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西洋や中国の兵士は、どうやって敵を見分けていた?

starfloraの回答

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  • starflora
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回答No.3

    どの規模の敵を見分けるのかで、答えが違って来ます。例えば、千人からなる軍隊なら、旗も当然掲げていますし、指揮官や士官級軍人の軍装や、軍事装備、武器などを見れば、どこの軍隊か、一目瞭然のはずです。無論、そういう知識のない人には分かりませんが、戦場で、まず、敵味方の区別の知識が最初に重要になります。間違って、味方同士で戦うことほど愚かなことはないからです。     一番基本的な識別手段は、西欧でも中国でも、兵士の纏う「軍装」でしょう。どんな戦闘服を着ているか、どんな目印の布などを首のまわりや、飾りとして、背中にひっかけているか、どんなはちまきをしめているか、どんな武具を持っているかなどです。中国で、「黄巾の乱」というのは、叛乱を起こした叛徒たちが、互いを識別するため、黄色い布を目印に身体に纏ったからです。また「赤眉の乱」というのも、叛徒が、眉を赤く染めて、仲間を識別したので、こういう名が付いています。     「黄巾の乱」や「赤眉の乱」に加わったのは、統制のない農民雑兵で、正規軍兵士ではなかったので、とりあえず、敵味方を分かり易くするため、こういう簡単な識別法を選んだのです。     正規軍の場合は、制服が支給されますし、身分に応じて、その軍装が変化したり、飾りが決まっていたりしますし、武具も、或る程度、整えられた共通のものであったはずで、これは、武具も組織的に支給されたからです。また、身振りとか、戦いの時の態度のようなものも、訓練で、段々決まってきます。「忠臣蔵」で出てきますが、念のため、「合い言葉」も用意していたでしょう。     西欧中世の騎士は、日本の武士と同じで、闘い方に「様式」があります。日本の武士は、「名を名乗れ」とか言って、「我こそは、どこそこの何々なる」とか叫んでいたのと同じで、騎士は、騎士同士で闘います。騎士が普通騎乗であり、その従者は徒です。騎士は、無論、自己の家紋や象徴などを、楯にも軍装にも、それと分かるように示し、従者たちも、それぞれ、騎士の従者だと分かるような印を軍装に付けています。従って、どこの誰かが分かるのです。     ただ、乱戦・混戦・肉弾戦になってくると、誰が誰か分からなくなります。その場合でも、軍装や軍備などで、大体の見当を付けたのでしょうが、間違って、味方同士で闘うということも、乱戦の場合はあったでしょうし、どこの誰か、騎士であっても分からなくなったはずです。チェーザレ・ボルジアが乱戦のなか戦死した時、誰も気づかず、彼が見事な鎧を纏っていたので、戦利品として鎧を剥いで持ち帰った敵兵が、城に帰ってよく見ると、鎧に、「ヴァレンティーノ公爵チェーザレ・ボルジア」とあったので、驚いて敵の指揮官が遺体を探しに行って、夥しい戦死者のなかから、見つけたという話を、塩野七生が書いていたと思います。     しかし軍事戦術的には、意図して、そうする場合は別に、乱戦・混戦になるのは、戦術の失敗です。軍を機能別グループに分け、さっと攻撃して、引かせると同時に別のグループが別の方向から攻撃し、という形で、幾何学的に、整然と軍を動かして戦うので、総攻撃=乱戦=混戦というのは、ドラマではよく出てきますが、そう簡単には行わないはずです。     (「赤揃え」というのが、戦国時代にありました。武装を赤い色に揃えることで、はっきりどの軍かが分かります。大坂夏の陣で、真田幸村麾下の軍は「真田の赤揃え」で戦ったと言われています。幸村は無論、戦死覚悟で、家康の首を奪うことに一戦をかけたので、これはもう混戦覚悟ですが、そのなかで、幸村は見事に部下を統率して、家康は、辛うじて身一つで戦場を逃げ出し助かったと言います。家康を守っていた旗本もみな蹴散らされたのです)。     この戦いに勝機ありと見た時、一気に敵を押しつぶすために総攻撃するか、または、最後の活路を見いだすため、総攻撃するとか、乱戦・混戦になるといくさの帰趨が分からなくなるので、それは一般に、戦術上避けるものでしょう。また、この総攻撃のタイミングの測り方の上手な武将が、勝利したのだとも云えます。     中世西欧の戦争は、名前が有名な割りに、参加戦闘員が少ないということがあります(ノルマン・コンクエスト最大の戦闘は、千人ほどが戦っただけであったか、あるいは、ノルマンの征服というのは、千人ぐらいが、侵攻しただけであったという話もあります。……無論、その後、ノルマン人がかなり大勢イングランドにやって来るのですが)。     日本の「関ヶ原の戦い」でも、東軍西軍で約十万づつと言われていますが、参加大名ごとで陣を敷いていて、更に、軍を小区分して分けているので、内部では、味方かどうかはよく見知っていたということです。また、戦いは、組織的に行うのであり、五十人ぐらいの兵には、小隊長とかその補佐というような、士官・下士官が付いていて、あそこを攻撃せよとか、部下に命じていたのです。「旗さしもの」は、この下士官クラスが付けていたもので、普通の兵は、そんな邪魔なものは付けていなかったし、これは指揮官の印でもあるので、勝手に付けることも許されなかったということです。この指揮官クラスの下士官や士官が戦死すると、小隊は、どう行動すれば分からなくなり、混戦・乱戦になるのです(または、こちらが多いですが、敗走です)。     また、西欧も、中国も、日本も、指揮官のランクが上がると、軍装が華やかになり、敵にも味方にも、それと分かるようになるので、兵士も下士官も、そういう大物を討ち取ることを目指したのだとも云えます。逆に言うと、近代軍隊以前の軍隊は、指揮官が前線で戦いの見本を見せると、兵士たちが付いて来るのであり、また、敵の指揮官を討ち取ろうと戦闘が起こるのです。従って、有力な指揮官が討たれて戦死したりすると、軍が敗走したり、戦いにならないことがあります。  

ikazuti
質問者

お礼

 詳しい説明ありがとうございます。  合言葉、制服、身振り、態度、家紋に紋章……確かめる方法は結構ありますね。あの映画では、そんな細かいことまで描かれてはいなかったので。  昔の戦争の様子がよく分かりました。

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