• ベストアンサー

英語圏の人たちの表情が極端なのはどうして?

テレビなどを見てもそうですが、英語をしゃべる人たちは顔の表情の動きやジェスチャーが日本人に比べて激しいように思います。 私はこれを言語的な理由があると思うのですが、この考えは正しいでしょうか? 英語圏の人たちの表情が極端なのはどうしてなのでしょうか? 専門的意見も個人的意見も歓迎です。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.7

Gです。 補足質問を読ませてもらいました。 遅くなりすみませんでした。 >2番目にご回答いただいたamiigonnさんのご回答にもあるように、あるフランス人女性の方は言語の性質の差によってジェスチャーなどの必要性も変わると証言しています。 これはその人個人の感想・せりふであって英語をしゃべる人すべてが心底から感じている(いわれてみてやっと考えるレベルであっても)いることではないと思います。 もっと人間性が伴っているはずだと私は思うわけです。 それが、人間社会と言う非常に複雑な環境からの「影響」によるものだと私は感じるわけです。(#4で書いたことと同じです) このカテで時々見ますが、おかしな言葉遣いをする回答を見るときがありますが、匿名の社会だからできることであって、人前でするような表現ではないでしょう。 何故って、そのようなしゃべり方をしたらその社会での「反応」がいいものではないということを知っているはずだと思うわけですね。 (もっとも、そのようなことも知らない人なのかもしれませんが) また、職場で上司にそのようなしゃべり方をしたり、誰かに何かをしてもらいたいときにそのようなしゃべり方をしたらとてもしてはくれないでしょうし、街中で「ある社会の人」にそのようなしゃべり方をしたら「夜道は暗いよ」だけではすまないことにもなるでしょう。 ひとつの例としてあげましたが、「悪い反応」を心配しない「匿名の社会」だからできることで、普通の社会ではその社会の「暗黙の決まり」に従ってしゃべり方、態度・姿勢などを「要求」され、それが、今回の表情と言うことにも影響しているのだと私は信じるわけです。 >それに、日本語は感情や個性の表現にすぐれていると聞きます。 これはほとんどの近代言語で言えることだと思います。 日本語の母音の数が少ないと言うことからひとつの発音のに広い幅を持たせても通じる、と言うこともあるでしょう。 また、逆に感情や個性の表現が優れていると言っても、社会がそれを支配すると言う「昔ながらの」事実からしてみれば、「その社会に応じていろいろな表現を知らなくてはならない」と言うことになり、それ自体が常識の一部として認識され、上に書いたようにおかしな表現に対しての人格的判断も下されることになり結局本人にとってよくないことがおきるわけですね。 これは「私」の意味を持つ表現だけでも、それらの表現に伴う社会的に求められた・認識されたフィーリングがあるため、このカテで「俺は」と言う表現を使えばそれなりに「回答自体の評価につながる」と言うことになるわけですね。 だからこそ、英語を習い始めたときに日本語の警護についての質問も当然出てくるわけです。 丁寧な表現は良い、下手をすると、正しいと言う人も出てくるわけです。 表情と言うことから少しはなれてしまったと感じるかもしれませんが、表情が表現方法のひとつと考える私としては、言語がそうしているのではなく社会がそうしているのだということを書かせてもらいました。 >Ganbatteruyoさんは日本語と英語を両方体得されている方だと思いますが、英語と日本語をしゃべる時を比べてみて、英語をしゃべる時は相手に感情を伝えにくいなどの感覚はありませんか? 私が思うには、英語では言語的性質から感情を相手に伝えにくいから、ジェスチャーや眉の動きなどをオーバーにして表現しきれない部分を補っていると考えています。そんな感覚はないでしょうか 私にとって英語はしゃべれれば良いと言うレベルではないのです。 日本語はしゃべれれば良いというレベルです。 英語では日本語に多い「あいまいな」感情の表現が少ないですね。 本音の感情を感じるのは日本語の方が難しいです。 もっとも私の場合は英語と言う言葉を媒体としてアメリカ人以上のことをしなくてはならないという立場から言葉の技術的なことは知識の一部にしなくてはなりません。 文法と言う「分類学的解釈」を何故私は遠のけるのかお分かりだと思います。 大雑把に物事を分け始めそれを「頼り」にしていては言葉からの「判断」はできなくなるのです。 判断ができなくては私がしているようなことはまったく無理とも言えるでしょう。 しかし、上には上がゴサマンといます。 彼らから前向きにその技能を吸収し続けることは必須ともいえるでしょう。 つまり、人間の持つフィーリングを表現できなくてはその言語には「疎い」と言う結果になってしまうということを身にしみて経験しています。 だからこそ、このカテで、英語を使いこなせるようになりたいなら(試験英語ではなく)フィーリングと言うものをもう一度見直さない限り夢は達成しないとまで私は言うわけです。 ではまたの機会に(そのときは私の日本語はよくなっているかもしれません<g>)

tenketu
質問者

お礼

二度目の質問に答えてくださってありがとうございます。 実はちょっとした論文を書いていたのですが、おかげさまでたくさんの誤った記述の発見ができました。そして新たに書くべきことまで見つけることができました。 力を貸してくださってありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • amiigonn
  • ベストアンサー率45% (84/185)
回答No.6

#2ですが、 「英語ではフランス語ほどにはニュアンスの違いを語法で表すことができないので、イントネーションや言い方、表情や身振りも含めて・・・」これはフランス語を勉強しているが、まだそれほど使いこなしているわけではない一人のアメリカ人の個人的な「感想」で、専門家の意見でもなくほかのアメリカ人がみな同意するとも思えません。 単に彼女は、「フランス語は複雑な文法でニュアンスの差異をあらわせるなんて素晴らしいですね」とお世辞か、あるいは皮肉を言ったのかもしれないですし。 私は今は日常的には英語もフランス語も使わないですが、先日街でATMの場所を英語で教えてあげたことを思い出しました。 「日本以外で発行されたカードでの現金引き出しなら、日本では普通の銀行ATMでは使えないので郵便局へ行かないといけなくて・・」などといつもの単純な道案内よりも話が長くなったので、そのときの状況を覚えています。 みょうに口の形をはっきりさせて自分が発音していたことと、声の出し方も違っていたと思います。ふだんより「言葉をはっきりと発音する」ようにしゃべっていました。 日本語ならそんなしゃべり方をしたら変、みたいな身振りもしていたかもしれません。 日本語が「感情や個性の表現にすぐれている」のではなく、むしろ日本語でしゃべると日本社会で善しとされているような「感情や個性をあまり表にださない」話し方になるのではないか、あるいは日本語は感情や個性を表現するのが下手なのではと思います。 日本語を話すときは、本当ならもっと簡単に「私はそれは嫌いです」と言いたい場合でも、そんな言い方をしたら「わがままで自己中心的な人だ」と思われないだろうかと、婉曲的に断る。泣いたりわめいたりしたくても、そうはしない。そんな態度が身についてしまっています。

tenketu
質問者

お礼

たびたびの回答ありがとうございます。 どうやら、一概に結論はだせない、という気がしてまいりました。

  • echalote
  • ベストアンサー率51% (66/129)
回答No.5

前の方々と共通する意見になるかと思いますが、日本では暗黙の了解ということがたくさんあります。言語的にも、主語を使わなくても、話していることが、「わたし」のことなのか、「わたしたち」のことなのか、「あなた」のことなのか等、誰のことを話しているのかがわかります。 私はフランスに長く住んでいますが、フランス語でも英語と同じように、ほぼ必ず主語を入れないと、文になりません。そういう文法的意味からも、自分自身の主張をはっきりいわざるを得なくなり、それにともない顔の表情も激しく変わることもあるかと思います。また、言語によって、子音や母音の数も違ってきますし、発音する音によって息の出し方、吸い方、口の中で使う場所や、使う顔の筋肉も変わってきますよ。そんなことも、表情の違いに関係するかもしれませんね。 また、言語だけでなく地域による違いも出てくるかと思います。例えば、フランスでは北の人より南の人の方が、ジェスチャーも大きかったり、話すスピードも速かったり、アメリカではどうでしょうか。 いずれにしても、生活している社会の影響が大きいのは確かで、私もフランスで生活するうちに、フランス人と同じジェスチャーを使うようになりました。 「英語では言語的性質から感情を相手に伝えにくいからジェスチャーや眉の動きなどをオーバーにして表現しきれない部分を補っていると考えています。」というご意見ですが、日本語と比べてしまうとそう言えるのかも知れませんが、英語だけで、あるいは他の外国語だけの世界で、生まれた時から育ったとしたなら、その与えられた言語で感情の表現の仕方も習得するわけで、もちろんその人たちは感情が伝えにくいと言う感覚はないでしょうし、日本人同士で日本語でしゃべっていても、感情が伝わらないことも多々ありますよね。また、2ヶ国語以上ある程度話せる場合、日本語より外国語の方が率直に自分の感情を伝えやすいと言う場合もあるかと思います。 英語圏の話でなくてごめんなさい。お考えの参考になればと思い書きました。

tenketu
質問者

お礼

回答ありがとうございます >言語によって、子音や母音の数も違ってきますし、発音する音によって息の出し方、吸い方、口の中で使う場所や、使う顔の筋肉も変わってきますよ このところがたいへん参考になりました。

回答No.4

アメリカに37年半住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 はい、言語的な理由があります。 しかし、言語歴史的ではありません。 使われている言語の社会に影響されていると言う言語的と言う意味です。 英語だから、アメリカ人だから、と言う事ではなく、アメリカ人のほとんどが顔の表情の動きやジェスチャーはフィーリングを伝えるためのものであり言葉と一緒に遣うもの、と言う社会に育って生きているからと言う事なのです。 ですから、このカテでも何回も書きましたが、英語を習うときに文字だけでなく、発音だけでなく、イントネーション、顔つき、口調、ジェスチャーと一緒に習いなさい、そうでないと英語として支えないときがありますよ、と。 だからCDよりもDVDで英語を勉強してください、と言うわけです。 この社会の影響と言う事は変化する社会ではその変化も言語的に影響を与えます。 例えば、昔から結婚式では喜びを表すな、といわれてきましたね。 しかし、いつの間にか、うれしいはずの式場では当然そのうれしさを出している人が増えましたね。  逆にアメリカに来てジェスチャーやしぐさを覚えた人が帰国し日本でそのジェスチャーもするとおかしく感じますね。 しかし、これが多くなり、社会的にも定着してくればそれなりに体全体での日本語表現方法と言うものも変わるわけです。 その逆がこちらでも起こっています。 ご存知かもしれませんが、私はこちらで空手を教えています。 「神妙さ」を尊ぶ道場の雰囲気では普通どおりの素振りや顔つきをしないで英語をみんながしゃべります。 これは、茶道や華道をしている人たちもその状況では「同情と言う社会」の基準に基づいて言語を使います。 ひとつの躾、つまり、その社会での「育ち」なわけですね。 つまり、日本でもアメリカでも顔の表情をどのように大人の人たちはしているかと言う事を自然に子供の頃から習得して言っていくわけですね。  また、同じ日本でありながら、ラップなのの歌手たちが歌っているときの顔の表情をどうでしょうか。 同じ日本人でありながら、その社会での基準になっているのかは私は知りませんが、結構アメリカ人以上に顔の表現が豊かです。 顔の表現を言葉の表現と重ねない事を美徳としてきた日本では、つまり、顔の表現が言葉の表現の一部としていなかった日本での社会が逆のアメリカではその社会的文化がなかったということに過ぎない、と言う事なのですね。 しかし私はこの「押さえつけられてきた体での表現」は他の押さえつけられてきた「人間だから出来る」社会的束縛とも言えるもろもろのことはもう既に戦後から始まってきているように減少していく道を歩んでいると思い、また、遠くない将来には日本語も多くの所(社会)で自由に顔の表現を「激しく」しても誰もなんとも言わない時代になると信じます。 つまり、文字による言葉の表現だけでは十分な表現とはならなく「あいまいな日本語表現」からフィーリングを「読み取る」と言う「面倒くさい」事をしたがらなくなっていくでしょうね。 結局、「はっきり言ってもらった方が楽なのよね」と言う愚痴がだんだん少なくなっていくと思うわけです。 と言う事で、子供の頃からの社会的影響でほかの人と同じことをすれば誤解がなくなるということを習ってきたからご指摘のような事が起きていると言う事です。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

tenketu
質問者

補足

たいへんわかりやすかったです。 要するに子供が周囲のマネをするのだということがわかりました。 ただ、せっかく37年もの間アメリカ暮らしをしている方なので、あなたの感覚について質問させてください。 2番目にご回答いただいたamiigonnさんのご回答にもあるように、あるフランス人女性の方は言語の性質の差によってジェスチャーなどの必要性も変わると証言しています。 それに、日本語は感情や個性の表現にすぐれていると聞きます。 Ganbatteruyoさんは日本語と英語を両方体得されている方だと思いますが、英語と日本語をしゃべる時を比べてみて、英語をしゃべる時は相手に感情を伝えにくいなどの感覚はありませんか? 私が思うには、英語では言語的性質から感情を相手に伝えにくいから、ジェスチャーや眉の動きなどをオーバーにして表現しきれない部分を補っていると考えています。そんな感覚はないでしょうか? 私がこの質問たてたのも、これを確認するためでした。

回答No.3

この質問は裏を返して言えば、 「日本人の表情は、  英語圏の人間に比べて変化がないのでしょうか」 ということになります。 この視点から考えてみると、 解りやすいのではないかと思います。 様々な言い方があると思いますが、 日本人は感情を表に出さない事を美徳だと、 無意識的にたずさえている民族です。 …といったような事がよく言われます。 どっちが優れているかという考えはともかく、 思いを伝える為に、 わざわざ表情に出さなくても以心伝心できる、 感情を出さなくても、OKな社会なんですね。 英語圏に限らず、韓国などは、葬式の時に泣くのが仕事の人がいて、泣く時は、わんわんと、感情を隠さないで泣く人がいます。泣くと言う感情表現は他人に理解されないと、意味が無いものだという考えを持っていて、泣きわめかないと感情を伝えた事にならないので、泣く時は泣くというように、表情を大切にしているんですね。逆に、日本人は泣くときは、普通はしくしくと泣き、わめくように泣くのは、みっともないイメージに感じる人もいるのではないでしょうか。 葬式の時、わめくように泣く未亡人と、目じりをハンカチで押さえて静かに泣く未亡人、どっちが美か?(…すみません変な例えで)といったような、長年にわたる感性や習慣でうかがい知ることができるかも。

tenketu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 詳しい説明をどうも。 それから、 >韓国などは、葬式の時に泣くのが仕事の人がいて、泣く時は、わんわんと、感情を隠さないで泣く人がいます。 これトリビアにだせそうですね

  • amiigonn
  • ベストアンサー率45% (84/185)
回答No.2

フランスにいた時のことですが、フランス語の文法の時間にアメリカから来ていた女性が「英語ではフランス語ほどにはニュアンスの違いを語法で表すことができないので、イントネーションや言い方、表情や身振りも含めて気持ちを表現することになる」のようなことを言っていたのを思い出しました。 なるほど、とその時は思いましたがそれだけでは説明できない部分もあります。 たとえばアメリカ人に比べるとイギリス人はそれほど表情豊かには思えないのです。 英語圏のなかでもアメリカは多種多様なルーツを持った人たちによって作られた社会なので、異なった文化的背景を持った人たちと円滑に暮らしていくために、表情が重要な要素になったのではないかと思います。 日本人は別の文化的ルーツを持つ人たちと接することなく暮らしてきたことと、感情を表立って外に出すことが善しとされていなかったので、比較するとその差異がよりはっきり感じられるのではないでしょうか。

tenketu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 アメリカの女性の言葉、たいへん参考になりました。

  • norikunny
  • ベストアンサー率21% (256/1168)
回答No.1

英語はヨーロッパで発達した言語ですが、ご存じの通りヨーロッパには複数の民族や国家がモザイクのように入り交じり、昔から他の国や多言語民族との交流が盛んでした。 つまり日本の様な閉鎖的で単一言語を所有する国家と異なり、日常会話も満足に話せない人たちと日々意思疎通を行う必要が歴史的にずっといまも続いています。 その為に、自分の意志や感情を言葉を補う意味も含めて顔の動きやジェスチャーで表現する文化が育ったのだと思います。

tenketu
質問者

お礼

そうでしたか・・・ 英語は日本語に比べて感情や個性を表現するのに優れていない為に、それを補うために顔などの表情の動きが激しいのだと思っていました。 いずれにしても回答ありがとうございました

関連するQ&A

  • ジェスチャーや表情について

    英語圏の人々は会話する際にジェスチャーを多様したり、顔の表情豊かに話しますよね。 ほかにも日本人と比べるとアメリカの方は横揺れで、日本人は縦ゆれで話すとかいうことも聞きます。 このように日本人同士や英語圏同士の人々のコミュニケーションには多くの違いがあると思うのですが、 ほかにもあるのか気になります。あれば教えてください。 さらに、どうしてそのような表現方法や習慣があるのかもわかれば、教えてほしいです。

  • 表情について

    自分の表情について悩んでいます。 現在大学3年生です。 私はもともと無表情で、ロボットのようだとよく言われます。感情が無さそうだとも言われました。 談笑していても一人だけ笑っていないと指摘され、いや、楽しいよ、笑ってるよと言うと、自分(私)が思ってるほど表情変わってないからねと言われるのが常でした。 恐らく無表情だった理由は、兄弟仲が悪く家では全くの無口だったことや、自分の笑顔が歯茎が出るので嫌いだったこと、 一番大きな理由は鬱病を患った、鬱病を患うような性格だったためだと思います。 大学生になるまではあまり気にしていなかったのですが、笑顔の魅力に気付き、常に口角が上がっている人に憧れるようになりました。 真顔だと下がっている口角を上げるため、ほうれい線を消すマッサージや舌の位置などの癖を治すようにしました。 個人的にですが、少なくとも口角がまっすぐくらいにまでなってきていると思いますし、写真を撮られる時に昔よりも自然に笑えていると思います。 また、友達にも、話しやすくなった、可愛くなった、と言ってもらえるようになり、口角を上げた効果は出ていたと思います。 しかし最近、鬱病の状態が悪化していき、吃音や、抑うつ感から誰とも喋らないという日々が続きました。それでも一人でいるときは口角を上げるマッサージを心がけていました。 ですが、やはり段々顔が怖いと言われることが多くなりました。何も考えていない時が多いです。 顔が怖いとわざわざ伝えられるほどなので、よほどの顔なのだと思います。友人や先輩に突然謝られたりして、理由を聞くと、 表情がヤバイ と言われます。具体的にどのようにヤバイのかは分かりませんが、とにかくものすごく怒っているような顔で、相手に、自分が何か悪いことをしたのかと思わせてしまうような顔をしているそうです。 本当に無意識で、どうしたらいいのか分かりません。口角を上げるよう心がけていても言われます。人にそんな思いをさせる顔は嫌です。 どうしたらいいでしょうか。表情について、など、詳しい方いらっしゃいませんか。

  • 人の表情がもたらす相手への影響は

    私は人の顔を見るのが好きです。 人それぞれ色んな顔があって好き。 実際の人間以外に、マンガの人の顔とかも好きです。 本を読んでいても、挿絵の人の顔をじっと見ている自分に気づきます。 そんな顔について知りたいことがあります。 近くで話している人、テレビで話している人が笑うと、自分までつられて顔が笑ってしまいます。 マンガを見ていても、オーバーに驚いた顔とかニヤけた顔、笑った顔の絵を見ると、自分までニヤニヤしてしまいます。 このつられるのが何なのかが知りたいです。 人って、相手の表情につられるようになっているのでしょうか。 怒った表情は好きではありませんが、私は男女問わず表情豊かな人に好感を持つのですが、どなたも同じでしょうか。

  • 表情恐怖症

    はじめまして。 私は現在大学三年生なのですが、思ったように他人とうまくコミュニケーションがとれず、悩んでいます。その原因は、表情恐怖症です。 私は他人と話すときに、どのような表情をしていいのかわからず、無意識に顔が強張ってしまいます。楽しい話題、笑える話をしているときは、自然と表情がやわらぐ時もあるのですが、一度意識してしまったり、挨拶や写真撮影、かんたんな言葉の受け交わしのときなど、笑おうとすると顔がとても重くなり、無表情になってしまいます。 とくに挨拶をするとき、微笑まなければならないという観念からさらに顔が強張ってしまい、しまいには相手に嫌な思いをさせたくないという気持ちから挨拶を避けてしまいます。 この症状を意識しだしたのは高校生の後半になってからで、それまでは普通に楽しく人との関わりをもてていました。 このような症状が出る理由として考えられるのは、高校の時付き合っていた人に「笑うと気持ち悪い」といわれたこと、そのほかにも、小学生のときにひどくいじめられた経験、あとは母親の不安定な性格、などがあげられます。 大学生になって、アルバイト先の人たちから無表情でマネキンみたいとか、何を考えてるか分からないといわれてからは一層気になるようになりました。 単純に自分の笑顔が嫌い、自身がないというのもあるのですが、そのほかにも潜在的に自分は幸せにしていてはいけないという考えがねずいているのかもしれません ずっと昔から悩んでいたことなのですが、年々症状が重くなり辛いのでこの場を借りて相談しました。 今まで精神科医の診断など受けたことがないのでこのことは 誰にも相談していません。 もしこれを読んで、何かいいアドバイスなどある方がいらっしゃれば、書き込みおねがいいたします

  • 表情の崩れ

    かなり悩んでいるので冷やかしや否定的なことだけ書き並べるのはご遠慮ください・・。 表情の崩れで悩んでいます。 もともと顎関節症を持っていて、かみ合わせが悪く顔の左右で非対称な表情になってしまいます。 多少の違いなら誰しもあると言いますが、私の場合は 片方が動いて、片方の動きが硬いといったアンバランスなので写真ではひどく崩れた表情に 映ることがあり、すごく悩んでいます。 かと思えば、崩れないときですが自分で言うのもなんですが可愛い、綺麗とよく言われます。 (思い上がってるとかそういうことではなくて、参考情報として読んでください。) 読者モデルにスカウトされたことも数回あります。が、実際に面接に言ってみたら(ようはしゃべってるところとか見てもらうと) 「ちょっともったいないね」とか「地はいいのにバランスは悪いね」と言われました。 普段よくありがちなのが「すごいかわいいから撮ってあげる!」とデジカメを向けられたりして →なぜかなんどか撮り直し→「ごめーん、うまく撮れなかった」と返されるもの・・。 映りが悪いのはしょっちゅうなので流していますが、正直悩みます。 最近は私の映りの悪い顔写真も平気でフェイスブックに上げてくる人が出てきて、 なんと言ったらいいのやら・・・。 自分でも普通に映っているときと悪い時のを比べると、同一人物に見えないほどひどいものと、 「タレントみたい」と言われるものに分かれてしまうんです(ようは落差が激しすぎるみたいです。 うぬぼれ、ではなくて実際のことなので、ここはつっこまないでください) 美人とか可愛いとかじゃなくてもいいから、表情が崩れず、安定している人の方が結果美人だと思います。 せめて表情が崩れないようにしたいのですが、対処法がわかりません。 鏡でどれだけ変顔をしてみても、写真で写るような崩れた顔になれないのですが、 たぶん無意識でしゃべるとなっているんだろうな、と思うと本当になやんでしまいます。 表情筋や骨格が影響する、と聞いたことがありますが、 なにかいい方法はないでしょうか。 本当につらいです・・・。

  • 日本人怖いです。なぜ日本人には極端な人が多いのか?

    なぜ日本人には極端な人が多いのか?個人的には、日本人は本当に怖いと思います。なぜなら、日本人はとても極端だからです。例えば、匿名の日本人(キチガイ)がネット上で攻撃的な言葉を使い合ったり、理由もなく外国人を差別したり、仕事でもすぐに怒る過激な日本人がたくさんいます。

  • 手話って顔の表情関係ありますか?

    某国営放送の手話ニュースをたまに見掛けます。 手話ですから、手の動きから言葉を読み取るのでしょうし、 テレビ画面には、文字スーパーが出ているので、新聞の見出しのように どんなニュースについて放送されているのかすぐにわかります。 ですが、気になることがあります。 それは、手話をしている方の顔の表情です。 とても、みなさん表情豊かです。 嬉しそうであったり、悲しそうであったり、怪しそうであったり。。。 手話に表情は関係ありますか? あまりにも大袈裟というか、今放送されている音声と手話をしている人の手話や表情が 合わない場合があります。 これは、音声に対して少し遅れて手話をされているためかと思いましたが、 普通レベルのニュースに対して、そんなに怪しそうな、または、嫌そうな?、勘ぐっているような、 そんな表情をしなくても良いのでは?と思うことがあるからです。 確かに、目元に特徴のある男性の手話をする人がいますが、 どうも手で話す手話なのに、表情が気になって仕方がありません。 福祉関係の方で、手話に詳しい方回答をお願いします。

  • 表情と礼儀

    表情について質問があります。 態度が悪い、と言われる。礼儀作法や一般的なルールは知っている積りです。でも、表情、声、等が、成ってないと言われます。私は、表情が、礼儀または常識として、なぜ重要なのか分りません。 私のは、表情について、こう考えています。 表情なんか、本人の様子の一部でしかない。使い勝手は良い。ちょっと相手の欲望を引き出す様にけしかけて、相手の表情を見れば良い。笑いを司る筋肉が動いてるかどうか、覇気があるかどうか、トーンが高いか低いか。すると、相手の本心が見えてくる。「コイツ今調子づいてるから、すぐ騙せそうだな」「ふーん、それがお前の本音か」「今本心を見抜かれたかも、次の手を考えないと」と思う。次にやるべき事が分る。こういう使い方は分る。便利だ。 人が自然に笑ってた所で、「何か良いことでもあったんだろう」「何か嫌なことでもあったんだろう」、という程度。 わざとらしい声や愛想笑いは、自分がしてても相手にされても、楽しくない。何をされるか分かったものじゃない。虚しいだけ。時間と気力の無駄。下手に愛想笑いすると馬鹿にしてると思われて、かえって失礼に当たることもあるんじゃないか? 表情なんて、その程度。少なくとも礼儀には無関係。自分では嫌な顔をしてる積りは無い。無表情だとは思う。厚顔より無表情の方が、よほどマシ。 以上が私の考えです。「考え」というより、「使い方」と言った方が適切かもしれません。結局、どうすれば良いのか分らないままですが…。 堕落してる、未熟だ、甘えてる、とさえと言われる時があります。でも、自分にどう厳しくすれば良いのか?必死で相手を騙せば良いのか? 私の考え方に問題があるのかもしれません。そうだとしたら、何が問題でしょう?どう直せば良いでしょう? よろしくお願いします。

  • 非言語コミュニケーション 表情について

    こんにちは。 私は大学で異文化コミュニケーションを学んでいます。 中でも非言語コミュニケーションに興味を持ち調べているのですが、 「オリエンタル(ジャパニーズ)スマイル」と呼ばれる日本人の様々な意味合いを持つ「笑い」に着目しており、情報を集めたいと思っています。 そして英語圏の人たちと日本人の表情コミュニケーションを比較して考察してゆきたいと考えています。 関連の書籍を見つけるのに苦労しています。 そこで、オリエンタルスマイルに限らず、非言語コミュニケーションに関するお勧めの書籍があれば教えて頂きたいと思います。 また、論文(英文エッセイ)を書くのは初めてなので、 このテーマでエッセイを書くにあたりアドバイスなどあれば頂けると嬉しいです。 書籍に関して、言語は日本語・英語問いません。 洋書なら比較的分かりやすいものを教えていただけたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

  • 自分に自信があれば表情も明るくなるものでしょうか?

    こんにちは。私は高1の女です。 私は自分の外見がとても嫌いです。 背が低くて顔はガキ臭いし、太ってるし、しかも汗かきだから暑苦しいし・・(- -;) そして顔より何より、自分の表情が嫌いです。 顔を見られるのが嫌で、人と目を合わすのも苦手だし、ニコニコ愛想よく笑う事さえできません。 顔がとびぬけて綺麗じゃなくたって、にこにこ笑ってる人を見るとホッとするし、いいなぁ、と思います。 自分に自信が持てるようになれば、表情も少しは明るくなる物なのでしょうか? それ以前に、自信とはどういうところから来る物なのでしょうか? 今の自分には正直言って自信の持てる所が無いです。 きれいになる努力をすれば自然と自信が出てきて、少しでも明るくなれるのでしょうか? なんだか文章がめちゃめちゃになってしまいましたが、皆さんの意見を聞かせてもらいたいです。