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一人称の主語

外国語と違って日本語は一人称で使えるものと、使うとおかしいものが多いと思います。「~したい」「~したがる」などはよく聞く例ですし敬語、謙譲語などの類もそうでしょう。 ふと思ったのですが「気を悪くする」も、一人称の主語で使うと変な気がするんですが、どうしてでしょう? ×気を悪くしたから帰る。 ○彼は気を悪くして帰った。 一人称なら「腹が立つ」「気分悪い」などを使うかと思います。 皆さん、どう思われますか? また、「気を良くする」はどうでしょう? 最近、「お気に召す」は一人称でも使われるようで、それをかんがえると別におかしくない、ということもできるのかもしれませんが、正しい、自然な日本語ということを前提でご教授いただけると嬉しいです。 宜しくお願いします。

  • mopmop
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  • hakobulu
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回答No.3

◆ 感情表現というよりは、元々状況説明のための言葉だから(多分ですが)ではないでしょうか。 ですから、客観的に自分を観察した「そのせいで私は気を悪くしていた。」などの表現は不自然には感じないと思います。 これを会話などの中で「私は気を悪くしたから帰る」などと使うと、私が自分を客観視しながら話していることになり、会話でありながら相手を(一瞬ですが)無視した表現になってしまうので不自然なニュアンスが残るのではないか、と思います。 「気を良くする」に関しても全く同じことが言えるのではないかと思います。 ◆ 「お気に召す」が一人称で使われるというのは初耳ですが、その方は、気取ることでひょうきんさを演出しようという意図があったのではないでしょうか。 「お気」も「召す」も自分の行為に対して使うのは明らかな間違いではないか、と思います。

mopmop
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >感情表現というよりは、元々状況説明のための言葉だから 感情的なものの状況説明だから、ということですか?そうかもしれないですね。逆ですが「欲しい」は自分ではわかっている感情(一人称で使える動詞)も三人称では言えない、使えない、というのと似てるかもしれませんね。 >「お気に召す」が一人称で使われるというのは初耳ですが、その方は、気取ることでひょうきんさを演出しようという意図があったのではないでしょうか。 初耳なんですか!じゃあ、たまたま私が重複して聞いただけの話なのかも知れませんね。「気取ることでひょうきんさを演出」は、私も後でそうかな、と思ったのですが、ただ、「合コン相手に気にいられなかった」という意味の文と見分けが付かないので、最初話が通じなくって困りました。(苦笑)

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  • Sasabuki
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回答No.5

うーん。 実は、何を疑問にお思いになったか、ぐっと掴めないでいます。なんとなくの解釈ですので、的外れでしたらおゆるしください^^; 思ったことつらつらと、 日本語の「自然」な表現ってなんでしょう? 「人称」とか「主語」と言ったもの自体が、日本人が、外国語(西洋語)を学んだ過程で定着した考えと思います。外国語(英語?)を基準に、英語ではこうなのに、なぜに日本語ではこうじゃないの?っていう比較は、日本語が基準のわたしには抵抗があります^^;; 「通常、日本語では、特別強調する必要が無い限り、主語をわざわざ言いません。目的語もわざわざいいません。」 ↑コレ重要。 I love you. の自然な訳は「わたしはあなたを愛しています」ではないと思います。 映画の字幕を作る人になってみてください。俳優が"I love you. "と言ったときになんと字幕を入れますか? 普通の日本語の言い方では、「愛してるヨ」ではないでしょうか。(「好き」とかでもいいかもしれません^^) 「愛してるヨ」の中に、英語の"I"も"you"も含まれています。省かれているわけではありません。 日本語には、わざわざ言わなくてもわかってるはずのことを言うのは、失礼になるような気持ちが、伝統的にあるんだと思います。  このような背景から、くどくどと説明することは避けながらも、意思伝達の行き違いがないような表現が日本語の中に自然と発達してきたと思われます。  主語を明示しなくても、誤解されないように、誰がどういうことを言ったのかということがわかる表現のルールが発達しているのではないかということです。 敬語や男女の言葉の違いも、誰が誰のことを言っているのかをわかりやすくする機能があります。 それ以外に、 「寂しい」「食べたい」というような感情や欲求を表す述語は、当然に話し手(一人称)の感情や欲求として理解されるように、日本人の中に浸透しているわけです。 「寂しい」「食べたい」にわざわざ「わたしは」などとつけなくてもいいし、逆に「田中さんは寂しい」「田中さんは食べたい」というのは不自然です。  「田中さん」など、いわゆる三人称の述語として感情・欲求を言うときには、伝聞や類推のような形を取ることになります。逆に、伝聞や類推の形を取っている以上、自分自身のことではないだろうと察せられるわけです。 「わたしは、腹いっぱい食べたいだろう」なんて言われると不自然な感じがしますよね^^ このように、日本語では述語から、主体を常に類推しながら会話が進んでいるということがいえます。 ですから、その類推と食い違う表現をすると違和感があるということです。  「気を悪くする、気をよくする」は、丁寧な表現に聴こえることがポイントではないでしょうか。丁寧な表現であるから、自分のことには使わない類推が働くのです。  言うまでもないですが、表現にはいろいろな可能性がありますから、レトリックを工夫すれば、違和感なく使うことも可能と思います。  言語を比較するということは、文化を比較するということです。  言語のなんで?は、文化的背景の分析から回答することになります。    日本語って面白いでしょ?^-^

回答No.4

こんにちは。 >「気を悪くする」も、一人称の主語で使うと変な気がするんですが、どうしてでしょう? という点に関して、私の見解を述べさせていただきます。 一人称の文章ですから、使う側には、「自分(私)が動作の発端である」という前提があると思います。 ところが、「気を悪くする」「気分を害する」という場合には、通常はその動作の発端(気分が悪くなる原因)が他にあるということだと思います。 つまり、自分で自分の気を悪くするようなことは普通はしない、ということです。 したがって、「私は気を悪くされた」「私は気分を害された」という受身の構文で使う場合には違和感はないと思いますが、「私は気を悪くする」「私は気分を害する」という使い方はおかしいのではないかと感じると思うのです。 気分を害する、については「その動作は私の気分を害する」という受身で使う場合には「私は気分を害した」と使われることも多いかと思います。 さらに「私は顔を赤くした」のように、形容詞+する、の表現ではありますが、上記のように自ら悪くする状況はおかしいので、悪くする、という表現は適切でない、と考えられます。「私はとても恥ずかしくした」というのがおかしいと感じられるのと同じではないか、と思います。 ところで「気を悪くする」という表現ですが、私は二人称以外で使用されている例をあまり見たことがありません。つまり口語的に「お気を悪くされたなら謝ります。」など、自分が相手に対して用いる場合以外では使われないのではないか、ということです。この場合には「私はあなたの気を悪くしました。」ということで、一人称の主語と「あなたの」という所有格が日本語の特性として省略され「気を悪くしました」という部分だけが残っています。文法的には、最もすっきりしている形だと思います。 三人称で使われる場合には「あなたは彼の気を悪くしました」ということになると思いますが、日本人は他人に対して「あなたに原因がある」とは、はっきりとは言いませんので、私は三人称で使われることにも違和感を覚えます。 これが正しい理由とは思いませんが、参考にしていただけましたら幸いです。

mopmop
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「私は気を悪くされた」「私は気分を害された」という受身の構文で使う場合には違和感はないと~ 「(私は)気分を害された」だとドラマなんかで社長が宴会の席を立つ場面なんかを想像できますね。 「私は気を悪くされた」は ?? 「不愉快だ」と言うほうが普通っぽいかなー、と思います。 >「その動作は私の気分を害する」という受身で使う場合には「私は気分を害した」と使われることも多いかと思います。 「私の気分を害するようなことはするな」などと言えますね。ただ立場の上の者が偉そうに下の者に叱責している感じがします。同等だと「人の気分を害するようなことは普通しないものだよ」あたりかな。三人称ですね。ということは「気分を害する」はどこか敬語的な言い回しなのかも・・・。「害する」の言葉の強さ、誇張性から、「(私はあなたの)気分を害する」というと譲る感じがするようにも思います。 >「気を悪くする」という表現ですが、~私は三人称で使われることにも違和感を覚えます。 「Pちゃんがそんなこと言うからQちゃんが気を悪くして帰っちゃった」など、三人称はOKな気がします。 いろいろと考察の参考になりました。 ありがとうございました。

回答No.2

ちょっと判別しかねるところがありますが・・・。 まず、「気を悪くする」を一人称の主語で使う? 主語にはならない。 一人称の主語は、私です。もしくは、自分を指す代名詞。 「気を悪くしたから帰る。」は、 「私は気分が優れないので帰ります。」が正しい日本語です。 「気を悪くする」と言うのも、実に「気を悪く」する言葉で、 「気分を損なわされた」 「気分を害された」 「気分が優れない」と、正しい言い回しにしましょう。 「お気に召す」は、 「この着物で(貴方は)お気に召すでしょうか?」 「今日の食事は(あの方が)お気に召された様子です。」 と、二人称・三人称が主語になります。  

mopmop
質問者

補足

>気を悪くしたから帰る。 すいません。「×私、気を悪くしたから帰る。」で、「私」を省略してしまいました。 「気を悪くする」は「気分が優れない」ではなく「腹が立つ」という意味です。 そういえば「気分を害された」という言葉もありますね。こちらのほうが敬語表現ではより丁寧な、というか、堅い感じですね。 >「気を悪くする」と言うのも、実に「気を悪く」する言葉で、~ 「気を悪くする」は正しい日本語ではないとお考えなのでしょうか? 私は「ムカつく」などという言葉はあまりちゃんとした日本語ではなくスラングの部類にはいると思いますが、「気を悪くする」は中立的な言葉だと思うのですが・・・。 

回答No.1

「気を悪くする」は、「きぶんを害する=いやな気持ちになる」の意味ですから、「私は気を悪くして~」としても、語学的に間違いではありません。 ただ、そう発言、あるいは記述するということは、自分の感情を生のままぶつけることになりますよね。 ですから、日記などに書くぶんには問題ないでしょうが、受け手(聞き手・読み手)に対してそう表現すると、相手に「大人ではない」と判断されることになるでしょう。間違いとはいえませんが、避けた方が無難な表現です。 一方、「お気に召す」を一人称に使っては絶対にいけません。語学的(敬語の使い方)に誤っています。 「お気に召す」は、「気に入る」の尊敬語です。尊敬語を自分の行為について用いるのは、最も恥ずかしい敬語の間違いです。 きつい言い方をしてすみません。でも、「私のお気に召す~」とは、冗談ならともかく、改まった場面では絶対に使わないでください。

mopmop
質問者

補足

回答ありがとうございます。 二人称では「気を悪くする」をよく使いますよね。 「お気を悪くされたのなら謝ります」など。 一人称だと、「私、ムカついたから帰る」「腹がたった」などは自然だけど、「気を悪くする」というのはどういうわけか人事みたいな気がします。 検索していたらこんな文章を見つけました。 「「気を悪くする」は一人称についてはあまり使わない。「私が気を悪くする」はちょっと不自然であろう。「不愉快」の婉曲表現ということか。尤も、婉曲表現だから一人称に使わないのか、一人称に使わないから婉曲表現のように思われるのかはわからないが。 ・・・」 http://www.sam.hi-ho.ne.jp/~shuno/speech/990131.htm これを読んでいただいてまた御意見がありましたらお願いします。

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