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現代人は正義と神様が嫌い?

bo-sukeの回答

  • bo-suke
  • ベストアンサー率23% (58/242)
回答No.4

この何度も議論されてきた件に関しては言いたいことがあります。 No.1さんと論争する気は毛頭ないのですが、 私は正義と言うものがそれ以上に邪険にされすぎている気がしてなりません。 困っている人を助けて何がいかんのでしょうか。 もちろん、単純に助ける行為は実は良くないことなのです。その助けられた人は助けた人間を信用します。信用された人間はまた困ったときに助けを求められるわけです。ということはこれは助けられる人にとってあまり良くないことになります。自分で問題を解決しようとしなくなることになりますから。 じゃあだからと言って、助ける人間を偽善者と言っていいことにはならないでしょう。 助けようとしている人間はそれがどういう結果につながるかを良くわかっていないからこそ安易に助けようとするわけですから、そういう人を説得したいなら偽善者と言わずに、「助ければ次も請われる」と説明するべきなのです。 つまり、正義をあまりに重んじすぎ周囲に迷惑をかける行為がメサイアコンプレックスであるならば、それに対して偽善者と言う言葉を安易に使う行為もまた、「偽善に対する畏怖とそれに従った跳ね除け、コンプレックス」の側面を帯びているのです。 とにかく、他の人間が通常正しいとされている行為に対し異論の表明をするのは、自分が過去に期待を裏切られた事例が存在し、それが彼や彼女の心のわだかまりとなっているからです。また同時にただ単純に正しい行為をすればいいというものでもないというのも彼らの経験を元に真実と述べていいことでしょう。 したがって、正しい行為をするには、まずその正しい行為が真に正しいか、良く考える必要があります。次に他人の目を気にしてはいけません。自分の責任の下に行い、裏切られても自分で責任を負わなければいけないのです。 私も以前に、正しいことをして裏切られたことがあるのですが、とあるクラスメートに、普段は話を持ちかけられないのにノートを貸して、そのまま戻ってこなかったことがあります。そのクラスメートに後で催促したら、無くしたとか笑いながら言っていました。 もちろん誰も慰めてもくれませんでしたよ。あんな胡散臭い男に渡さなければ良かった、が彼らの答えでした。最初は酷い世の中だと思いました。でも何度もそういったことを経て、そう思っても仕方ないか、とも思うようになりました。そうしないと身を守れないのです。偽善者などと口に出すのは自分のやっていることが間違っていないことを確認したいからです。でないと不安になるから。・・・でもね。私は自分があの時人を信じた行為自体が間違っていたとは、未だにどうしても思えないのです。 この私の事例を見て、それでも正しいことをしたいかどうか、ということです。最近は私も減ってきましたが、それでも正しいことが起こると信じて、たまにやってみることがあります。・・・この年にもなると周りも大人びて。最近は負け続きです。 ここからは私も答えは分かりません。自分でその場その場一つ一つ答えを出していくしか、無いのだと思います。裏切られても信じるか。裏切られることを恐れて財布の紐をきっちり締めるか。それとも上手くその場その場で吟味して、そのつど答えを出していくか。 どういう生き方をしたいかは、自分で決めてください。皆馬鹿かとは言っても、止めたりはしません。止められません。 正義を丸投げにしたくない人のための回答だと思ってください。

noname#72832
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 安易に助けるのも良くないんですか…再び頼られるのは別に良いんですが、本人のためにならないのは考えものですね。 私も裏切られたことはあります。いわゆる借りパクでした。 悔しかったですが、「結果として彼女は私の信用を失い、今後私が彼女に与えられたかもしれない利益も失った。さらに他の子の信用も落ちた。良い気味だ」と無理に納得しました。(ひねくれてますね) 本心からの行動を裏切られるのはキツいので、最近では何かと理由を付けて行動しています。

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