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瓦版について
江戸時代の読売屋ってどれくらいの間隔で瓦版を発行してたのでしょうか?一週間ぐらいでしょうか、それともネタの生じたときのスポット発行なんでしょうか
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まず、瓦版という名称は江戸末期の京都で登場した言葉であり、本来は「読売」と呼ぶべきものです。 読売は定期刊行物ではなく、事件・災害・話題があったときに発行されるものなので、明治期に新聞が登場したことにより、急速にその姿を消すこととなります。 江戸期には読売は心中事件を取り上げることが多く、それにより幕府は発刊を禁止する措置を、たびたび行っています。後に心中よりも、自然災害や時事情報・町の話題などが中心になります。 なお、時代劇に登場するような、羽織姿で手ぬぐいを乗せ、素顔を晒した「かわら版売り」はフィクションで、実際は参考HPにあるように、粋な着流し姿で菅笠で素顔を隠し、口上を述べていたようです(役人の目をそらす意味で)。 かわら版の語源としては、「瓦で版を刷った」という説が一般的ですが、実際は木版であり、また瓦よりも木の方がたやすく彫れるので、この説は疑問視されます。また「京都の河原町で売っていた」・「役人から逃れるために川原で売った」・「瓦のような粗雑なもの」など諸説あるようです。 かわら版の名称が、泰平の江戸中期でなく、幕末期の、尊皇派・攘夷派との抗争が激しい京都で生まれたことも、何か一因があるかもしれません。
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- Willyt
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回答No.1
瓦版に限らず、江戸時代の出版業界には定期出版という概念はなかったと思いますよ。定期購読はなしだと思います。
質問者
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。参考になりました。