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生物に対する年代測定はどの程度可能か?
象牙や鼈甲のように生物の遺品を、破壊することなく年代測定する方法はあるのかでしょうか、あるのでしたらどの程度の誤差で測定できるものか教えていただけませんか? 1000年前のものなら10%位の誤差とか500年前なら5%位とか 追伸 間違って生物に投稿してしまっていたので、その質問は先ほど削除してくださいと報告してあります。
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No.3のつづきです。文字資料、貿易関係の資料を調べられて、いままでに何か発見がありましたら、教えていただけませんか。 「誰が日本に持ち込んだか」の部分には、私も興味をひかれます。 > 東山文化に興味をもっていて、明との貿易でどのようなものが > 誰の手で誰に渡ったかに興味があります。 そうすると室町時代(14-16世紀)ですね。品物を輸出した国に、船荷の明細など文字資料が残っているとよいですね。京都の 資料は、応仁の乱で失われたかと想像します。 また、思いつきでしかも旧聞で失礼かもしれませんが、禅宗文化、対明貿易との関係を考えてみたところ、毛利氏、細川氏、一条氏(摂津)、大内氏 など、戦乱で焼けなかった文字資料から、糸口が見つかることもあろうかと感じます。 ご研究の進展を祈ります。 ~v-v~ 対明貿易における土佐一条氏と、大内義興(記述は少ない) http://www2.harimaya.com/sengoku/html/1zyo_k.html
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- onbase koubou(@onbase)
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No.2の続きです AMSではかなり正確に測定できるようですが、それでも数十年の範囲内に収まる確立が70~80%という精度のようです。 従って資料の理化学的年代測定からその資料の使用者を特定することは難しいかと思います。 その人物が生きていた時代と同時代であるからその人物が使っていた可能性はある、という程度でしょう。 つまり「傍証」とはなりえても「決定的証拠」にはなりにくいということです。 ただし、まったく違う年代が測定されて否定する決定的証拠になることはあります。
お礼
AMSについては、新しい装置があり期待がもてましたが、「決定的証拠」にはならんとは残念でした。
- bettyames
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歴史資料の使われていた年代が、スパッとわかったらどんなによいだろうかと、昔、資料整理をしたときにつくづく思いました。 > 人間が使用していた、鼈甲の櫛や眼鏡で歴史上の人物が特定できたらいいなと思っています とのことですが、炭素法で図れるのは、1000年単位くらい前のものと考えたほうがよさそうです。すでに回答された方の指摘のとおり、品物のいたみ具合で炭素法など物理的な年代計測は、結果が大きくぶれます。 また、例としてあげられた品物は、もっと後の時代に使われたものかと感じます。2000年、3000年まえに鼈甲や象牙が使われていた例があるのでしたら、興味がありますので、おついでのときに教えてくださいませんか? 炭素法で年代計測ができそうなものだと、櫛でしたら、縄文時代の朱色の漆を縫った品が石川県の遺跡から発掘されませんでしたっけ。
お礼
回答有り難うございます。 私は東山文化に興味をもっていて、明との貿易でどのようなものが 誰の手で誰に渡ったかに興味があります。 武家の持ち物は鑑定以外に証明するてだてはないのかもしれませんね
- onbase koubou(@onbase)
- ベストアンサー率38% (1995/5206)
非破壊で年代測定する方法もありますが、かなり不正確になります。 それは物体の表面が一番汚染されやすい場所だからです。 正確な年代を測定しようするとごく一部であっても破壊しての測定が一番正確です。 また残念ながら10~5%というような誤差の範囲になることは資料の年代に関わらず現代の技術では無理です。 また、年代が古くなると誤差が大きく、年代が新しくなると誤差が少なくなる、ということもないようです。 誤差の幅は資料の状態によって変化します。 一般的な放射性炭素年代測定では○○年と具体的な年代はでますが、+-の年代幅が生じます。 それは数十年から数百年の範囲になることが多いようです。
お礼
回答ありがとうございます AMSなどで最近はかなり正確に測れるとききましたが、具体的にはどの程度かわからずにいます。 私自身の認識も同様でしたが、多くの方の意見を聞くと新しい答えがあるかもと質問させていただいております 人間が使用していた、鼈甲の櫛や眼鏡で歴史上の人物が特定できたらいいなと思っています
補足
未だ確かな発見も無くお恥ずかしい限りです。 大内義隆記 にある天竺の人が眼鏡を日本に持ち込んだのが初めてで、その人物はザビエルではないかと推測され、ザビエルが日本に最初に眼鏡を持ち込んだというのが定説になってますが、大仙院には、足利義満より受けついだ義晴の眼鏡が最初という説もあり謎は深まるばかりです