• 締切済み

中国仏教と日本仏教

日本における仏教と中国における仏教の相違点について調べています。 仏教が各国に伝わった時期の違いの他に、 1.仏典における違い 2.信仰の内容の違い 3.儀礼による違い 4.翻訳の違い など、知りたいのですがGoogleや文献を探ってもなかなかピンポイントの情報にありつけず困っています。仏教に詳しい方教えてください。。

  • 歴史
  • 回答数1
  • ありがとう数2

みんなの回答

noname#20467
noname#20467
回答No.1

大学のレポートでしょうか? ご質問の項目を考えてみましたが、これだけでは、何を答えて良いのか分かりません。日本は中国の漢文経典を通して、仏教を学びましたから、1の仏典における違いと4の翻訳の違いというのは、なにを問題として出されたのかも、ほとんど分かりません。2と3に関しても、どこの部分を取り上げているのかわかりません。信仰の内容は確かに違いますが、日本の宗派同士でも内容は違いますし、日本仏教徒中国仏教と先生が分ける意図が分かりません。 もし、講義のレポートでしたら、先生の書かれた授業案内もあるでしょうし、授業中に先生がどのような講義をされたか、覚えている範囲で補足してみてください。組み立てられないのであれば、先生が使ったキーワードでも結構です。 参考文献を見たということですが、なんという本を読まれましたか?  もし、その本が先生の紹介された本でしたら、ある程度先生の課題意図を探ることは可能かもしれません。

mrdjozma
質問者

補足

とにかく2国間における仏教の違いをレポートでまとめてほしいみたいです。授業はリサーチが多くて中国、日本にはあまりふれず世界の宗教を勉強したって感じです。仏教もやりましたけどほんのさわり程度で、本に書いてあるようなことです。 文献はModern China、Taoism Buddhism,world religionなどです。

関連するQ&A

  • 神道と仏教に関してしつもんです

    以前、何かの文献で、仏教は神道が広まっていたかつての日本で 神道の神様が、仮の形で人々の前に姿を表す事ができるように 仏様として信仰するために布教させた~という内容をどこかでみました。 どこで見知ったのか一切失念しております。 神道が広まっていた日本において 1.上記事柄になにかしら一致するような点は現行の仏教にのこっていますか? あるいは、上記事柄はまったくのでたらめでしょうか? 2.当時の日本において、仏教を布教させた背景にはどんな意図があったのでしょうか? なるべくなら、宗教的な観点ではなく、歴史的な観点でご教授いただきたいです。

  • 仏教徒なら葬儀は世界共通?

    現在日本で行われている仏式の葬儀は、地方によりいろいろ違いがあるものの、 ゆかん、通夜、末期の水、北枕・・・といった特徴はおよそ共通しているように思えます。 これらのしきたりのルーツは、釈尊の葬儀の際の故事に基づくものが多いようですが、 とするなら、世界各国の仏教徒の葬儀にも、どこか共通する点があるのではないでしょうか。 仏教国であるタイやカンボジア、そして仏教徒の多い中国や韓国、ベトナムなどの 葬儀で、日本の葬儀に共通するしきたりなど、ご存知の方がいらっしゃいましたら、 ぜひ教えて下さい。

  • タイと日本の功徳観の違いについて

    よろしくお願いいたします。  タイと日本は、外来の宗教として仏教が入り、経緯はともかく体制側の事情・都合も手伝って広まった(少なくとも、100%お寺さんの布教によって広まったわけではない)、というところは共通だと思います。  タイは信心深い仏教徒が多いものの、一般の人々は、それほど仏教教理の知識があるわけではない、と聞きました。  「因果応報」「輪廻転生」を信じ、徳を積むことによって善因をつくることを「善い事」としているというような、はっきりした「功徳観」があるように感じます。  日本では、急速に仏事や日常の生活上で「行いをもって徳を積む」という功徳の観念が薄れているように感じます。  仏教に関する事柄も、それ以外も、情報量は(おそらく)圧倒的に多いと思われます。  功徳は、目に見えるものでない以上「功徳を積んで何になるのか?」という問いは信仰心で封じるしかないわけですが、タイではそれができて、日本ではできないというその違いはなんでしょう?  南伝系の上座部仏教と大乗仏教との教理上の違いが大きいのか、単に国民性・国情の違いなのか、仏教受容の姿勢・立場の問題か・・・どう考えるのがよいのかと思いまして。  信仰心の厚薄の是非や、それぞれの仏教の優劣批判等ではなく、一般の人たちの功徳観という点を中心に、ご見解をいただけますと有り難く存じます。  

  • 中国版RoHS

    中国版RoHSが施行されましたが、基本的に本家RoHS同じだと聞いておりますが、施行している国の違い以外に大きな相違点などあるのでしょうか。

  • 中国の体制を変えさせるには?

    中国の国際ルールを無視した行動が日増しに高まっています。 これに対して各国、特に日本の対応は鈍く、一市民として不安を覚えずにはおられません。 そこで、政治家頼みにするのではなく、私たち一市民の力で、中国の利己主義を改めさせたいとの思いから、以下のような案を考えました。 こんな作戦はいかがでしょうか 1.ウィキペディアなどで天安門事件やノーベル平和賞の話などをコピー 2.グーグルの翻訳機能等で中国語に翻訳 3.模様のつい紙に印刷(見にくいが判別できる程度) 4.この紙をpdfや画像データに 5.インターネットで中国の企業や個人サイトを検索 6.適当な捨てメールアドレスで、そこに上記データを貼り付け送信 7.これを何回も繰り返す。 うまくいくと思いますか?

  • 仏教について。

    今日、 「手塚治虫のブッダ」 について解説した本を読みました。 現在、仏教には 日蓮宗、曹洞宗、臨済宗、その他多数の宗派があると思います。 これらのうち、 主だった差異は一体なんでしょうか。 又、 「祀っている人が違う」のが大きな対立点であるということはありますか? もしそうである場合、 「統一宗派」を作って (具体的には、中国の孔子が偉人とされているけれどそれは実は複数の偉大な思想を組み合わせて1人の人間の思想とした、という仮説がある様に) 「新しく、1人の仏を作り出してしまう」事などはよい解決の策ではないかと思うのですが、 この場合各宗派にとって何か問題はありますか? あるとしたら、どんな問題があるか教えて下さると幸いです。 皆さんは、 「仏教界の統一」のためにはどんな手段がいいと思いますか?意見を聞かせてください。 又、創価学会についてですが、 これを情報機関やマスコミ工作で潰すばっかりだと、本当に説き伏せたとは言えない気がしています。 「仏教を統べずして世界宗教の統べなし。」という考えを持っている私としては、 創価学会までも説き伏せなければいけないと考えています。 これについて、みなさんの意見をお聞かせください。 最後に、 以前顕正会という宗教法人に、 突然部屋に連れていかれ、 半ば監禁に近い形で折伏を受けました。 日蓮は 「折伏」を進めたらしいのですが、 仮にそれを日本の天皇が否定した場合、 顕正会は 天皇に翻意を迫るか 自分達が折伏をやめるか、どちらになるかお考えをお願いします。 又、 日蓮は 「鎌倉の末法」に限らず 今の世の中や未来に至るまで、 「常に折伏するべし」と言ったのですか? よろしくお願いします。 特に、 「仏教を統べるためには仏教の統一宗派を作って統一聖人を立てるべし」という意見についていただければ幸いです。 仏教の統一について熱い意見をお願い思案す。 それでは。

  • 無料ネット中国語翻訳について

    現在「エキサイト翻訳」「Google翻訳」を参考にしてますが,両者の翻訳結果に語彙・文節など違いが大きく,自分で辞書を引いた訳と合わせて使っていますが正確な翻訳にはなかなか届きません。 無料という限界は承知の上で,短文を翻訳し参考にする場合にネット上に出回っているもので比較的使えそうなものがあればご教示ください。 人それぞれと思いますが,中国渡航間近なため質問にあげました。

  • ウィキペディアとその他参考文献の違い

    ウィキペディアとその他参考文献を比較した場合、情報の相違点はどのような物がありますか?

  • 中国における各大手自動車メーカーのマーケティング戦略は?

    最近、中国が世界一の自動車販売市場になったニュースをよく見ます。 では、日系の自動車メーカーであるトヨタ、日産、ホンダなどそれぞれ中国における販売戦略の相違点はなんですか? 特に、トヨタの新社長である豊田さんと前社長の渡辺さんとの戦略的な違いとかありますか? 知りたいですので、ぜひ、教えていただきたいです。 よろしくお願いいたします。

  • 仏教の閉鎖性とキリスト教との比較

    どのカテゴリで質問しようか迷いましたが哲学にさせて頂きます。 質問ですが、キリスト教は誰にでもわかるように絵画なども交えて、他国の人に伝わらなければ聖書も外国語に翻訳するなど非常な努力を重ねてきました。その教えの内容も、例えばキリスト教を全く知らない人であっても「汝の隣人を愛せ」と言われれば意味はちゃんと理解できます。 その一方で仏教は、キリスト教に比べるとひどく閉鎖的に見えて、ちゃんとその教えを学ばないと意味すら理解できない、日常の文化と乖離していますよね。キリスト教は日常の文化に根ざして日々の生活文化の基礎も担っていますが、なぜ仏教は大乗仏教のように多くの人の救いを説きながら、普通の人には理解できない、特別に勉強して奥義を極めて初めてその真意を会得するといったような閉鎖性を持つのでしょうか。 仏教の経典は日本には中国から伝わったとはいえ、日本人が日本語で理解しやすいように内容を翻訳しようという大々的な動きもなく、基本は漢文です。 例えば南無阿弥陀仏も、これって普通のお経が難しすぎて理解できない人たちに「これなら簡単だからやりやすいでしょ?」ってことで普及したわけですよね。とにかくこれを唱えればいいと。でも南無阿弥陀仏の意味ですら、ちゃんとその意味を教わらないと日本語として理解不能ですよね。 つまり仏教は多くの人の救いを説きながら、その実キリスト教と比べればずいぶん階層が二極化していて、なおかつ潜在的な権威主義も含まれていて、「内輪でしか理解できない思想体系を構築した閉鎖的なエリートたち(全体の一部)が、圧倒的多数の無知な人たち(下層階級)」を支配するという構造になっている気もします。 繰り返しになりますが、仏教とは一部のエリートがわざと内輪でしか理解できないように教えを組み立てて、わざと他の人にはわかりにくくして、自分たちに教えを求めなければ理解できないようにしているという点で、教えの裏に恣意的な傲慢さを感じており、本当に多くの人の救済を望んでいる宗教なのかという疑念が生まれました。 皆様の考えをお聞かせください。よろしくお願いします。