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「良い」と「悪い」の境目は、何か?

抽象的な質問になりますが、「良い」と「悪い」の境目には、何があるのでしょうか?

みんなの回答

noname#32027
noname#32027
回答No.17

「なんとも思わない」ではないでしょうか。 「良い」「悪い」と思うのは何かしら感覚のズレがあってそう感じるのであり、そのようなズレを意識しないのであれば、今考えている現象はどちらでもないのだと思います。 なんて、こんな簡単に説明がつくわけありませんが(^_^;) 感覚など個人の問題ですから・・

noname#117439
noname#117439
回答No.16

人の行動に関する限り、この二つを分けるのは「動機」です。 心の中には天使と悪魔が住んでおり悪意、欲、煩悩などいろいろな言葉がありますがこれらの動機に背中を押されると不純な動機であり結果は大抵失敗です。 普通犯罪者以外は、天使たる良心、または人間らしさを、動機にしておりまして、少なくても平穏に生きていけますし、天の摂理に従順であることの安らぎを感じることも出来ます。

  • zenrai
  • ベストアンサー率21% (8/38)
回答No.15

 私は」ですけど。 『普通』とか『並』とか『丁度良い』辺りだと思います。  一見『丁度良い』は「良い」の方に偏ってるように思えますが、意味的に自分に当てはまっているというような事なので、間違っているとは思いません。。  

  • lightgrid
  • ベストアンサー率26% (11/42)
回答No.14

ご質問の意味が分かりませんが、「良い」「悪い」は、人による対象に対する評価の表現であると思います。 従って、「良い」と「悪い」の間には、「良くも悪くもない」があると思います。 人間の生み出したものについて「良い」と「悪い」の境界線は何か、とお尋ねなのであれば、 何が「良い」か、何が「悪い」か、は、「良い」もの、「悪いもの」を生み出した者のその動機しだいであると思います。 動機が良ければ、それによって生み出されたものは良いのだと思います。動機が悪ければ、それによって生み出されたものは悪いのだと思います。

hata333
質問者

お礼

本当にありがとうございます。「動機」なのかな~??

  • tuort_sig
  • ベストアンサー率19% (17/87)
回答No.13

「良くも悪くもない」 ってのはあんまりなので、一考してみました。 境目は、「無関心」があるのかなと思います。「良い」にしろ「悪い」にしろ、事象に対して「関心」があるから良し悪しの判断が行われるわけで、そこで初めて「良い」「悪い」が発生します。境界、エッジの部分は丁度+と-のベクトルが互いに0の状態で、+(良い)も-(悪い)も発生しておらず、逆説的にですが、無関心であることがわかります。したがって、「境界には『無関心』がある」としておきますね。 (簡単な話、関心を持たないことには良いか悪いかもわからないと。)

  • fumipod
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.12

皆さんが言っている通り、「良い」「悪い」というのは考え方の一つです。 そして、この考え方の中に「良い」「悪い」以外のものは存在しません。 ただ、やっぱり考え方の一つだから、世の中には「良い」「悪い」の2つでは説明がつかないものがたくさんありますよね。「良くもなく悪くもない」といったところでしょうか。これを数直線上の境界みたいに、「良い」と「悪い」の境界にしてしまいがちですが、「良い」と「悪い」という考え方とは別にあるものだと考えた方がいいと思います。数直線上の境界のように薄っぺらいものじゃないからです。

  • wderi75
  • ベストアンサー率37% (20/54)
回答No.11

人間には良心がありますが、これは容易に「曲げられる」ものだと思います。コンパスは必ず北を指します(正しい方向を教える)が近くに磁力があれば狂ってしまうみたいに。ヒトラーの時代には民衆の良心も狂ったと思います。だから世界には基準が必要だと思います。まあ聖書が悪と言っているものは悪、善と言っているものは善・・・

  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.10

抽象的な答になりますが、境目はないのだと思います。

回答No.9

主観的なものですので、人それぞれだと思います。 「良い」と「悪い」というのは、自分自身の考えや感じ方によるものですので、特にこれといった境目はないと思います。

noname#80187
noname#80187
回答No.8

結局、他の人と同じことですが、感覚によって境目を決めているのだと思います。この感覚というのは、直感と考えた結果をどう捉えるかという感覚があります。 個人で裁量するときは、自分の感覚です。 社会的なものになれば、一般的に正しいと思われていることが正しくなると思います。個人が受け入れられるかどうかは別ですけど。それも感覚だと思います。 社会的なもの、集団的なものは、力がある人(権力、武力、金力)の考えが正しくなる時があります。これも、受けれざるを得ないという感覚、力がある人の感覚です。 社会的なもの、集団的なもの上記とは別に、話術などの人に物事を信じさせる力が高い人の意見に同調してそれが境目になる時があります。これも、聞いた人がどう感じるかという感覚と、物事を信じさせる力が高い人の感覚です。

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