• ベストアンサー

タイムトラベルをするなら、どこへ行く?

mixpieの回答

  • mixpie
  • ベストアンサー率12% (28/228)
回答No.11

応援するチームの過去の名勝負や優勝シーンを 見に行きます。

eririn36
質問者

お礼

やっぱりビデオやDVDよりも、実際に観るに限りますよねぇ。 ファンにはたまらないですよね。 スポーツファンらしいご回答ですね。 ありがとうございました!

関連するQ&A

  • 江戸時代家一軒の値段は?

    江戸の長屋の家賃は格安だったそうですが、 江戸時代に家一軒を買うとなるとどれくらいのお金がかかったのでしょうか? 江戸の庶民的な家、地方の家などの値段が知りたいです。 よろしくお願いします。

  • 大昔からの気候が知りたくて不安です。

    冬~春、秋(1月、2月、3月、11月、12月)に夏日や真夏日はありましたか? 明治時代以降は結構あるのを読みましたが・・・ 恐竜時代、旧石器時代から江戸時代まで多かったのか少なかったのか、無かったのかがわかりません。 恐竜時代は現代より温暖だったとドラえもん等で聞きました。 夏日(最高気温が25度以上の日)、真夏日(最高気温が30度以上の日)、40度を超えた日、最低気温が25~30度を下回らない熱帯夜だった日が恐竜時代から旧石器時代から江戸時代まで1つ1つ「多かった」「少なかった」「無かった」で教えてください。 下記の『 』内に答え(多い・少ない・無い)を書いてください。 現代の夏日や真夏日が春先からあるかもしれなくて不安になります。 1つ1つ答えを教えてください。 (夏日・真夏日・40度以上の最高気温・熱帯夜・最低気温が30度以上) 1月 恐竜時代  答え『多い・少ない・無い』 旧石器時代から鎌倉時代  答え『多い・少ない・無い』 室町時代から江戸時代  答え『多い・少ない・無い』 2月 恐竜時代 答え『多い・少ない・無い』 旧石器時代から鎌倉時代 答え『多い・少ない・無い』 室町時代から江戸時代 答え『多い・少ない・無い』 3月 恐竜時代 答え『多い・少ない・無い』 旧石器時代から鎌倉時代 答え『多い・少ない・無い』 室町時代から江戸時代 答え『多い・少ない・無い』 11月 恐竜時代 答え『多い・少ない・無い』 旧石器時代から鎌倉時代 答え『多い・少ない・無い』 室町時代から江戸時代 答え『多い・少ない・無い』 12月 恐竜時代 答え『多い・少ない・無い』 旧石器時代から鎌倉時代 答え『多い・少ない・無い』 室町時代から江戸時代 答え『多い・少ない・無い』 現代の地球温暖化はどういうことですか?? 温暖化で南極の気温が20度近くなってます。 できれば全部書いてください。 質問が多すぎてすみませんが、悩んでいて不安です *日本列島(北海道から本州まで)のが特に知りたいです。 恐竜時代は日本列島が出来上がってなかったことは聞いたことがあります。

  • 戦国武将

    先祖が地方の戦国武将でして、大名が滅亡して無職になり江戸時代から元敵の足軽藩士に取り立てられました。 元武将が江戸時代から足軽ってどう思いますか?

  • 曹洞宗と真言宗

    例えば江戸時代に、真言宗のお寺に先祖代々お墓を持つ人が曹洞宗のお寺に山門を寄進することはありますか? 武士、庶民、関係なく自分の家と宗派が違うお寺に寄進をするのはどうなのかなと思いまして

  • 歴代天皇は伊勢参宮しなかった?

    歴代天皇の中で明治天皇が初めて伊勢参宮を行ったという話をききました。 それ以前の天皇はどうして参宮しなかったのでしょうか? 熊野に詣でるより先祖の神宮に詣でるのが自然と思いますし、 江戸時代にはおかげまいりが庶民に非常に人気があったのに不思議です。 よろしくお願いします。

  • 両墓制についての質問

    江戸時代は参り墓と埋め墓の二ヶ所にお墓があったそうですが、もしそうですと武士ではないのですか? 私の先祖のもので一つある江戸中期の光明真言供養塔は文字が読め名前もはっきりわかるのですが お墓6体(内3体のお墓は、分家との借財トラブルで分家の墓石の土台になっている) あるお墓は文字が元々書いてなかったのか、わかりませんが、文字が消えた状態で読めないです 6体のお墓は参り墓であって、土地没収のため3体のお墓を墓石の土台にしたんじゃないかと、言われました 両墓制は基本的に庶民がやってたらしいです いい伝えで先祖は郷士の下級武士です だけどお墓が二ヶ所に別れてるって聞いたことないですが、昔の庶民はみんなやってたのですか? 因みに茨城の真言宗です

  • 【日本史】江戸時代の飛脚は大阪から江戸まで物を運ん

    【日本史】江戸時代の飛脚は大阪から江戸まで物を運んで貰うのに庶民は1回100万円以上も飛脚に支払う必要があったそうですが、武家は運賃が無料で運べたそうです。 誰が武家の運賃を肩代わりしていたのですか? あと飛脚は徳川幕府が経営者だったので、江戸の参勤交代制度で武家が江戸に別荘を用意して住む必要があったので徳川幕府が武家の故郷から送られてくる物資を飛脚が無料で運んでいた? もしかして飛脚は手紙だけを運んでいたのでしょうか?地元の産物を飛脚に運んで貰えたのでしょうか?旬の野菜や果物や地元の魚などは飛脚は運ばなかった?

  • ご先祖の戒名について

    先日、菩提寺で当家のご先祖について過去帳を見せていただきました。 そのなかで、女の人で「弘譽心月智圓禅定尼」と記述してあったのですが、どのような身分であったかわかりますか。庶民でも貰えたのでしょうか。 ちなみに、その方は江戸時代天12年~大正11年まで生きていました。 あと、この女性の夫は過去帳に載っていなかったのですが、戒名は夫婦とセットである。と聞いたことがあるのですが、実際どうなのでしょうか?

  • 江戸時代までの庶民は貴重品の管理をどうやっていたのか気になります。

    江戸時代までの庶民は貴重品の管理をどうやっていたのか気になります。 例えば時代劇などに登場する庶民の住居ですが、都市部では多くは長屋ですよね。 ちょっと上のクラスの商売人 (例えば夫婦だけでやっているような) になれば数部屋ある一戸建てに住んでいたと思います。 時代劇で見た範囲で言えば、外出する時、今のように鍵をかけるとか一切無くて、開けっ放しの状態ですよね?  ただ防犯面で言えば、大体は隣近所の付き合いが濃厚なので空巣にやられ難い面もあったでしょうし、仮に泥棒が入ったところで家の中には貴重品や現金などを置きっ放しにするケースなど無い状態だったのではないかなと思っています。 それでも自宅で小商いや食堂を経営している人の家には常に若干の現金 (当日の売上金や支払に当てるお金など) はあっただろうと思うのですが、外出して家に誰もいなくなる時、一体どうやって貴重品などを管理していたのでしょうか? もしかして、24時間、常にふところに入れて肌身離さなかったのでしょうか? でも銭湯に行く時は? お湯の中まで持って入ったのでしょうか?

  • 昔の人は出かける時、戸締まりはどうしていたの?

    タイトルどおりなのですが、昔の人、例えば江戸時代の長屋などに住む一般市民は、外出する時、戸締まりはどうしていたのでしょうか? 時代劇を見ても (キチンと時代考証をしているとは思いませんが ・・)、当時の長屋の戸は薄い障子を貼っただけの簡易な作りで鍵なんか無く、戸締まりは夜寝る時につっかい棒を斜めに差し込んで外から簡単に開かないようにしたくらいだと思います。 という事は夜はともかく、昼間、仕事に出ている時は開けっ放しという事になるのでしょうか? 考えれば、当時の一般庶民は現金は財布に入れて肌身離さなかったと思うし、部屋の中に貴重品など一切無く、仮に空巣が入ったとして盗る物が何も無いという状態だったのかも知れないですが、それで戸締まりの必要が無かったのでしょうか? それでも例えば自宅で小商いしている人の家には商品や何か貴重品らしき物があったように思うし、何かの用事で家を開けなければいけない時もあると思うのですが、そんな時はどうしていたのでしょうか? それと、今のように一般市民の家でも外出時に戸締まりをするようになったのは、大体どの時期あたりからでしょうか? またそれは何かのキッカケがあっての事でしょうか?