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友達の作り方を哲学の考え方で、教えて下さい。

友達の作り方を哲学の考え方で、教えて下さい。話題も教えてくれるとうれしいです。例文なども教えてください。知り合いと友達の違いも教えて下さい。色々教えていただけるとうれしいです。お願いいたします。

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noname#17334
noname#17334
回答No.4

>友達の作り方を哲学の考え方で、教えて下さい。 なぜ、私は友達を作ろうとするのでしょうか。 そもそも、私にとって友達とはどういう意味を持つものしょうか。 友達の必要性については、論を待たないでしょう。実際に友だちのいない私は孤独なのがわかっているからです。 では、友達ができたらそれで孤独は癒されるのかというとそれは定かでない。 それは、カミサンがいれば孤独がいやされるかという質問に似ています。 つまり「よい友達」でないと、まるでピノキオが狐とタヌキに連れられて家出したときと同じ結末が待っています。 友達の作り方なんて簡単です。 親愛の情を示せば、それなりに誰でも一定の親しさまでは親しくなれるのです。 友達関係の維持には、価値観の共有が必要と仮定します。 たとえば、趣味やスポーツを通じて、それを好む人々と交友の輪がひろがります。 友情の維持には信頼関係が必要だと仮定します。そのためには、約束を守ること ウソをつかないこと。相手の陰口をいわないことなどが必要でしょう。 友情の維持には相手への思いやりが必要だと仮定します。そのためには、いつでもあまったものが あったら、友達にわけてあげようとか、一緒に楽しもうとかいう気のつく思いが必要です。 さて、友情の維持は、そうやって我々に何をもたらしてくれるのでしょう。 思い出。あるいは、相手からの厚い友情のお返し? もともと友情に目的などないと考えてみましょう。自分以外の人と時間や話題や楽しみや苦労を共有する ことで、自分の人生の「経験」に厚みを増すことなのだと考えてみたらどうでしょう。 さて、哲学的に、友達にならないか?と誘う会話です。 あなた「ねえ君。自我というのはきわめて限定された意識の空間だと思わないか。」 他者A「おそらくそうだろうな。主観というものがそもそも限定された時空しか持ち得ないものだからねぇ」 あなた「自我には主観が感得できる感覚や刺激においてのみ影響された思惟がはびこっているのだ。」 他者A「そういうことだな。」 あなた「しかし、他者の感覚や思惟を援用することで、この自我の持つ閉塞感を打ち破ることができる。」 他者A「どうやって、他者の感覚や思惟を援用できるのだ。」 あなた「男女なら抱擁するとか、ベッドをともにするとか」 他者A「オレはそういう趣味はないが。」 あなた「ひとりで、さまざまな思考を積み重ねていくとどうしても超えられない壁にぶつかる。」 他者A「そういうときに、全く違った発想で意見を言ってくれる人がいると思考に幅がでるよね。」 あなた「発想が柔軟になるのかもしれない。」 他者A「論争になって喧嘩別れすかもしれないね。」 あなた「そんなことはない。君の意見は謹んで拝聴するつもりだ。」 他者A「会話していてシナジーが生まれるような関係でないと、思惟を相互に援用しあう意味はないな。」 あなた「俺たちそういう意味では哲学的に気があうと思わないか。」 他者A「よせやい。照れくさいじゃないか。」 >話題も教えてくれるとうれしいです。 「どうして、冬季オリンピックは振るわないのかねぇ。」 「このままいったら30年ぶりにメダルゼロだよね。」 「そもそも、ウィンタースポーツってヨーロッパの貴族の遊びなんでしょ」 「下流社会の日本ではダメであたりまえか」 「ていうか、ニートはスケートもスキーもやらないもんな。」 「君は何かウィンタースポーツするの。」 「スキーくらいはやるよ」 「どの辺にいくの。」 「草津とか苗場とか」 「へぇすごいな。今度一緒に連れていってくれないか。」 「スキーできるの?」 「やったことないから教えてくれないか」 「断る。彼女といきなよ。」 「そんなことではいつまでたっても日本のウィンタースポーツの夜明けがこないぞ。」 「いいよこなくて。」 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 「さて、タケベ幹事長の息子あてのホリエモンメールだが」 「にせものだっていうもっぱらの評判だよね」 「なぜ、民社党は決定的証拠見せないのかね」 「持ってないからだろ」 「あんな誰でもわかるコピー一枚で追求しちゃった訳かい?」 「というか、もっと曖昧な情報をいろいろつかんでいるのかもしれないな。」 「あれを糸口に国政調査権で、口座を開示しろって訳かい」 「そうなんだろうけどだったらせっせと銀行口座を指定して振込み記録を出せばいいのにね」 「口座番号をいえば、銀行に圧力かけて証拠隠滅はかるから言えないとか言ってる」 「そんな簡単に銀行の口座の記録って消せないと思うが」 「そうだよな」 まぁ話題なんてなんでもいいのです。 >例文なども教えてください。 は?何の例文ですか。会話?そこまで意識しちゃうとダメなんじゃ・・・ >知り合いと友達の違いも教えて下さい。 知り合いは、街であったら挨拶する程度。大事な場所や大事な時間にはじゃまされたくない。 友達は、街でわざわざ待ち合わせて会う相手。大事な場所や大事なモノや大事な時間を共有したい相手。

zzennshinnjp
質問者

お礼

お礼遅くなりまして申し訳ありません。回答有り難うございました。参考になりました。親愛の気持ちを持ちシナジーを感じつつ大事な場所や大事なモノ、大事な時間を共有できる気持ちを持ち、友達をいっぱい作っていきます。回答有り難うございました。

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その他の回答 (3)

  • bo-suke
  • ベストアンサー率23% (58/242)
回答No.3

私の場合、友達と話していると相手の言動がもしかして自分のことを馬鹿にしているんじゃないかと感じることが多々あります。 そういう時は次のようなことに気をつけています。 1.別の解釈の可能性はあるか 2.相手の立場を考慮したか 3.人間と言う存在を過大評価していないか 1.はまず、自分が最初に思ったことだけが正しい解答だと決め付けないと言うことです。(回答の一意性の否定)自分が思ったことでも、他に考えられる可能性はないか、とあらゆるケースを想定することです。 「ばかだなあ」と言われた時、この言葉は、 相手の中傷 相手の非難・指摘 単なる冗談 隠した賞賛 など、いいほうから悪いほうまで全てが実際に存在しています。こういうことに対して、「馬鹿だといったから、馬鹿にしたんだろ」と一つの回答に断定するのは懸命ではありません。 これを強調する理由は、私が回答というのは一つであるべきだと言う固定観念を持っていたからです。私にとってはこれは重要なキーワードです。 2.は相手の立場になって考えるというものです。これは皆さんよく言うので、簡単だと思っている方が多々いらっしゃいますが、これは一番至難の業だと僕は思います。と言うのは、表面上の立場を考慮するのは容易ですが、実際の立場とそれはかなり様相を異にしているからです。 他人とあまり交流が無かった人間がいると、普通の人間は「気にしないで話せばいい」と言います。が、交流をすると、交流の疎い側にたいてい失礼ともいえるような行動が目立ち、憤慨してしまいます。しかしその人は相手を侮辱したくてしているわけではないのです。そういう人間は人間と交流を経て、普通の人間が当然考慮すべき項目と言うのを学習していないのです。皆さんはこういうことを聞くと「そんな馬鹿な、人間関係に関しては人間は同じのはずだ」と発言するかもしれませんが、実は学習量によって、勉強を行なった人間が行なわなかった人間よりIQ面において優れるのと同じように、交流を行なった人間が行なわなかった人間よりEQ面においては優れているのです。ただ、たいてい人間と交流を行なわない人間など居ない(あるいはそう思っても見ない)ので、この辺の能力に関しては前提的に扱われているのです。ですから、当然人間に備わった本質だと普通の人間が思っている能力でも、実際は持っていなかったり不十分である人は結構いるのです。こういった人間は後々自分で人間関係の構築方法を勉強しなければいけません。 今言ったことまで全て考慮して会話をしないと、普通の人間とそうでない人間との間には、親しい交流は存在しえません。 そうでなくても、普通の人間と会話するには相手の行ったことを繰り返す必要があります。 「この前言ってたゲームの件なんだけど、やっと中ボスクリアしたよ」 「この前って?」 「言っただろ?昨日。あのRPG」 「ああ、思い出した。それで中ボスってどこの?」 「え?忘れたの?魔王の城の後のステージだよ」 「そこまで言ってたっけ?」 「言っただろ。再三にわたって」 「そうだっけ」 「お前あのゲームやってないのは知ってるけど、いくらなんでもそりゃ無いんじゃないの?」 この場合相手のゲームをやるか、相手の発言を帰ってから逐一確認しなければ親しい友好関係は築けないのです。自分の関心の持っていないことは人間は覚えていません。詳しい話をするためには自分もその立場を「考慮する」なんてものではなく「経験する」ぐらいの必要性が出てきます。 3.は人間という存在をあまり思っているほどあてにしないほうがいいということです。例えばその一例として 人間は言ったことや行なったことには責任を持つ動物だ これは嘘です。その例は挙げるまでも無く先ほどの例から明らかでしょう。人間は自分の関心のあること以外には責任を持てません。なぜなら忘れてしまうからです。自分の関心あることのみ責任を持ち、他は忘れれば、本人が考えていること全てに関しては、「俺は責任を持っている」となってしまいます。従って近代までわれわれ人類は「責任ある存在」だとして生きてきたのです。 これを解決する方法は、自分も同じ人間だと言うことを自覚しておくことです。「自分も感心のない話題は忘れてしまうことが良くある」と言う自覚があれば、相手のことを「正しいと認め」られなくても、「仕方ないと許して」やれる存在になれます。そうした「人間の本質が大したものでできていない」と言う、なんと否定的な考え方があってこの赦しという行為は生まれてきます。 以上長々とはなしてきましたが、一番重要なところに関して、誤解の無いように記述したつもりです。私が人間関係の構築に対して、深い洞察を試みるようになったのは高校三年生になってからで、気づいたときには「もう手遅れ」でした。それでもこういったことをきちんと考えるようになって少しはましになったのではないかと思っています。 最後に大切にしてほしいことと言うのは、「友達なんて簡単にできるよ!」と言うやさしさは残酷以外の何者でもないと言うことです。自分と同じぐらいの敵を目前にして必死にならなければ、友達などできるはずがないのです。多大な知識を得て戦略を練らない限り、友達など持っていいほどの階級とは、少なくとも世間の大半は認めてはくれないのです。皆は影で実はヒソカに裏切っている…とまでは言いません。しかし、われわれはそういった偽りの優しさ、残酷な慰めそのものと、そういったものを生み出す言葉と、戦わなければいけない時代に直面しているのです。

zzennshinnjp
質問者

お礼

お礼遅くなりまして申し訳ありません。回答有り難うございました。参考になりました。常に人から好かれたいと言う思いは、自分の中では正しいことだと思います。善人で共同体意識を持って友達を作ろうと思いました。回答有り難うございました。

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回答No.2

 友達って作るものなんでしょうか。できるものではないですか。哲学も、いつの間にか哲学してしまっていると言う点で、友達と同じかもしれません。哲学のことを、フィロソフィ(愛知)と言います。知を愛するのが哲学で、それが知の出現を意味するなら、友を愛するのが、つまり友達の出現、友愛と言うことになるのではないでしょうか。 下らないことを書いてしまいましたか。 哲学は、直観によって知を悟ったときに、問いと言う形で始まります。 それになぞると友愛は、直観によって友を悟ったときに、敵と言う形で始まるのではないでしょうか? 従って、愛知が、問いを考える、問いを愛すると言う行為ならば、友愛は、敵を愛する、敵に心を開いてゆく、そういうことを言うのだと思います。 参考になりましたか?

zzennshinnjp
質問者

お礼

お礼遅くなりまして申し訳ありません。回答有り難うございました。友愛を育てていこうと思います。敵とは正直思いたくありません。共同体意識で、幸せになっていこうと思いました。有り難うございました。

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noname#31063
noname#31063
回答No.1

毎度♪ 交流哲学か心理学か現象学か社会学か、処世訓か解らない。 物の分別はしない主義(というか知らないだけだけど)色んな人いますよね。でも自分はどんな人であるか自覚を持つことだ大事だと思います。 世界に人類は60臆人以上いるのですが、2種類の人種しかいないんですよ。 自分より上か下かで態度を変える人と、誰とでも同じ人。 自分がどちらに属するか知れたら仲間作りに非常に役立つでしょう。 知り合いと友達の違いですが、欠点を隠したら付き合える人と、欠点を出してこそ安心して付き合える人の違いではないかと思います。 例文というか、相手の笑いのツボを掴む…かな?

zzennshinnjp
質問者

お礼

お礼遅くなりました申し訳ありません。回答有り難うございます。参考になりました。欠点は治していくように努力していけるような友達感覚をみにつけたい思いました。回答有り難うございます。

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