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嫌われると嫌いになる
なぜ自分を嫌う人は自分も嫌いになるのでしょうか?
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- ruehas
- ベストアンサー率68% (816/1194)
こんにちは。 これは、我々動物の脳が自分にとっての「利益・不利益」を判定することによって行動の選択を行うように作られているからです。他人から好かれることが「利益」と判定されるならば「接近行動(報酬行動)」が選択されますし、逆に、嫌われるのは多くの場合「不利益」と判定されますので「回避行動」が選択されます。 「好き・嫌い」といいますのは「大脳辺縁系(扁桃体)」の「情動反応」が具体的な「感情」となって身体に表出されたものです。 大脳辺縁系は知覚情報として入力された環境の変化に対して「利益・不利益」の価値判断を下し、「快情動」か「不快情動」のどちらかを発生させます。「快情動」に従って発生する反応や行動を「接近行動(報酬行動)」といい、「不快情動」に伴うものは「回避行動」の方に分類されます。 「感情」といいますのは、このようにして大脳辺縁系の情動反応に従って身体に表出される反応や行動が「喜怒哀楽」などといった特定のパターンに分類できる状態になったものを言います。ですから、「嫌い」という感情は、大脳辺縁系の「不快情動」に伴う反応や行動の表出パターンが「嫌い」というカテゴリーに分類できるものということになります。 大脳辺縁系の情動反応といいますのは、その結果が学習され、記憶として残されます。これを「情動記憶」といい、大脳皮質に作られる一般的に「記憶」と呼ばれるものとは別に、大脳辺縁系内に獲得され保管されます。ですから、より印象の強い刺激であったり、それが何度も繰り返されますならば、次からは同様の入力情報に対しては同じ反応を示すようになります。このため、我々は「嫌いなひと」という特定の対象物から得られた知覚情報に対してましては、必ず「嫌い」という反応パターンを無意識のうちに発生させることになります。 因みに、大脳辺縁系に発生する情動反応といいますのは、何らかの身体反応となって表れるまで、大脳皮質ではそれを知覚することはできません。ですから、この反応が発生しなければ、我々はそのひとが好きなのか嫌いなのかを自覚することはできません。逆に、そのひとのことを好きだ、このひとは良いひとだと幾ら言い聞かせてみましても、大脳辺縁系に発生する不快情動を拒否することはまずできません。これは、情動を発生させているのが大脳皮質ではなく、大脳辺縁系の情動記憶であるからです。 ですが、これを抑制しようとするならば、相手の良いところ、自分にとっての利益を積極的に見付け出し、新たな情動記憶を蓄積することによって大脳辺縁系の価値判断を不快情動から快情動に変更させるということは、時間を掛けさえすれば幾らでも可能です。逆に、不利益と反応している限り、そのひとのことはどんどん嫌いになります。 このように、ひとが理解し合う、ひと同士が憎み合うという機能は、大脳辺縁系という無意識の領域にあり、それは自分にとっての利益・不利益という価値判断を基準とし、生後の体験・学習によって作られるものです。ですから、生まれたばかりの赤ちゃんには、好きも嫌いもありません。そして、両親の存在だけを唯一の利益として頼り、それによって両親に対する愛情という、生涯に渡って揺るぐことのない、この世で最も強い反応を学習します。我々動物の脳にこのようなメカニズムがなければ、生み落とされた環境の中で生き延びることは到底できません。
- OHISAMA_sunsun
- ベストアンサー率8% (20/232)
嫌っていてもシツコい馬鹿もなかにはいますね。 そういった場合は好き、嫌いとかではなく たかり、乞食根性で動いているようですけど。
補足
ありがとうございます。 役に立たない回答でポイント0です。
- tropicbird
- ベストアンサー率41% (33/80)
すみません、 「自分に好意を寄せている人に対しては自分も好意を寄せる..」の間違いでした。『好意』の字が間違ってましたね(^_^;
- tropicbird
- ベストアンサー率41% (33/80)
それは「自分に好意を寄せている人に対しては自分も行為を寄せる(=悪い気はしない)」の逆心理なのでしょう。恋人に嫌われたり、その恋人に新しい交際相手が出来ると今まで好きだったその恋人を傷つけてしまったり、場合によっては殺してしまうような事件は後を絶ちません。「可愛さ余って憎さ100倍」ということわざにもあるように、自分が好意を抱いている人から嫌われるとその好意は時として憎悪になってしまうのです。もともと自分がさほど好きでも気にもしていない人間から嫌われてもあまり傷つかないと思います。ただ、そういう人と職場や学校など毎日顔を合わせるとなると、それはまた別の意味でストレスになり、結果その人が大嫌いになったりしますが。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。