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アキレスと亀のパラドクスについて

starfloraの回答

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.5

    先の二人の方の補足に触発されて書きます。     実は、回答は、質問が、「パラドックスの解決法」をと云うことなので、解決するような答えを述べたのですが、本当は、哲学的にはパラドックスなのです。飛矢不動のパラドックスも、深刻なパラドックスで、これらは、質問者の質問からは少しずれますが、ゼノンのパラドックスの哲学的意味の一つの見解ということで記しますが、わたしたちの生きる「時間や空間」についての何かの真実を示唆しているのです。     つまり、本当はパラドックスは解決しないのです。それはどういうことかと云うと、わたしは次のように記しました:     >そこで、こういう過程を無限に続けると、   >「過程は無限」ですが、   >実際の距離は、「無限ではなく有限」で、   >また、かかる時間も「無限ではなく有限」となり     「過程は無限」であるが、「実際の距離は有限」と述べていますが、これはパラドックスを解決するように常識的なというか、形式的な、ニュートン的な時空を出して来ているので、解決するように見えるのです。一応、解決しているのですが、哲学的問題として、まだ議論があるのだと、いうことで、質問者には、申し訳ありませんが、もう少し話を続けます。(後で、参照する人に対しても、書いているということがあります)。     実はアキルレウスと亀の競争の話は、私たちの意識のなかの「想定」なのです。これは、レヴェル2の「想定」事象だとも言えます。レヴェル1は、想定事象ではなく、想定している、つまり思考ししている「現なる私たちの意識の現実」なのです。アキルレウスと亀の競争が、私たちの思考の想定の所産で、そのような競争は、この世界のどこにも現存して立ち現れていないのです。しかし、思考しているのは「現実」で、いま「立ち現れている」のです。     アキルレウスが亀が元いた場所に着くと、亀はすでに、その先に進んでいて、アキルレウスが、再度、亀が進んでいた場所に着くと、亀はすでに……と、思考の現実は、実はステップが無限に続き、ステップには、実際に、一定の時間が必要で、こういう思考のステップは、無限に続き、終わらないのです。     思考している実在者である私たちの思考ステップが、無限に続き終わらないということは、第二想定レヴェルのアキルレウスと亀も、何時までも、想定レヴェルでは、亀がアキルレルスの先を走っていることになります。     時間とか空間は、客観的にあるものか、意識の構想にあるものなのか、というと、カントの感性の形式になって、それは、超越論的な機構だとなります。到達できないはずの物自体に、「あたかも到達できたかの」ように振る舞うのが、現代科学のパラダイムだとも言えます。古代科学は、そうではなかったので、ゼノンのパラドックスが深刻な問題であったのです。そして、ベルグソンの時間論などを考えると、どうも、時間や空間は、意識と共現象的な現れだということになります。     わたしたちが、純粋の思考において、形式的数学モデル空間と、その性質についての直観を行う時、不思議なことに、「実在の物理宇宙」に、わたしたちの主観的観念の所産である数学的構造が、存在しているのを発見するのです。空間の操作図式の修得により、世界のモデルを数学として、シェーマとして把握するので、数学が、世界を説明できるのだと、いうのは、発達心理学や思考の心理学の構造主義派ジャン・ピアジェの考えですが、しかし、この理論だと、複素数空間で丁度モデルできる物理学現象は何故あるのか、何故、思考のモデルである数学が、外在的なはずの現象の枠組み理論として有効なのかの説明が付かないのです。     アキルレウスと亀のパラドックスは、思考のステップは「生きている時間」「生きている意識の構想」なのです。ベルグソンは、「生きている意識の構想」あるいは「生きている時間の事実」を「空間的に解釈すること」は間違いだと強く主張したのです。そして、こういう無限ステップの時間構造を、適用するとうまく納得の行く物理現象が存在すると云うのは、宇宙が、「生きている現象時間」と対応する何かを持っているということを示していて、これは、ニュートン的な形式空間こそ、一種の仮想であり構想だということの反省からすると、ゼノンのパラドックスが成立する世界こそ、実在の現象世界だということにもなるのです。     古代科学において、このパラドックスが深刻な意味を持ったのは、こういう背景があるからだとわたしなどは考えます。カントールの無限集合論とか、ゲーデルの不完全性定理などは、このパラドックスと同じ地平にあるとも言えるのです。     ちょっと、意味不明な内容で済みません(と、一応、断りを記します)。     パラドックスの現代の数学的な解決は、無限等比級数の収束という答えで、解決しているので、以上の話は、このパラドックスの「意味」をめぐる哲学的考察なのです。数学的真理や構造の問題は、哲学的問題となるので、このような話へと展開することがあるのだと考えてください。  

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