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「勤勉はぼんくらの代償ではない」

you-mの回答

  • you-m
  • ベストアンサー率58% (190/327)
回答No.3

私の私見ですが、”勤勉である”という事は、自分の手の届く事をやって満足する事では無いと思っています。 自分が何を求められているのか、あるいは自分が何をしたいのか、そういった事を踏まえて自分に足りない事を補う努力をする事であり、前に進むために必要な積み重ねを継続していく事だと思います。 「雑用」と言いますが、私に言わせればこの手の事は、その時々で手の空いている者が積極的にすべき事であり、そのような意識のない職場は、むしろ駄目だと思います。 才能が無い、センスが無いと言った言葉を言い訳にして必要な努力を怠っている人が、私は非常に嫌いですが、この言葉はそういった考え方にも通じる部分があるかもしれませんね。 なぜ、自分がぼんくらだと思うのですか? ぼんくらで無くなる為にはどうすればいいと思いますか? 成果をあげる為には、何が必要なんですか? これは、問題としては結構大枠な言い方ですね。 この問題をもっと細分化します。 より、小さな問題の集合にし、それらを一つ一つ解決していく事によって、自分の目標に近づいていくのです。 rimeiさんがおっしゃられるように、問題意識を常に持ち、それに対して、自分はどう取り組むべきなのかを考えつづけていれば、徐々にすべき事は見えてくるのでは無いかと思います。 そして、それが自然にできるようになるためには、相応の時間が必要です。 私は今の自分にたどり着くまで10年以上をかけました。 そして、まだ何も満足していませんが、続けてきた事はすべて私の血肉になり、実績以上に自分自身の土台となっています。 継続する事を放棄した人は、何も得られません。 問題を発見し、分析し、必要な事をしていく。その繰り返しを継続していける人間こそが、次のステップへ進めるのだと、私は思っています。 何かとえらそうに書いてしまいました。 不快だったら、申し訳ありません。

hikobae
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は日々流されているだけのような気がします。 「私にできることは私がやりましょう」という態度は、いけないのですね、きっと。 >自分が何を求められているのか    わからない。部内の雑用全部こなした上で、研究成果を上げろと思われている気もするし、他の人の環境づくりを求められているようにも思う。前者であれば「私はそんなスーパーウーマンではない」、って思うし、後者ならば「これは私の本来に仕事ではない。このままでは嫌だ」と思う。部長に「私の仕事(雑用的部分)を他の人にも分けて欲しい」と言ったら「あなたにそう負担がかかっているとは思えない」と言われてしまいました。

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