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昭和天皇 マッカーサーに「全責任を負う」

昭和天皇がマッカーサーを最初に訪問したおり 「私が全責任を負う」との発言がマ元帥をひどく感動させ、その後の占領政策にも大いなる影響を与えたという逸話がいろいろな本に書かれていますよね。 どうもマッカーサーはあちこちでこのことを言いふらしていたふしがあるようですが、一方の昭和天皇御自身は「男子の一言」としてお語りにはならなかったようです。 ところが最近(平成14年10月17日)日本外務省が公開した会見録には、こういった天皇発言は見当たらないと云うではありませんか。 (東京裁判がよくわかる本 太平洋戦争研究会・著) この件に関してご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただけないでしょうか。 またこの外務省の会見録というのは、我々でも見ることができるのでしょうか?

  • pbf
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Ganymede
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回答No.5

〔まとめ〕 天皇・マッカーサー第1回会見での「朕が全責任を負う」発言は、 (1) マッカーサー回想録にある。 (2) 2002年10月17日外務省公開の公式記録にはない。 (3) 2002年8月5日朝日新聞が公表した「松井明手記」によると、奥村勝蔵が削除したと、松井は奥村から直接聞いたという(奥村、松井は外務省高官。奥村はこの会見の通訳、松井は奥村の後任の通訳)。 (4) しかし、松井の言うように奥村が削除したかどうか、研究者の間でも定説がない。「朕が全責任を負う」発言自体なかったのか? 〔解説〕 浅学の私が、嵩にかかったような言い方をするのはおかしいですが、ご質問者は下手(したて)に出過ぎのようです。この件に関して、世間の俗説(マッカーサー回想録が出どころ)よりも正しい知識をお持ちなのですから。信頼性から言って、 日本外務省が公開した会見録 > マッカーサー回想録 です。マッカーサーは自分を美化する癖があり、回想録は少なからぬウソを指摘されています(回想録の訳者が、下巻366ページで次のように注釈しているそうです。マッカーサー自身、回想録を「完全な『歴史』とは考えてなかったものであり、読む方でも『歴史』として受取るべきではない」)。 ここで、ちょっと不等号を連発して、物事の大小を確認しましょう。まず、敗戦当時の日本では、 国体護持 > その他もろもろ でした。ポツダム宣言受諾が遅れたのは、米国から天皇制維持の言質を取ろうとしたからです。その間に、原爆は落とされるわ(むしろ米国は、投下前に日本が降伏しないように逆算していたらしい)、ソ連は参戦してくるわ(ヤルタ協定の秘密条項の発動)。「朕が全責任を負う」発言は、これほど後生大事だった「国体」を危険にさらすことに他なりません。昭和天皇は、言っていいことと悪いことの区別がつかなかったのでしょうか? また、当時からシビリアン・コントロールの米国においては、 大統領(ホワイトハウス高官、有力議員) > マッカーサー です(形式的には、極東委員会 > マッカーサー)。Hirohito を戦犯にするか免責するかは、マッカーサーが「感動」したくらいでは左右できず、もっと上層部(米本国)でないと決められません。 法律的なことを言うと、昭和天皇は戦前から立憲主義者で、 憲法 > 天皇 であることを認めていました。その旧憲法第3条は天皇無答責を定めています。つまり法的責任は免除ですから、天皇が「全責任を負う」と言うのは矛盾しています(政治的責任・道義的責任があるとしても、「全責任」ではない)。 要するに、「朕が全責任を負う」の話は、田舎芝居の筋書きレベルなのです。前述のように、物事の大小関係から言って、寸法が合わないじゃありませんか。もちろんご質問者はそれらを承知の上で、「事実は小説より奇なりかも知れない。虚言癖のあるマッカーサーが、真実を言ってたりして」と質問なさったのだと思いますが。 こんな安っぽい美談が、教育水準の高い日本でなぜ信じ続けられているのでしょうか。私は、白黒の古いニュース映像で見たプロレスを思い出すのです。力道山が悪役外人レスラーをやっつけるという、お決まりの筋書きでした。会場は超満員で、立派な身なりをした中年以上の男の多さが目に付きます。当時まだ日本は貧しく、さしずめ学校出のインテリなどで、会社や役所でそこそこ出世した人たちでしょう。その人たちが、「日本男児が卑怯なガイジンに勝つ」という八百長ショーに熱狂していたのです(力道山がキム・シンラクだったことは、当時知られていなかった)。 〔参考〕 毎日新聞によると、宮内庁は2002年10月24日、同庁が所蔵する第1回会見の公式記録を開示した。その内容は、外務省が17日に公開した記録と全く同一で、同省の用紙に和文タイプで記されており、同庁はカーボン紙を使って作られたうちの1セットと見ている。印字は同省所管のものよりやや薄かった。昭和天皇が自らの戦争責任を認めた個所はなかった。 前出の奥村勝蔵によると、第1回会見の冒頭は次の通り。 「初めの挨拶が一応済むと、元帥の語調がサッと変わり、演説めいた調子(相当力強キ語調ヲ以テ約20分ニワタリ)滔々とやり出した。(中略)演説口調の合の手に、私に向って厳然と『テル・ジ・エンペラー』(天皇に告げよ)といった言葉が、鋭く私の耳にひびいた」 衝撃の写真(田村譲・松山大教授) http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/potyudamu.html 昭和天皇は本格的な軍事教育を受けた人だった。天皇・マッカーサー会見は11回(1945年9月27日~51年4月15日)、天皇・リッジウェー会見は7回(51年5月2日~52年5月10日)行われた。リッジウェーはマッカーサーの後任。 天皇・リッジウェー会見(ネットジャーナル「Q」) http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no17.htm 朝鮮戦争さなかの51年5月に始まるリッジウェー会見で天皇は「(国連軍の)士気は」「制空権は」など一貫して戦況について質問。 滴水亭 http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/diary/2002_3q.htm (天皇はリッジウェーに)「目下、共産側は大攻勢に転ずる兆候はないとのことであるが、仮に大攻勢に転じた場合、米軍は原子兵器を使用されるお考えはあるか? この問題に対してはおそらく貴司令官も答弁する立場にないと言われるかもしれないが?」などと質問している(引用終わり)

pbf
質問者

お礼

そこまでくわしく解説いただいてまことに恐縮いたします。特に〔まとめ〕で教えてくださった項目がとても参考になりました。それにプロレスの例えも実に的を射ている感をお受けします。いろいろな資料をつき合わせて考えますに、敗戦から東京裁判・判決までの流れは、多分に政治ショー(儀式)の要素が強いようですね。 かといっていつ「お約束」がやぶられるかもしれない。「全責任を負う」とおっしゃったか否かは別にして、GHQ本部に乗り込んでいかれるときの陛下は、そうとうの勇気が要ったことでしょうね。

その他の回答 (4)

  • eqw-102
  • ベストアンサー率24% (93/381)
回答No.4

マッカーサー自体が、乃木マレ輔を崇拝し、 師と仰いでいました。 島国でありながら大国と渡り合う国家に 彼は、相当な注意を注いでいました。 元々、日本びいきであった訳です。 マッカーサーは、天皇を良く理解し、 親交も厚かったようです。 「天皇を死刑にした場合、 日本の治安は維持出来ない。 大暴動が発生し、現在の5倍の軍隊を必要とする。」 これは、昭和天皇と仲が良かった為に「嘘」をついて天皇をかばったのです。 また、マッカーサーの助言により、 日本の4分割、南北日本の構想も消滅しました。 >全責任を負う 私が死刑になり、この問題を解決したい。 これは違います。 >責任の全ては私にあります。 私一人が悪いのであって、 日本の責任は全て私にあります。 一億の国民や軍人は 全く悪くはありません。 こう言う人間であった事は事実であるようです。 平成天皇が、 一般庶民から皇后を選ぶ事が出来たのも、 昭和天皇の反対が無かった事が大きいです。 特に、昭和天皇の 子供の育て方(偉い、家柄、お金、) こう言う、違う方面の価値観の重視や、 風習と言う概念、良し悪し、更に行動力。 こう言う思想は 受け継がれるものです。

pbf
質問者

お礼

天皇家の持つ債券を風呂敷包みにして面会したという本まであるようですから おそらくそういう方だったのでしょうね。 有難うございます

  • donbay312
  • ベストアンサー率45% (92/203)
回答No.3

お読みになった「東京裁判がよくわかる本」はご指摘の「日本外務省が公開した会見録には、こういった天皇発言は見当たらない」というのは事実であっても、それだけで昭和天皇が「私が全責任を負う」とは言っていない証拠にはならないと思います。#2の方の回答がお詳しいですが、私も同意見です。 ちなみに、お読みになった「東京裁判がよくわかる本」を私は読んでいませんが、著した「太平洋戦争研究会」の他の本は読んだことがあります。 どうも、全て日本が悪かったという主義主張が強くて一方的に日本を責める記述が多いという感想を持ちました。 太平洋戦争研究会著の「満州帝国」という本でも、日本側が行った事実を述べるだけで、なぜ日本がそういう行動をとったのか(とらざるを得なかったのか)や、逆に日本人はどのような目に遭わされていたのかなどの考証や言及がほとんど見られなかったので、そのまま受け止めれば過去の日本は非道な民族と言う印象になってしまいそうでした。 どうも、あるイデオロギーありきで中立的な観点の会ではなさそうなので、それを念頭に読まないといけないと思います。 amazonのレビューで、「参考文献には岩波、朝日などが並んでいて、執筆者も不明確」と指摘している方もいますので、それだけでも偏見がある本と言っても良いかと思います。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569664334/qid=1149316252/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/503-0270858-3185504
pbf
質問者

お礼

昭和天皇のお人柄からいって自慢話をなさるはずはなかっらだろうと私も想像します。 レビューは「買って損した」ですか。図書館で借りた本ですのでご安心ください。

  • koon1600
  • ベストアンサー率51% (200/390)
回答No.2

この発言はマッカーサーと昭和天皇のサシの会談での出来事であったとマッカーサーの回顧録には記されています。 で、この会談の内容なのですが、わかっていません。 内容をうかがわせるものはこの回顧録程度で、ほかはいわゆる通訳からもれてきた程度でして、天皇は質問者さんの言うとおり、男子の一言、として会談の内容は語らず、マッカーサーもまた、回顧録に載せた以上のことは語らず、両人とも墓場の中にもっていってしまったのです。 つまり、どちらも意向としては内容は秘密なのです。 天皇が「これは男子の一言だから~」とでも言えば外務省も公式記録から大部分を消すなどの配慮を見せた可能性はあります(実際はどうか知りませんけど、お役所仕事というのはえてしてその程度)。 そもそも公式記録というもの自体に問題があり、あのときの会談において実際に聞いていたのはマッカーサーと通訳のフォービン・バワーズ少佐、そして副官のボナー・フェラーズ代将、昭和天皇、そして通訳の奥村勝蔵の5人です。 つまり書記などがいないのです。となればその公式記録も「奥村メモ」が元になっているのではないでしょうか?このメモにはその言葉がないことは昔から知られています。 しかし、その言葉については向こう側の通訳が「あった」としています。 どうもこのあたりに回答のヒントがありそうです。 もしかしたら、通訳の食い違いがあった可能性はあります。当時の通訳は全般的に優秀かどうかといわれると疑問符が多くつきます。通訳同士の解釈が食い違ったのかもしれません(実際に極東軍事裁判でちぐはぐな通訳になったことが多々あったようです)。 なぜなら話している当事者は言葉はわからず、わかっているのは通訳の2人だけなのですから、ありえます。 それに、会話というのはある程度食い違っても結構成立してしまうものです。 まあ、仮説の域はでませんが、参考程度に。 ただ、マッカーサーの論ではあの会談の後では明らかに天皇廃止反対に傾いていることから、あの会談においてマッカーサーの心を動かす何かがあったのは間違いないかと思われます。 参考サイトとしては2つほど・・ http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist3_6_3.htm

参考URL:
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html
pbf
質問者

お礼

公式記録とはその奥村メモが元になっている可能性がありそうですね。 詳しい解説を伺っておりますと、koon1600さんの分析なさるところが真相なのでは、という気がしてまいりました。

  • 1582
  • ベストアンサー率10% (293/2664)
回答No.1

個人的に本当に言ったか怪しいとおもいます 単に占領しやすいから天皇を殺さなかっただけでしょう この一言を言おうが言うまいが占領政策が変わるなんてありえない 天皇を残す大儀を内外に示す必要があるためにこの発言をもちだしたのでしょう 私はこの発言を見ると感動ではなく おまえそんなにすごい存在なのかよ と思ってしまう

pbf
質問者

お礼

もう60年も前の話で、しかも敗戦直後の密室会談ですので、いろいろな見方ができるのでしょうね。 ありがとうございました。

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