• 締切済み

哲学するあなたの名ゼリフ教えて!

noname#180762の回答

noname#180762
noname#180762
回答No.9

「黙れ偽善者!」「俺は知ってるぞ、優しい仮面を被って隠してるつもりかもしれんが、お前が偽善者ってことを」 哲学とは関係ないね、ごめん。 「偽善者」に「俺は実は知ってる」、「気づいていいる」などの言葉を組み合わせるとボディーブローのように効きますね。人は皆、他人以上に、自分の内面について知ってますからね(当たり前だけど)。

chihoko
質問者

お礼

●相手になげかける 言葉をボクシングのように 考察するとは 斬新!  その場を想像すると 爆です。  ご回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 仏教の基本について教えて下さい。

    これまで私は、仏教とは、仏(ほとけ)=おシャカ様(釈迦如来)=ゴータマ・シッタータといいう、「三位一体説」の一神教だと思ってきました。 ところが、うちの宗派(真宗大谷派)の本尊は釈迦如来じゃなくて阿弥陀如来だと聞いて、よく分からなくなってきました。 しかし、うちの菩提寺のお坊さんは、葬祭の時の説教でお釈迦様がどうのこうのって話をしますが、阿弥陀様がどうしたとかって話は聞きません。 他にも釈迦には、生まれてすぐ立ち上がって唯我独尊と言ったとか、極楽から蜘蛛の糸をたらして悪人を救済しようとしたとか、逸話がいろいろありますが、阿弥陀の逸話は聞いたことがありません。 如来になる前の釈迦がシッタータであったように、如来になる前の阿弥陀はどんな人だったのでしょう? そもそも、如来って「悟りを開いた仏」のことだと聞いたことがありますが、このほかにも大日如来、薬師如来などいろんな如来があるようです。 また修行中の仏が菩薩で、こちらも弥勒菩薩や地蔵菩薩など何人もいるようです。 つまり、シッタータを初め様々な「仏」がいて、修行してある者は如来になり、ある者は未だ菩薩だということでしょうか? そうなると、結局仏教って多神教なのでしょうか? あるいは如来や菩薩という称号、それを併せた仏という称号も、キリスト教の聖者(セイント)にあたり、どれも人間である、つまり仏教は無神哲学ということになるのでしょうか?

  • 阿弥陀如来と大日如来

    釈迦如来は俗に言うお釈迦様なので理解できるのですが、なぜにその上に阿弥陀とか大日を作ったのでしょうか。キリスト様の上にゼウスを作るのと同じと思うのですが、それゆえに観念的で理解しずらいのです。 個人的にはお釈迦様の教えやキリスト様の教えで良いと思うのです。権威を高める効果よりも権威をおとしめる効果の方が強いと私は思うのです。また孔子様の上には居ないと思います。なぜなのでしょうか。

  • あなたが聞いた 「○○説」をおしえてください。(宗教以外)

    こんにちは。 今年に入ってから、非常に独創的というか電波というか、自分のような 凡人は理解に苦しむ「○○説」を盲目的に信じる人にたて続けに遭遇しました。 例を挙げますと、 自分の人生はある数字によってコントロールされている 世界にはマトリックスのような第二現実がある 文明の起源は日本のとある県で、キリストも釈迦もアブラハムもヒンズーの神様も日本で生まれた などなど。 当初は「この人なんかオカシイ」とか思ったのですが ここ最近、そういった人に何人も遭遇したため、 実はこういう傾向の人間は以外に多いのかもしれない と考えるようになりました。 そこで質問です。 あなたが今までに耳にした「○○説」で、面白かったもの あるいは記憶に残ったものを教えてください。 なお宗教関係の話は除外します。(団体哲学であるため)

  • ブディズムの再生はあるか。

     ブディズムの再生はあるか。  ( a ) 《信仰》という一人ひとりの動態においてしかないのではないか?  ( b ) 《神を信じない》つまり《無い神を信じる》つまり一般に《信じないと信じる》という類型の信仰を持つと確認することから 再出発することではないか?  ( c ) なぜなら マハーワイローチャナ(大日如来)やアミターユス(阿弥陀如来)とそれぞれ名づけられた《神とその信仰》が やはり類型的に 上の無神論なる信仰と同等にあり得ていると考えられるから。    *  ( d ) 有神論および無神論それぞれとしての信仰を 類型的にまとめてみます。互いに同等であると見るというものです。  |非経験の場|経験世界の分身|信仰の形(非思考の庭)|  ○ 神道  |かみ|かみがみ|もののあはれを知る;きよらかなおそれ|  ○ ヒンドゥーイズム  |ブラフマン|神々|アートマンなるわれ|  ○ ブディズム  |空|神々|如来蔵(信じないと信じる)|  |マハーワイローチャナ|マンダラ|秘密なるわざ|  |アミターユス|無し|絶対他力;自然法爾|  ○ 聖書  |ヤフヱフ|無し|名を受け容れる|  |キリスト|無し|名を受け容れる|  |アッラーフ|無し|クルアーンに拠る|    ○ 西欧古典古代  |宇宙霊魂;世界霊魂|神々|《わたし》|      *  ( e ) 《神》とは何か? また《信じる》とは どういう経験行為か? を問うことにもなるかと思いますが。  ( f ) ブディズムは もし死んだのなら 葬送の儀礼をしておくとよいと考えられますか?

  • 真の教えとは?皆さんはどう思いますか

    私の家系の宗派は、仏教の浄土真宗大谷派です、通っていた学校は仏教系で曹洞宗の学校でした。兄が通っていた学校はキリスト教のギリシャ正教でした。親戚に日蓮宗の方がいて、近所の知り合いに天理教の人もいます。 何を言いたいかと言うと、いろいろな宗教、宗派がありますが、あなたは数々ある宗教の中で何が一番の宗教だと思いすか。 私は宗教家ではありませんが、キリスト教の聖書を読んだことがあります。学校で簡単な仏教の勉強もしました。どれもすばらしい教えを説いていると思いました。結論を言うと宗教とは、どれもすばらしい教えであると思いますが、私は真の教えを説いた宗教はこの世にないと思っています。皆さんに怒られると思いますが。 前にも何回かこのカテゴリーで言ったことがあるのですが、宗教とは哲学であり、人が生きていく上での道徳学で、生きていく支えの一つである。逆を言うと、その一つでしかない。要するに全てではないと思っています。 それと、宗教とは死んだ先祖と、これからいつか死ぬ自分と、これから生まれてくる子孫の関係が正しくあるべき姿を説いたものと思っています。 この宗教こそが全て、といた宗教にのめり込む事ほど恐ろしく、おろかな考え方はないと思っています、宗教は生きて行く、死んで行く為の全てではないはずで、たとえです。 釈迦が仏教を興して2500年、キリストがキリスト教を興して2000年、起源はすばらしい、だかこれまで、長い時間がたち沢山の宣教師、伝道師に受けつながれて行く内に、だんだん真が風化し、悪くなり、また是正され今に至った。 仏教の末法思想やキリスト教の世紀末は、長い月日の教えの風化を表しているのでしょう。 真の教えはあるのでしょうか。 ある意味、不信心で典型的な門徒者知らずの言いたい放題で申し訳ありませんでした。

  • イエスは救世主たり得るか?

    イエスが救世主たり得るためには、イエスの教えを受け継いだ人がこの世を義なる者で満ちた世界にしなければなりません。 哲学では「神は死んだ」とか「人生は苦である」とか「宗教はアヘンだ」とか言いたい放題です。 イエスは命を賭してこの世を救おうとしたのです。我々は他の哲学者や宗教も学ばねばなりませんが 折角ここまで広がったキリスト教の救世主イエスを男にしなければ 今までのクリスチャンの祈りは何だったのでしょうか? 私は1年だけカトリック幼稚園に通いました、キリスト教の勉強も幾らかしました。 仏教でもイスラム教でも無神論でもいいのですが みんなで誰かを担がなければ、世界はひとつに纏まらないのでは?それとも全体の意識が上がるまで待つのですか?それで間に合うでしょうか? 日本はキリスト教国ではありませんが キリスト教国じゃなからイエスなんて知らんよ では何時まで経っても我々は救われないのではないでしょうか? 産めよ増えよちに見てよという教えは、人口爆発で裏目に出ました。 しかし「汝の隣人を愛せよ」「汝の敵を愛せよ」という教えは大切だと思います。 それなのにどうでしょう?アメリカはアジア各国で累々と死人の山を作ったのです。 日本人は300万人死にました。朝鮮では?ベトナムでは?アフガンでは?イラクでは? キリスト教国アメリカが 原爆を落とし代理戦争をさせ 大量破壊兵器を疑って殺しまくったのです 大量破壊兵器はありませんでした。 おお神よ 神も仏もないとはこの事です。 いま日本はそのアメリカに追従しようとしています。日本はアメリカを諌めるべきでは? アメリカと戦って分かった戦争の愚かさを我々日本人がアメリカに教えねばならないのではないでしょうか? アメリカはキリスト教国です。イエスを担げば動きます。オバマさんじゃ動かない。 みんなでイエスを担いで キリストにしてはどうでしょうか? みなさんはどう思いますか? キリスト教国はほかにも沢山あります。我々日本人が担げば仏教やアジアや無神論者ともつながるでしょう。 やりませんか?怖いですか?私は病人ですがやる気まんまんですよ^^

  • 滅びる者にとっても キリストの良い香りと言うのは

     どうしてか?  次の文句をどう解釈するかを問います。  ▲ (パウロ:コリントの信徒への第二の手紙) ~~~~  2:15 ・・・救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。    2:16 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ( a )  《救われる者には命から命に到らせる香りである》のは分かるとして 《滅びる者には死から死に到らせる ≫良い香り≪ である》のは どういうことか?    ちなみに いづれの場合にも 《キリストを知るという知識の ≫良い≪ 香り》(2:14)であるようです。同じ《香り》であるようです。  ( b ) 《滅びる者》あるいは《死から死に到らせる》というのは どうも 十字架上のキリスト・イエスから目を離す人びとを言っているのではないか?  その意味は 神をではなく 無い神を心に抱く人びとのことではないか?  ( c )  《滅びる》とは 《有る神が滅びる》という言葉による表現上だけの問題であって そのような別様に(十字架から目を背けて背中越しに)キリストを見る人びとは いわゆる無神論の信仰を抱く者として その信仰によって救われる。こう言っていまいか?  ( d ) したがって《死》も ただ表現上の問題であって 十字架上から目を背けることを言うのみではないか?   ただ もし多少とも《死》とかかわりがあるとしたなら それはそのように目を背けたあと 神も無い神もいづれも抱かなくなった場合 そうすると きわめて相対主義的な顔も目鼻もないのっぺらぼうの思想(生活態度)によって生きることになる。これは《死》か?  ( e ) 《良い香り》が そのような生活における慣性の法則にしたがうような心のくせを死に至らしめたことになる。  いわゆる独我論は この良き香りによって(あるいは 酔って)みづからをみづからが殺したその結果である。のではないか? つまりそれが《死》の事例か?  やや特殊な主題ですが 哲学として問います。ご見解をお寄せください。

  • 名ゼリフを作ってください。

    皆さんの知恵を借りたいっす。 「復讐は蜜より甘い」なんてセリフがありますが、 この様な感じのセリフを「裏切り」という言葉を使って、うまい具合に考えてください。 若干、急ぎです。

  • 名セリフが思い出しません。

    確かカサブランカでのワンシーンに『そんな昔のことは忘れた。そんな先のことは分からない』というセリフが吐き出されましたがもっと詳しく分る方いらっしゃいましたらお教え下さい。又映画に限らず何か名言集みたいな本がありましたらタイトルでも教えてください。

  • 名セリフ

    お好きな名セリフを2つくらいまでで教えてください。ジャンルは問わないです。追加回答も構わないです。よろしくお願いします。 ※お礼が遅くなりましたら大変申し訳ありません。