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藩と特産品回送
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こんばんは 江戸時代の海運として、酒田から発して津軽を経由し、三陸沿岸を南下し江戸に至る「東廻り航路」を利用して輸送していました。 各藩とも、財政増収を図るため特産品は「専売品」として重要でした。 何処に回送されたかは、すみません正確には分からないんですが、定期航路の大型船の停泊地は、佃島付近を中心とする「江戸前」で、ここから艀によって各藩の「物揚場」に運ばれました。(物揚場とは、各大名が設けた荷揚施設で、そもそもは江戸城築城の資材の揚陸地をさしました。) この物揚場には、各大名が下屋敷と倉庫をおき(出入り業者を介して)特産品の管理・販売にあたりました。 物揚場や倉庫の場所は、江戸湾埋め立てによる江戸市街地拡大とともに変化していきますが、明暦の大火後の江戸市街地再編によって、河岸・物揚場にあった倉庫は、ほとんどが本所・深川地区の水辺に移されたそうです。 御参考までに
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酒田から江戸に回る東回りもあったのですね、どうもありがとうございます。参考にします。