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want anyoneの次ですが
「I certainly wouldn't want anyone taking my stuff. I'd prefer to get it back. I treat others how I want to be treated.」と聞きました。 確か誰かに何かをしてもらいたい(させたい)という時には 「I want ○○さん to 動詞の原型」と教わったので、あれ?と思いました。 それとも他の意味なのでしょうか? 「I certainly wouldn't want anyone taking my stuff.」と 「I certainly wouldn't want anyone to take my stuff.」とはどう違うのでしょうか?
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Gです。 こんにちは!! この表現を間違いだと言う人は、一年前と違って、このカテではいないと思っても良いほど普通の表現です。 確かに文法的ではないというフィーリングを脱ぎ去ることはできませんが、かなり一般的な表現といえると思います。 違いですか? ingの表現がこれだけ一般的になると、この昔からの表現が「硬い」「かしこまっている」「古臭い」とまでは言えないにしろそれに近づくフィーリングはあります。 もうひとつこのingの表現があっているいると感じるのは、最後にあるstuffと言う単語なんですね。 stuffと言う単語はかしこまったようなところ、文法的表現を必要とする状況では使う事でマイナスになる可能性を持っている単語だということなのです。 つまり、このカテで私が言う「事」と言う単語を頻繁に使いますが、これはすなわちボキャブラリーの少なさを示した表現ですね。 つまり、そのことについてはっきり言っていないわけです。 このStuffにはそのフィーリングと表現における怠慢さ、が含んでいるのです。 ビジネスのプレゼンなどではこの単語はまず使えないでしょう。 一般生活でしか使われないということではなく、つまり俗語的単語と言うことではなく、その人の性格まで現れる表現と、ちょっと大げさに言うと、なります。 そのレベルの単語とnot want anyone to takeとの相性が酔わなくなっているということもあり、stuffとingの使い方がマッチする、つまり、自然に聞こえる、ということでもあるわけです。 最近の傾向として、ingの使い方の一般化が非常に進んできていると私は感じています。 We will do it tomorrow.ではなくWe will be doing it tomorrow.が多く使われ、I love itがI'm loving it.というような極端な使い方まで多く使われるようになりました。 (このloving itの件で猛然と「間違いだ!」と言う討論がこのカテで一年ほど前にありましたが、その人はこの生きた英語の変化を知らなかったか重要視しなかったのだと思います。) ということで、フィーリングとしてはそんなに大きな違いがあるとは感じない表現だと思います。 もっとカジュアルといってもいいかもしれませんね。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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I want ○○さん to 動詞の原型 は、たしかに日本の学校ではそう習いますよね。 ただ、英語を日常的に使うと、~ingを持ってくることが、会話のニュアンス上よかったりすることがあります。 これは(日本で教壇に立つ)専門家が教える英文法上の解釈よりも、生きた英語(英語による会話や、雑誌文字媒体での書き方、テレビなど映像で使われる用法など)のほうが、超越してしまっている例が多いからです。 日本語でも文面に書いた日本語にとらわれず、会話でもテレビドラマでも、自由奔放な表現がありますが、英語もそれと同じです。 そしてto不定詞と~ingの違いでですが、日本語訳にしてしまうと「…することは」と同じになってしまいますが、実はそこには言葉を発しているときの躍動感の違いや、使う場面での違いがあります。 ~ingのほうが、まさにその動詞が表現する躍動感があります。 「I certainly wouldn't want anyone taking my stuff.」(ちょっと、持って行ったの誰よ!) 「I certainly wouldn't want anyone to take my stuff.」(わたくしは、本当に私の物を持ち去ってほしくはございません) こんな感じで、意味としてはほとんど同じですが、表現するときの躍動感とエモーションが~ingにはあります。 違う質問への回答ですが、NHKでこのto不定詞と~ingの違いに関して、ネイティブの方の説明をわたしが回答としてつけたものがあります。参考まで。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1919514
お礼
回答をありがとうございます。文法は生きた英語に追いつかないことよくわかります。それにこんなに初心者の私でも、人によってしゃべり方のカラーがあるということもわかります。シカゴから日本の親戚の家に来ている人が、高校2年生の子の英語を見てやってるのですが、「助けてあげたいけど日本の英語の勉強は変に厳しすぎるし、難しすぎる(日本語のレベルはほぼ完璧な人です)。どうでもいいようなことをくどくど質問して来る」と言っていました。私は「それこそ日本の英語教育なんでしょう」と言いました。その人は日本とアメリカの両方の文化を知っているのですが、お手上げ状態だそうです。リンクの「わしゃわしゃ感」おもしろいですね!考えてみればこの「わしゃわしゃ」なんて普通の辞書には載ってない日本語ですよね。
- friends2005
- ベストアンサー率31% (28/90)
元来は、I certainly wouldn't want anyone [to be] taking my stuff.と言う文の[to be]の部分が省略された形となりまして、否定形でよく使われます。日本語にするとどちらの意味もそれ程違いはありません。takeが動作動詞ですので、持って行かれるのは嫌だ、と言う感じです。
補足
早速ありがとうございます。「I certainly wouldn't want anyone [to be] taking my stuff.」なのですね。それほど違いがないということですが、この表現を聞いたのが初めてだったので、何かちょっとニュアンスが違うのかなと思いました。できれば違いを教えてください。
お礼
回答をありがとうございます。もっとカジュアルとのこと、わかりました。「stuff」との釣り合いで自然にそういう言い方になったというのがとてもよくわかりました。私も「何を話していた?」と聞かれて面倒な時は「Stuff」で済ませます。#2のお礼に書いたシカゴからの人とは別の、あるアメリカ人は日本が好きなのですが(でも性格はとってもいい人ですよ)、あちこちの掲示板で仕入れた「ガセ」日本ネタを自分なりに解釈してそれをまた掲示板で知ったかぶりをして書くので、このシカゴ人は非常に怒っています。「彼はある意味レイシストだ」と。私は日本人なので、日本「通」のアメリカ人が日本や日本語をどう思っているのかとか、いろんな変な情報を面白がって「ふんふん、よく知っているね。おー、それは知らなかった」と言っているだけです。また、英語やアメリカの文化について知ったかぶりをしている日本人に対しては、Gさんと全く同じ見解を示しています。この人は生まれた時から常に日米両方の文化の中で育ちましたから、それは「知っている人」の持つ共通の感じ方なんだと思います。流石を「flowing rocks」と言った人です。お世話になっているので会った時に何かご馳走してあげようと思っています。