を 仁明天皇へ嫁がせており、外戚として影響力を発揮するために 仁明天皇と順子との皇子である道康親王を皇太子へと擁立させようと 画策していました。 承和7年(842)、有力だった、淳和上皇が崩御し、嵯峨上皇も死床に伏すと 良房の圧力は更に強まりました。これを危険と見た恒貞親王の側近伴健岑は 阿呆親王へ皇太子(恒貞親王)を東国へ奉じてくれないかと頼みに行きます。 しかし、阿呆親王はこれを橘嘉智子皇太・良房へ報告します。 同年7月に嵯峨上皇が崩御すると、良房は謀反の疑いありと 伴健岑らを逮捕します。仁明天皇の慰留もむなしく、恒貞親王は皇太子を 辞し、良房の思惑どうり道康親王(文徳天皇)が皇太子となりました。 良房こそ藤原氏初の太政大臣であり、これによって藤原時代へと移ります。 その後、左近の梅が枯れるのですが、仁明天皇が桜好きだった嵯峨上皇を 偲んで桜へ植替えたという説と藤原氏の威力を内外へ知らしめるために 桜へ変えさせられたという説があります。 ただ、前述のように嵯峨上皇が居た嵯峨御所(大覚寺)は左近の梅であるため 嵯峨上皇は必ずしも左近の桜を希望していたわけではないので陰謀の匂いが しますね。

syunpei
質問者

お礼

再度詳しい情報をありがとうございました。 なかなか興味深い問題ですね。 ますます、興味が湧いてきました。

回答No.1

日本では左近の桜、右近の橘です。 桓武天皇が、中国では梅であったものを、桜に替えたそうです。動機? 正確な年号?

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