言語が不可能であろうとするとは
安部公房に関する本の中で、次のような文章がありました。
「安部公房が突破しなければならなかったのは、物をおおいかくしてしまう言葉の慣性であったといえよう。文学の言葉について、たとえばM・ブランショは、「カフカと文学」で<言語を可能にするのは、言語が不可能であろうとするからである>と述べた。そのことは、日本の戦後文学が直面していた状況にもあてはまる。語りえない世界をどのようにして文学がひきうけるのかが問われたのである。」
ここで以前から引っかかっていたのが、<言語を可能と~>の部分です。どのように考えればいいのでしょうか?
言語、不可能と聞いて浮かんだのはヴィトゲンシュタインの言語の論理性については限界があるということです(見当違いかもしれませんが(汗))。言語表現に限界があるということは理解できるのですが、それが<>内の意味とどう関わるのか(関わってないかもしれませんが)分かりません。
また、言語が「不可能である」のではなくて「不可能であろうとする」とはどういうことなのか?それによって(はじめて?)「言語が可能」となるとはどういうことなのか?分かりません。
どなたか、ご意見をお聞かせください。ひょっとしてこういうことかな程度でもいいですので、ご意見を寄せていただけるとありがたいです。理解の助けになります。よろしくおねがいいたします。
お礼
ありがとうございました。 なるほど!そうですよね。 好きな人の趣味に触れてより相手を深く知ろうとする ってことで、「趣味は?」ってしつこく聞く異性って 脈ありかもですね。