• 締切済み

自ら死を選ぶのはよくないことか?

summer_lunchの回答

回答No.12

去った者に代わって私が、皆の耳に届くように、大声で言います。 現代社会において、のうのうと、霧に包まれたようにぼんやりと暮らしている、より多くの人たちには、その苦しみはわかりません。非情な話だと思います。人の気持ちもわからないんです。そのような人たちのなんてかわいそうな事ですか?自分の実の傷の痛みも知らないからです。 何故死ぬ事を悪いとするのでしょうね。何故、生きることは正しく、死ぬ事は避けるべきものと考えるのでしょう。死ぬも生きるも、命なんだと皆わかっているのに、。 善いか悪いかを論ずるのは問題外です。「自殺する」。この行為があると言うこと、自殺という行為をそのまま見つめなければ、自殺は見えません。 わたしはそう思います。 私は、ジョンレノンのように、イエスなんて信じない、仏陀なんて信じない、ジンマーマンも信じない、ビートルズなんて、信じない。信じるのは、僕とヨーコだけ。 という姿勢に、涙します。 又、彼はいいます。頭の上には円碧な空があるだけ。天国などないんだ。   当たり前です。頭の上には空があり、空を越えると、深く輝く宇宙空間があります。天国は、指で指し示すようにあるのではありません。それぞれの、人の、中にあるんです。天国がないわけがない。イエスを信じなくても、仏陀を信じなくても、ヨーコと僕を信じなくても、天国は、実に、その存在の中にあります。上(天国)から来たという、上とは、中のことです。光とは、中のことです。影の中の、光を知るべきです。その光が、「隙間無く輝る光」といわれたことの・意・味・を、知るべきです。 ジョンは天国を知りませんでしたが、天国にいました。 天国にいない者は天国を求めるべきで、すでにいる者は、それを知るべきです。 それを知る事で、天国への門が広くなるからです。それを慈悲といいます。 自殺者とは、霧に包まれて生きる現代人60億人のことです。 つまり、より多くの皆は、すでに自殺しています。二度と死なないように気をつけるべきです。   イエスの行為は自殺行為ですか。日蓮の行為も自殺行為ですか。 それは、生きるための死です。命は命でのみ生きる。彼らの自殺が、かほど生きることなのか、。尊い行為とはこういう行為です。 ーーーーーーーー以上回答ーーーーーーーーーー以下余分ーーーーー 身近な話をします。 しかし、彼女は何かおかしいと感じ、ある日お姉さんの日記を見てしまいました。そこで初めて自分が白血病にかかっていることを知るのです。  彼女は悩んだ末にこの深夜番組に相談してきたのであります。それから何回かこの番組に電話で出演しておりましたが、残念な事に、彼女は発病から一年後の十八歳の時に亡くなりました。  その話の中で自分ので死期が近いことを知った彼女は、「もし自分が死んだら、このテープを番組に送って欲しい」と、死ぬ三日前に自分でテープにメッセージを録音して、親に託したそうです。彼女は、放送では滅多に苦しいとか悲しいとか言わず、いつも明るく振る舞っていました。  しかし、テープの中で彼女は「死にたくない」と初めて自分の本心を切に訴えておりました。また 「今、自分の勝手で自殺する人がいます。その命を私にください。御願いします。」 それを聴いたとき、私は涙が止まらなく、やるせなさと、今まで自分が深く考えた事のなかった命とは、こんなに大切なものなのかと考え込んでしまいました。  また、彼女の親から送られてきた、彼女の日記にはこのように書かれております。       「私は老いていきたい。老いるという人生を歩んで行きたい。」   傲慢とはどういう姿勢でしょうか。

noname#4470
質問者

お礼

上半分は抽象的で意味がつかめませんでした。 下半分は、代表的な前向きな明るく果敢に困難に立ち向かう、理想の人物のように見えます。アンネ・フランクを彷彿とさせますね。 みかたをかえるならば、すべての難病患者が彼女のように明るく前向きであれば、 このような話は普通にあることでクローズアップされることはないでしょう。  つまりは難病であってさえ、彼女のように強く生きられる人間は数少ないということです。彼女の18という若さもこの話をイメージ強くします。 彼女の人生経験では老いの恐怖は理解できないでしょう あるいは、若さ故の死の恐怖が生へ望みを強くした。生への恐怖が理解できなかったとも考えられます。 summer lunchさんの回答には、自殺を容認されない確固たる理由が出ていません。理想論や天国論は不必要です。 例えばあなたが、強い苦痛を伴い、全身を動かすこともできぬ難病にかかったとします。パイプやチューブで酸素と栄養剤を送られる日々がこれから何年も何年も、老衰で死ぬまで続く。難病認定で医療負担は少なくなるものの、月に数十万円医療費として必要だ。風呂場を改造するのに100万ほどかかった。家族は介護に疲れているのが痛いほどわかる。夜は数時間ごとに体位返還をしなくてはならない。 痰が絡むので吸引を頻繁にする必要がある。あなたに必ず誰か付き添う必要があるので、家族でローテーションを組み、必要であれば誰かが会社を辞めることになるかも知れない。最近、家族のあなたを見る目がちがってきたように思う・・・ オランダであれば尊厳死を認められるが、この国ではまだ認定されない。あなたは他人によって強制的にひたすら生かされるしか選択がない。このような条件でも生を望みますか?  あるいは、これがあなたの愛する人であればどうでしょう?生のために生かす事が、その人の為なのでしょうか?苦痛にのたうち、失禁脱糞、血反吐を吐いてもがき苦しむ愛する人の姿を、みたいですか?   世の中、家族が助け合って暮らすのは理想ですが、離婚率を見ればそのような家族はきわめて少ないのが現状です。

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