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功名が辻:なぜ小豆か?

 本日の「功名が辻」(NHK)で、 信長の妹・お市の方が、「陣中見舞い」 として、袋の両端を紐で結んだ小豆を信長に送りました。これを見た信長は、浅井家が寝返った事を察し、織田軍の全軍退却を決意し、命拾いします。    そこで質問ですが、この「陣中見舞い」 での小豆はほかの豆類(たとえば大豆)ではいけなかったのでしょうか?  「小豆」を贈ること自体に何か意味があったのでしょうか?  (たとえば、小豆は当時貴重品であったとか?)

質問者が選んだベストアンサー

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  • mkt8589
  • ベストアンサー率25% (47/181)
回答No.2

No1の方と同じです。 「小豆坂の合戦」天文17年(1548年)に今川義元と信長の父信秀が小豆坂(愛知県岡崎市。名鉄美合駅付近)で戦い、伏兵によって敗北した戦いを暗示したと言う説です。市は危機を知らせようと、「布袋小豆」を送ったのです。 しかしこの戦の頃、市はまだ1歳で天文21年に信秀は急逝しているので、「果たしてどうなのか?」とも言えます。 「功名が辻」の主人公、千代の故郷は近江とされていますが、郡上の出身と言う説もあり、一豊の出生地も岩倉と黒田(木曽川町)の2説があります。 色々な歴史の謎を考えるのも楽しいです。

setamaru
質問者

お礼

 「歴史の謎」を考えるのも楽しいですね。  御教示ありがとうございました。

setamaru
質問者

補足

 「小豆坂の合戦」は、第一次と第二次があるとされ、第一次では織田方が勝利し、第二次では松平・今川方が勝利したことになっているそうです。  ところが、織田方の文書も松平方の文書も互いに「小豆坂の戦いは当方が勝利した」とされているらしく、いったいどちらが勝ったのでしょうね。

その他の回答 (2)

  • regius777
  • ベストアンサー率28% (84/294)
回答No.3

#1です。(補足) 歴史に諸説あるのは当然のことで、事実がどうであったかは、タイムスリップしない限り誰にも分かりません。義経=ジンギスハンなどは夢がありますね。 NHKのこのドラマは、司馬遼太郎の「功名が辻」に基づいて制作されていますが、原作と変えているところもあります。例えば、原作では、方秀尼=千代の母ですが、NHKは現在通説となっている、方秀尼=一豊の母を採用しています。 http://www3.nhk.or.jp/taiga/index.html http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%CA%C7%CF%CE%CB%C2%C0%CF%BA

setamaru
質問者

お礼

再度のコメントありがとうございました。

  • regius777
  • ベストアンサー率28% (84/294)
回答No.1

これは、小豆(あずき)でないとダメです。「小豆坂の合戦」を暗示しているのですから。 http://www.m-network.com/sengoku/senyasn.html

setamaru
質問者

お礼

 御教示ありがとうございます。  信長が、小豆が好きだった、という説もあるようですね。

setamaru
質問者

補足

信長自身は、「小豆坂の戦い」を二度経験しています。  1542年8月は、対今川で結果として互角。  1548年3月は、同じく対今川で、敗北。  信長自身が、小豆坂で二度戦っているところを考えますと、信長の父・三郎信秀の戦を引き合いに出すという点は、いささか腑に落ちない気がするのですが。

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